【これまでのお話】 七海の世界。ここに世界を滅ぼすものがあると確信し、訪れた二人の少女。 葵はイリスの世界移動の技を不思議に思い、問う。 イリスは葵に、自らの力が技術として得たものではなく、 自分自身に付与されたギフトであることを告げる。 その事を話すイリスが悲しげあることを葵に看破されるも、彼女はそれを静かに否定した。 　テリメインの宿泊所に泊まって次の日の朝を迎えた。 人間用に作られた、移動する船の上である。 　基本、探索者の内で陸上に住むものたちが利用する。 船舶は船団クラスの規模で存在し、互いの交易も存在する。 　食料などは海域に住む海中の文化圏との貿易で成り立つ。 冒険者たちの収集品は入手しづらい希少品も多く、この開拓は一つの経済として成立していた。 　自ずとその性質上、平日から活気を見せ、魚市場ともなれば早朝からも開かれる。 その喧噪が聞こえてくる程度の場所に宿はとったのだから、朝はもちろん騒がしい。

	葵
	「これでは寝るに寝れない」

葵はそうため息をついて目覚めた。 普段の装甲服を脱いだ彼女は破棄のない感情一つ浮かべない表情を除けば、十代のどこにでもいる少女のそれだ。 　眼球を注意深くのぞき込めば、それが機械でできたものと伺えた。 それ以外の方法で彼女が人造人間であることを知るのは困難なほど、それは人間らしいものであった。 　彼女は思考する。そもそも何故こんな騒がしいところに宿をとる羽目になったというかのをだ。 答えは簡単で、魔女が買い物をしやすい宿を選んだらこうなったのだ。 　魔女と狂犬。元の世界ではそう忌み嫌われた二人だが、魔女はどういう風の吹き回しか葵を自分の手元においている。 もちろんそれは戦力だからだ、と納得しているのだが、果たして本当にそうかと考えることもたまにはあるのだ。 　特にそう——、

	イリス
	「ただいま。大量大量。朝市はやっぱり安くて新鮮。贅沢できて最高ですねぇ♪」

	イリス
	「狂犬ちゃんの好物のケバブもあったわよ。朝ごはんは作るから、お昼までにつまみたくなったら行ってみたらどう？」

そう、こうやって魔女が上機嫌でいる時は、とても……分からなくなるのだ。 自分は戦闘力を買われたはずだ。感情を消そうと決意した時もそういう約束事で魔女は取引を持ち掛けてきた。 　だというのに。感情を消したことを否定するように自分を揺さぶってくる。 そう思えるような行動をしばしば魔女はしてくる。そういう時はたいてい、何かしら喜ばしいことがあって、普段の魔女らしからぬ表情を見せるときだ。 　普段の魔女は冷徹だ。聖句を諳んじて、それを肯定しつつも人を殺してみせる。 あざ笑うような行いこそはしないが、目的のために最適な手段を常に模索し、邪魔者は容赦なく排してきた。 　そんな人物であったのだから、猶更のこと、今目の前にいるような彼女は彼女ではない。 そう、葵は認識してしまう。するしかなかったのだ。

	葵
	「僕は……今日はいい。魔女の都合が悪いときに食べに行く。」

ケバブ。確かに魔女に好きな食べ物を問われた時にそう答えた。 あれはどこだったろうか。そう、どこか……遠い学園でのことだったはずだ。 友達と食べたケバブが忘れられなかったのを覚えている。 　どこの、と思い出そうとすると頭痛がする。マインドロックだ。 何度か未来と過去の往復した彼女は、過去に舞い戻る度に携わった過去の世界と、元板自分の世界について制限をかける。 魔女も流石に未来の技術については詳しくなく、この封印はいまだ有効のままだ。

	イリス
	「顔色悪いけど、平気？」

呻いたのを見てか、魔女は不安そうに自らを覗いている。 この表情もまた、葵を不安がらせる「いつもの魔女でない顔」だ。 　魔女は、悪いやつであるべきだ。そして、自分自身も悪いものでなければならない。 そう思おうと考える度に、魔女の行動はそれを否定する。 　もしかしたら、魔女と自分との間には、思っていた以上価値観のズレがあるに違いない。 この修正は早期に、いずれ機会があれば行うべきだ、と葵は考えた。 　そうでなければ、自分自身の選択すら否定されてしまいそうな、そんなうすら寒い予感を感じずにはいられなかったのだ。 故に、魔女に言葉を返した。

	葵
	「平気だ。明るい顔の魔女を見ていると混乱するだけだ。僕の中にあるメモリーの中で、その表情はとても異質だ」

イリスはそれを困ったような笑顔で“そっかぁ……”返した。 それ以上は葵には振れず、朝ごはんを作る作業に戻り、葵は二度寝をしながら喧噪の中、忘れようと再び眠りについたのだった。

	穏やかな海《セルリアン》

穏やかな波、暖かい水温。太陽の光を透かし、キラキラと輝く水中に、
光とともに舞うように鮮やかな熱帯魚達が珊瑚礁に集まる海域。

この世界の窓口である探索者協会からも程近いこの場所は、
色々なところから集まってきたバカンス目的の観光客や、
これから冒険に挑もうとするものたちで賑わっている。

比較的凶暴な生物もいない、穏やかな、冬でも温暖の海である。

遺跡探索

闇葵と黒イリスは、この世界の探索者としての一歩を踏み出した。
海底に沈む遺跡の探索——。

誰もがこの海の、この遺跡から冒険の一ページを刻み始める。
とはいえこの辺りはまだまだスタートライン。

もっとこの世界に眠る、謎や宝や未知の生物を目にしたいと願うなら、
このセルリアンの遺跡を抜け、さらなる海域を目指すといいだろう。

海はまだまだ遠く、広がっている。