ENo.937 綾辻優衣

66先を進む彼女の前に現れたのは、
一人の獣人。
猫の耳に猫の尾をもつ男。
男の名はニャン・クロウ。
そんな彼に彼女が抱いた感想は単純明快。
(――素晴らしい。
獣の身体能力に、
人の知恵。
まさしくかの物もまた人を超えた存在。
で、あれば――
その存在に、
今や片手を失った私がどこまで立ち向かえるのか、
試す価値は十二分過ぎる――)
闘いたい。その一言に尽きる。
故に、
彼女は男――クロウの前に立ち戦いを挑む。
それに対し、
クロウはゆっくりと彼女を見据え、
一つ頷き――
「女……か？
　聖職者のようじゃのぉ。
　よかろう、
　何者でも相手にしてやるのじゃ。」
静かに構えた。
鋭い爪は当たれば恐らく、
彼女の皮膚を容易く切裂いてしまうだろう。
そして、
生半可な物を呼び出してもまた同じ。
そして、
動きは当然の如く、
彼女より素早いに決まっている。
ならば、
どうすればいいのか？
決まっている。
彼女はゆっくりと術を形成し、
地より二つの存在を呼び出だす。
一つは死者を喰らう悪鬼、グール。
一つは石で出来た石兵、ゴーレム。
前者は爪で切られてもものともせず、
後者は爪に耐える力がある。
「ほう。
　そうくるか。
　じゃが……
　わしのスピードについてこれるかのう？」
だが、それを見てもクロウは動揺する事なく、
落ち着いた様子で彼女を見る。
そう。
スピードでは決して追随出来はしない。
呼び出した二体も同じ。
故に、
当たらなければどうという事などない。
更には、
いくら堅いとはいっても、
彼の爪が切り裂けぬ道理もまた存在しない。
「ゆくぞ。耐えてみよ！」
そして狙うは彼女自身。
召喚者の弱点は、
召喚者自身にある。
召喚者が倒れてしまえば、
召喚物が活動し続けたとしても、
それ以上召喚される事はないのだから。
そして、
動き続けて鋭い爪を繰り出したクロウに対する術を彼女はもたない。
素早さで負け、
気の防御は貫かれ、
防ごうにも召喚物を防御に使ったり、
片手で防げるほど軟(やわ)な攻撃などではありはしない。
「ぐっ――！」
故に、致命傷を避ける事だけが精一杯。
血飛沫が舞い、
動きが鈍る。
そんな鈍った動きで彼を捉えられるはずがない。
「わしのウツクシさに酔いしれるがいい……ッ！！」
そして、
クロウの連撃が炸裂する。
美しく鋭い一撃。
全てを魅了するが如く美しいフォームで放たれるそれは、
見惚れてしまえば其処で終わる。
そう思わせる何かがあった。
だが、それ故に――
「――やられてばっかり、
　というのも趣味ではないですし、
　私らしくもないですね……
　精々足掻かせていただきます。」
見惚れさえしなければ、
どう攻撃が飛んでくるのかを見切るのは容易い。
それでも避けれるかどうかは分からない。
否、避けきれるものではない。
避けた所で右腕をえぐられるのは確実だろう。
ただし、
抉られる右腕が本来の位置にあればの話である。
そして、
空を切った爪はゴーレムへと突き刺さる。
一瞬、動きが止まる。
「ぬ――
　しまっ……！」
その隙を逃すはずもなく、
すかさず彼女は蹴りでグールの方へとクロウを蹴り飛ばした。
動きが取れぬ彼に、攻撃が殺到する。
「……これで……！」
これで、彼の動きは痛みで鈍る。
そのはずだった。
「――今のは中々効いたが――
　だが、まだじゃ。
　この程度の痛み耐えきれないはずがなかろう？
　ふ。
　そんな事より――
　なんじゃ、わしに惚れるでないぞ☆　
　若いおなごに見られたら照れるではないか。」
だが、一連の攻撃を喰らわせた後の攻撃は、
見事なまでの素早さで回避し、
爪で着実にダメージを与えるクロウ。
致命傷は避けている。
だが、いつまで戦えるか分からない。
このまま素早さに翻弄され、
負ける――
そう彼女が感じた矢先に異変は起こった。
「くっ……おぬし、中々やるではないか……。
　ちょ、ちょっとまて。
　息を整えさせておくれ…」
クロウの息が切れ始めたのだ。
無理もない。
１対１ならともかく、
１対３。
更にいえば重い一撃も受けてしまっている。
それでも持ち前のスタミナとタフネスで、
疲れや痛みを感じさせない動きを見せた。
だが、限界は訪れる。
そして訪れてしまった以上、
後は追い詰めるのみ。
「しかし……
　おっと、隙だらけじゃぞ。お嬢さん？
　ふむ、それに……
　肩で息をしておるのぉ。
　そろそろ降参かの？
　今、ラクにしてやろうぞ。」
それは彼女自身も同じである。
素早い動きから致命傷を避け、
素早い動きへ対応しようとする無理な動き――
それらもまた彼女の力を奪っていた。
そして、
それを指摘する事で回復を図ろうとするクロウ。
だが――
「……」
彼女は退かない。
己が本当に戦えなくなるその時まで抗う。
そして、
それが明暗を分けた。
躊躇(ためら)いも容赦もなく放たれる攻撃は、
クロウの体力回復を許さず追い詰める。
対してクロウも避けながらの攻撃では、
優衣自身を狙い続けるわけにもいかず――
「ぬぉぉお！？
　ちょっまっ……ストップじゃ！
　ストップ！こーさん！こーさん！」
限界が先に訪れたのはクロウだった。
これ以上は戦えないとあっさりと降参する。
「――お相手ありがとう。
　これでまた一歩私は神に近づけます。」
それを見て一礼し彼女は踵(きびす)を返し去ってゆく。
元より、ここにいる強者と闘う事だけが望み。
必要とあれば命のやり取りもするけれど、
自分の力を試し、
勝って負けて、
己を高めれればいい。
だから――
闘い負けを認めた相手にそれ以上どうこうするつもりはない。
――次の強者を求め彼女が向かう先は――

浜辺。
冬には寂しい場所。
開けた所に出て、
少し息を抜く彼女だが――
ここはそんな生やさしい場所ではあろうはずがない。
空より、
敵は舞い降りた。
猫の顔をした鳥が、告げる。
「我は死を告げる者、うみねこ。
　貴方の未来は既に定まっている。」
彼女に死を。
だが、彼女はそれを聞いて、
地よりグールを呼び出だす。
そして、懸命になぐりかかる。
だが、
空を舞う翼を捉える事は難しい。
それだけならまだしも――
「くっ……！」
呪いが身体を蝕んでいく。
海猫というよりは、
告死鳥ともいえる、
その攻撃に、
彼女は摩耗していく。
「――これほどの強敵とは……」
見た目には寄らない。
彼女は歯を食いしばる。
油断していなかったといえば嘘になるが故に。
(――それにしても死を告げるですか――)
そんな窮地にあって……
否、
窮地だからこそ、
彼女は昔を思い出した。
(――何人のものに、
私は死を告げられたのでしょう…
そのたびに生き延びて、
私はここにいる――)
だから……
そう……
だからこそ――
彼女が生き延びる力は高い。
敗北を、
死を確信したその瞬間でも生へ手を伸ばし、
生を掴み取る。
最早、人では生きられぬその時になるまで。
もし、
彼女にそういう時が訪れた時、
どうするのだろうか？
人として生を終えるのか、
人でなきものとして、
神へと進み続けるのか。
彼女の願いはきっと前者。
けれど、これほどまでに窮地に陥り、
生き延びるという事は後者になる。
――
今もまた……呪いが蝕み、
身体が崩れ落ち、
海猫が嘲笑(あざわら)う。
そんな中でも、
彼女は呪いが己の死に届かないように、
自らを仮死状態にし、
呪いが過ぎ去るのを待つ。
死んだと確信した海猫は、
何処かへ飛び去り、
後に残された彼女は、
また一つ、
人の枠から外れる。
望むと望まないにかかわらず。
それがどんな結果をもたらすのかは分からない。
人で在り続けれるのか、
それとも、
人を辞めざるを得ない日が来るのか、
はたまた命尽きる日が来るのか――
……今はただ、
彼女は一人眠りつづける。
――彼女は本当に再び目覚めれるのかどうか、
知る者は誰もいない――