ENo.9 ツィエルアーシャ・エロ＝サヴァーレン

タルタスの街。
アンジニティに『棄てられた』モノは大抵がここに辿り着く。
廃棄物の集まる街。まだ綺麗なものもたまにある。

「まちー！もどってきましたー！」
「戻った…んー、なつかしさなんて感じないけどねぇ…」
「ツィエルは長いことこの街に住んでいたんだろう？少しは郷愁を感じないのか」

踊り出さんばかりに興奮するエミルを押し留めつつシンが私の方を向いた。
シンがアンジニティに来た経緯も時代も知らないが、言い分からするに長く居るわけではないらしい。

「残念ながらないね。基本的に部屋に引きこもってて外に出なかったし」
「そういうものか？」
「そういうものだよ。さてさて、まず何からする？」
「食事とベッドの確保から、が定番だが…やる気が出るほど質はよくないな」

一応、飲食店その他はあるにはある。ただそこから漂うのは脂ぎった匂い。
お世辞にも食欲をそそるとは言い難い臭いだ。

流石にあぶない果実やあぶない野菜を使っている所は無いだろうけど。
バレたらただでは済まないし、ここに無法者が少なくないのは周知の事実だし。

「そういえばシンたち…シンとツレは野宿とか慣れてるんだっけ」
「ああ。ベッドがあるだけマシとも言えるが、ベッドがあるなら柔らかい方がいい」
「それは最もだね。んーんーんー」

前に興味本意で宿屋を覗いたことがある。
ベッドは硬く、なんとなくすきま風を感じ、壁は薄かった。

「宿はどこも一緒かな。とりあえず素材がなんだろうとシンの料理が美味しいから出来ればそれがいいなぁ。ね、エミル」
「あ、は、はいっ」
「ツィエルに関してはそこまでマトモな料理を出してない気もするが…」
「花とか香りとかね。魔女だから美味しく食べてるけど」

シンはなかなかユーモラスで毎回手の込んだ料理をしてくれる。
エミルには栄養のあるものを。私には精気にまつわるものを。
この世界特有の栄養かなにかを摂れればそれでいいけど、美味しい方がいいのは当たり前だ。

しかし香水の香りはどこから仕入れたんだろうか。
やっぱりアンジニティに来る前の…

「…あ、待って。一ヶ所だけ美味しい店に心当たりがある」
「ほんとですか！？」
「正しくはPSじゃないもので払える店だけどね。行く？」
「ふむ。この世界の調理法を見るいい機会だし頼めるかな？」
「もちろん。お代は私が持つから安心してね」

私が案内したのはタルタスの中でも比較的綺麗な街並みのある場所。
この美しさ―もちろんこの街の中では、という意味だけど―は力で維持されている。
弱者に厳しく強者に甘く。この先もまだまだ痛感するであろうこの事実の象徴。

「この街並みはさながら『強者街』とでも言うべきか」
「こ、こわいひとが…みてる…」
「さっきの通りより安全だよ、エミル」

貧民街に掛けたのであろう感想をシンが漏らした。
しがみついてくるエミルの頭を撫で、残念な記憶力を頼りに歩を進める。
じろじろとこちらを伺う人ひとヒト。大半はガードマンなんて品のいいものではなく、用心棒だ。

スーツの女、ワンピースの少女。これだけなら幾らでも襲われそうだけど。
正気とは思えない格好で平気でうろつく女は流石に警戒するんだろう。

失礼な話だ。

「ああ、あったあった。ここ」
「確かに食欲をそそる香りをさせている。予約は要らないのか？」

真顔でギャグをぶちかますシンに手を振る。

「ここほどお客が少ない店を他に知らないよ」
「例の『PSじゃないもので払える』所がネックなのかな」
「そういうこと。PSで買える物、この世界で得られるには価値を見いだしていないからね。さ、入ろう」
「おじゃましまーす…」

中はさすがに小奇麗だ。脂だけの匂いなんてこともない。
ラミネート…で通じるだろうか、加工されたメニューに窓際には花がある。
ウェイターも居てアンジニティとは思えない光景だ。

とりあえず先にシンとエミルを席に案内してもらい私は厨房に向かった。
オーナーであり料理人である男に声をかける。

「ツレ二人と私、三人分。何が欲しい？」
「…………」

私と同じくらいの背丈で、日に焼けていて、がっしりした体格の男は考えこむ。
焦げ茶の癖毛を眺めていると鋭い目付きを向けてきた。

「赤い薬、3本だ」
「オッケー。これね」

懐から出した瓶をエプロンにねじ込んだ。後は用済みとばかりに背を向けられ苦笑する。
手作りの薬品で食事が買えるなら安い。偶にしか来ない来ないのによくこれでやれるもんだ。

席に行くと目をキラキラさせてメニューを選んでいるエミルと同じくメニューに目を落としているシン。
エミルに思わず微笑むとシンが何でもないように、まるで会話の一部のように話しかけてきた。

「あの男は何をやらかしたんだ？」
「ゲテモノをひとに食わせたとは聞いてないから安心して」
「それはよかった」

実際の所は知らない。まことしやかに囁かれているのは人肉料理をやらかした説。
しかし私が食べた限りで人肉らしいものはない。
彼に渡したのは俗に言う『若返り』の薬だし麻薬の類いを混ぜ込んだ、なんてことも有り得ないだろう。

「料理に関してはフェアでこだわる人だからね。何を頼んでも美味しいよ」

熱心にメニューを見続ける二人に苦笑する…………ん？

「ねえ、ここの字は読める？そこ考えてなかった」
「問題ない」
「絵があるからだいじょうぶです！」
「それは失礼」

エミルが柔らかい白パン、ぶどうジュース、ビーフチュー。
シンがチーズフォンデュに飲み物はお冷や。
私は牛肉のワイン煮とカクテルをそれぞれオーダーする。

「フォンデュは白ワインにしますか？牛乳にしますか？」
「牛乳でお願いしたいな」
「畏まりました」

ウェイターが頭を下げて去っていく。会話が聞こえない場所まで行ったのを見計らいシンに笑い掛けた。

「意外にアルコールは苦手？」
「苦手ではないがエミルが食べたいと言ったら困るからな」
「ふぅん？苦手なら甘党かなーとか思ったんだけど」
「そんなことはないさ」

不自然なまでに視線をそらすシンに口元を歪めつつ、エミルに向き直る。
今はデザートのページが気になるようでこれ以上無く顔を近づけていた。

「エミルはフォンデュよりデザートが気になるんじゃないかなぁ」
「あっ、あうあうあうあっ」
「…言葉になっていないぞ。と、早いな」

シンが近づいてくるウェイターに気づきメニューをどける。置かれたのはエミルが頼んだ物だった。
セットのサラダ、なんてものはないからいきなり料理が来るのは当たり前だけども。
さすがに子供用の皿はないらしく、エミルと並ぶと随分と皿が大きく見える。

その事に逆に感動したのかパッと顔を輝かせたが、それはすぐに消えた。
伺うように、怯えた様子で、私とシンを見上げてくる。

「さきにたべても、いいですか？」

思わずシンと視線を交わすが、悟られないようにすぐに離す。

「もちろん。いつも遠慮しなくていいって言ってるじゃない」
「そうとも。私たちは大人だから食べるのも早いぞ」
「じゃっじゃあ！いただきますっ」

自然な動きで祈りを捧げあぐあぐとパンを頬張る幸せそうな笑顔。
見ている間にシンと私の分の料理も運ばれてくる。シンと揃って手を合わせ口に運んだ。

牛肉のワイン煮と言うが本当に牛肉なのか私は知らない。
知らないが、美味しいから二人にも少し分けた。

「旨い。フォンデュも旨い」
「シチューもっ」
「…だってさ、よかったね」

厨房に声を掛けても返事はないがそういうものだろう。
分けてもらったフォンデュもシチューも相変わらず美味しかった。勿論変な味はしない。

全員が綺麗に皿を空にしたところで、シンが口を開く。

「そろそろ―――」
「デザートだね！」
「！？」
「デザート！いいんですかっ！？」
「もちろん！」

先手を取ってメニューの後方、デザートのページを開いた。
高級そうな一品ものから大衆向けまで山のように載っている。

プリンやゼリーといった軽めのもの。
やや重いケーキとアイス。
お茶の時間用であろうパフェ。

多くの女性にとって至福の時間かもしれないデザート選び。

「私は遠慮する。代わりにホットコーヒーを」
「え？なんだもったいない…良いけどね」

甘味戦線を離脱したシンへの対応もそこそこにエミルとメニューを共有する。
とりあえずは軽いものから。

「みるくぷりんっ」
「オレンジゼリーを一つ」

とろける甘さにとろけるエミルは年相応に可愛い。甘酸っぱいゼリーは幾らでも食べられそうだ。
あっという間に平らげ次はケーキ。と、ここでエミルに薬を渡した。
胃薬とカロリー排泄剤。ぶどうジュースとカクテルで流し込む。

「次はティラミスにしようかな」
「レアチーズケーキください！」
「よく食べるな、二人とも」
「食欲増進の薬とダイエットの薬があるからね。怖いものなし！」
「なしですっ…だいえっと？」

ティラミスの柔らかさ、コーヒーの風味。程よい甘さに顔が緩むのを止められない。
レアチーズの方もよほど酸味と甘味のバランスがいいのかエミルが脚をパタパタさせて喜んでいた。
どうせアンジニティから出る予定もないしマナーなんてここでは意味が無いし特に注意はしない。

「んぁー！やっぱりデザートはいいね！生き返る！」
「おいしいです！おいしーですっ！」
「見てるだけで腹にくる…」

眉根を寄せ苦しそうにシンが目を逸らす。それはフォンデュでの胃もたれじゃないか、というのは言わない。
まだまだイケる！と無言のアピールとしてメニューをまた広げると、思い出したようにシンが告げた。

「ツィエル、エミル。しばらく街に滞在しないか？」
「ん？私は構わないけど」
「わたしも、いいです」

あっさりと了承されてシンは頷き、メニューから目を逸らしながら言葉を繋ぐ。

「先に進むメリットが無いからな。人狩りのこともあるし、あの山のこともある」
「あれはホントに罠だったねぇ…見事にやられた」
「ここで戦力を増強してもいいんじゃないかと思ってね。急いては事を仕損じる、と言うだろう」
「急がばまわれ！ですね」
「ちょっとこのロックマウンテン食べたくなってきた。チョコクッキーとアイスの山」
「……私は先に失礼するよ。宿を探してくる」
「いってらっしゃい」

フラフラと店を出ていくシンを言葉だけで見送り、私とエミルの食事はまだまだ続いたのだった。