＊水妖精と深海探査潜水球の話＊ 探索に使う潜水球と設置するクレーン付きの台。使える財産をはたいて購入した倉庫、そこに積まれた資材の山。 大量の工具、錬金術に使う術具、それに魔導書・技術書・博物辞典。レポート、レポート、レポートの山。 現在のロジィが使えるものの全てである。つまり自由に使える資金がない。 探索の成果として得られる資産は、探索を進めるための装備の購入に当てなければならないので、当てにできない。 一刻も早く資金を調達する手段が望まれていた。

	「せーの・・・うりゃーッス！」

カキーン そんな音を立ててスチールの容器に入った液体が、カチンカチンに凍りついた。 ロジィはスチール容器を覗き込んでよく固まってるのを確かめてから、容器を大きな保管庫へ移した。

	「おつかれさまです、アクアちゃん。 　とりあえず今日使う分のアイスクリームはこれで大丈夫ですよ」

	「りょーかいッス！ 　またひつよーになったら任せるっスよ！」

資金調達手段の一環として、ロジィが最初に考案したのがこの氷菓製造業であった。 周辺でとれる果物の果汁と砂糖など安価な材料があれば、簡単にいくらでも作成できるのが魅力だ。 いくらでも作成できる、その秘密は水の妖精さんの力である。 妖精さんの力で作っているのでノーコストノータイムでどんどん凍らせることができるのだ。 科学技術や錬金術ではこうはいかない。まさに妖精さんバンザイである。

	「ひゃー、このアイスって頭にキーンってくるッス！」

	「あ、自分でも食べるんですね」

	「これはクセになるッスね！ 　おかわり頂くっス！！」

	「いえアイスは頭にキーンってくるのを楽しむ食べ物じゃないですよ」

	「え、そうなんスか！？」

味を調整するために試作品としていっぱい作ったアイスもりもり食べている水の妖精。 名前をアクエリアス。アクアちゃんという。 全長２０センチほど。 ロジィが昔にもっていた、喋るぬいぐるみと同じぐらいの大きさ。 しかし、ぬいぐるみとは全然ちがって、歩き回る、ものを食べる、ものを拾ってくる。 見た目は可愛らしい少女。いや幼女だが、身体能力は高く、魔法のような不思議な力も使う。 その奇妙な生き物との出会いは、ロジィがはじめて自分の潜水球で海底に潜った日のことだった。 　　　＊　　　＊　　　＊ ドスン 重い衝撃が、潜水球の中に伝わって、ロジィは背筋が粟立つような感覚に息を止めた。 計器類を確かめる。異常を伝えるものはなく、すべての装置が計算された通り、正常に作動している。 ゆるゆると息を吐いてから、つばを飲み込んで口を開く。

	「・・・・深度４３ｍ、確認。バランス誤差10度以下、耐圧機能正常」

計器に記された数字が、この潜水球の外が、深い海底であることを伝えていた。 地上とは比べ物にならない水圧が敷き詰められた世界が、絶え間なくこの潜水球を押し潰そうとしている。 万が一にもこの潜水球がひしゃげれば、生身の人間であるロジィはひとたまりもないだろう。 湧き上がる不安感を振り払って、ロジィは潜水球の操縦に意識を集中させた。 周囲に音波を飛ばして、周囲の地形を確認する。 おおよそ予想したとおりの海底の地形が、硝子の内側に満ちた蛍光色の液体で描かれていく。

	「観測装置、よーし。 　目視のチェックに入りますねー」

言いながら、手を上に伸ばしてスコープを引き下ろす。 潜水球の上部にある潜望鏡が起動して、周囲の熱、魔力、動体反応を映していく。 情報を切り替えながら一つづつ見ていく。それはおおよそ音波探査で見た光景と同じ光景だった。

	「うん、問題なし、ですね」

熱も魔力もなし。動くものはわずかな魚や、海草だけ。 海流は風のように音を立てない。とても静かだ。 唯一、肉眼でこの潜水球の外を覗けるのは、耐圧ガラスの窓だけ。 狭い視界には魚の姿も映っていない。見えるのは、積もった砂と岩、それにまばらな海草だけだ。 安全のためにそういう場所を選んだのだけど、手を伸した場所に何もないのは、なんだか寂しい気がする。

	「・・・っと、いけません。次のテストをしないと」

ちょっと浸ってしまっていたらしい。 手元にある水中伝声装置のスイッチを入れて、マイクを手に取る。 ロジィはちょっと躊躇ってから口を開いた。

	「ハーヴさん、ハーヴさん・・・聞こえますか？ 　えー・・・ちゃんと聞こえていたら、お返事をよろしくお願いします」

しばらくの静寂。 小さく息を呑んだその時に、スピーカーから声が聞こえてくる。

	「はいはーい、ロジィちゃん。ちょっと声は小さいけど、ちゃんと聞こえましたよー？ 　ロジィちゃんのセンスイキューはちゃんと動いてますかー？」

	「・・・・すべて、問題なしです。 　テストは成功しました。お手伝いありがとうございます」

返事を済ませると、ゆるゆると息を吐いて、小さな椅子に自分の背をつけた。 今回の動作試験で、ロジィは何か問題があったらすぐさま助けてもらえるようにハーヴェンに動向を頼んでいた。 しかし、海底での行動を強いられる探索者にとってはよちよち歩きの補助をお願いするようなものだ。 そんな簡単なことで失敗をするようなら、もしかしたら自分は見限られてしまう可能性もあるのではないだろうか。 ロジィはそう考えていたので、ようやく肩の荷が下りた気持ちである。

	「考えすぎでしょうけど」

	「んー、ロジィちゃん、なにか言いましたかー？」

	「なんでもないです。 　ちょっと独り言が口をついて」

	「なるほど独り言。子供のうちから考え過ぎはよくないですよー」

	「聞こえてるんじゃないですか」

もう、とロジィは頬を膨らませながら、試験はおしまいにします、と宣言して水中伝声装置のスイッチを切った。 浮上するために、酸素動力機関を動かし始める。 浮力の調整は、スキルストーンを動力にしている酸素動力機関を使用する。 単純に浮袋に空気を溜めて浮力を得るのと同じような原理で、潜水球の浮力を大きくするのである。

	「……あれ？」

だが、十分な浮力を確保しているはずなのに潜水球は浮き上がらない。

	「浮力計が、故障している・・・？ 　いえ、酸素動力機関は動いてますし、空気も送り込まれてる・・・・」

コンコン、コーン　コンコン、コーン 潜水球の表面をなにかが叩く音がする。 明らかに、漂流物がぶつかった、なんてものではない。なにかの意志を感じさせる一定のリズム。

	「・・・・ハーヴェンさん？」

いたずらでもしてるのかもしれない、そう思いながら水中伝声装置に手を伸ばす。

	「ッ！？」

その直後、不意に潜水球が揺れた。 ななめに大きく傾ぎながら浮き上がったまま、揺れ続けている。 ロジィは椅子の上で激しく揺らされながら、必死にレバーを掴んで計器類に目を走らせる。 浮力計やバランサーに異常がないのに、潜水球は斜めのまま、揺れて、しかもゆっくりと移動をしている。 計器が告げる数字の羅列が、ロジィの頭のなかで像を結んだ。 “潜水球は、なにかに持ち上げられている” もう一度、揺れる潜水球の中で、今度こそ水中伝声装置のスイッチを入れる。 ロジィはからからに乾いた口で息を吸って声を張り上げた。

	「ハーヴさん！　ハーヴさん！！ 　いますか？　いたら返事をして下さい、お願いします！！」

半ば祈るような気持ちで呼びかけた声に、返ってきた言葉は予想外のものだった。

	「おわ！？ この貝しゃべるっスか！！？」

ぜんぜんロジィの聞いたことのない声だった。 鈴の鳴るような可愛らしい声は、よく通るハーヴェンの声とは明らかに異なる。

	「貝じゃないです」

思わず素で答えると、海底に静寂が訪れた。 潜水球を襲っていた揺れは止まっているものの、まだ斜めに持ち上げられたままである。

	「それじゃ・・・・もしや亀っスか！！？」

	「ちがいます」

なんだこれって思いながらどこまでも真顔で答えるロジィ。 しばらくの気まずい沈黙の後、付け加える。

	「とりあえず、降ろして下さい。 　降ろしたら側面に窓があるのでそっちに顔を出して下さい」

あっさりとロジィの言葉は聞き届けられて、潜水球はズシンと砂埃とともに海底に降ろされた。 そして無事に水平に戻った操縦席の窓から、声のイメージ通りに可愛らしい少女の姿をした妖精が顔を覗かせたのである。

	「おぉ、人間さんが入ってるっス！ 　こんちわっスよ！！」

耐圧ガラス越しに元気に挨拶してくる妖精を見ながら、ロジィは『これ水圧とかどうやって耐えてるんだろう』とか思っていた。 　　　＊　　　＊　　　＊

	「えーと……妖精さん？」

	「あっしは水の妖精アクエリアスっス！」

	「えっあっ・・・・ぼ、ボクはローズマリーです。 　それで、えっと、アクエリアス・・・ッス、さん・・・？」

	「アクアでいいっス！」

	「は、はぁ・・・それじゃ、ボクのことはロジィでいいです」

	「ロジィっスね！ よろしくっス！！」

	「それで、あー・・・・アクアちゃんは、なにをしてたんでしょうか？ 　急に持ち上げられたから、中がものすごくシェイクされて大変だったのですけれど」

	「いいもの拾ったから持って帰ろーって運んでただけっスよ！ 　あっしの見つけた中でも十本の指に入るでっかい貝だったっスからね！！」

	「貝じゃないです。潜水球です」

	「センスイキューっスね！ 覚えたっス！！」

	「・・・・ところで、持って帰るということは、近くに住処があるんですか？ 　探索協会の情報ではこの付近に大きな生き物の集落なんてなかったはずですけど」

	「ないっス！」

	「えー」

	「だからこのでっかい貝を新しい新天地の第一キャンプとする予定だったっス！」

	「しないでください。 　あと貝じゃないです潜水球です」

	「もしかしてアクアちゃん、迷子さんなんですかー？」

	「おおっ、また人間さんが増えたっス！ 　でも迷子じゃないっスよ！ ちょっといっぴきはぐれてあてもなくさまよってるだけっス！！」

	「なるほど自由人ですねー。 　それじゃあ今はフリーですかー？」

	「自由っスよ！」

	「それじゃ、せっかくだからいっしょに来ません？ 　ちょーどこのロジィちゃんとハーヴはお仲間募集中なんですよー」

	「仲間募集中っスか！！」

	「あの、ハーヴさんもしかしてアクアちゃんが潜水球運ぶの見てたんじゃ・・・ 　あ・・・・いえ、はい、仲間募集中、ですけど」

	「そういうことなら、あっしもやぶさかじゃないっスよ！ 新たな仲間を歓迎するっス！！」

	「え、そんなのでいいんですかアクアちゃん！？ 　ハーちゃんもそんな急に！！」

	「ハーちゃん？」

	「ロジィとハーちゃんッスね！ あっしはアクアっス！！」

	「あ、いえ、今のはちがって・・・！ 　アクアちゃんと、ハーヴさんがまざって・・・」

	「やったー、よろしくお願いします。 　あ、ハーちゃんでいいですよー。ハーヴェンです」

	「よろしくっス！」

	「・・・・・よ、よろしくおねがいします」

	「ドーンと任せるッスよ！」

アクアが仲間になった！

	「・・・・あの、ところで。潜水球の動作試験、つづきやっていいですか？」

とても緊迫感のなくなった海底に、ロジィの声がむなしく響く。 問題なく浮上もできたたので、潜水球は無事にはじめての動作試験を終えた。 仲間加入という大きなイベントのついでっぽい感じになってしまうという悲しみとともに。

	穏やかな海《セルリアン》

穏やかな波、暖かい水温。太陽の光を透かし、キラキラと輝く水中に、
光とともに舞うように鮮やかな熱帯魚達が珊瑚礁に集まる海域。

この世界の窓口である探索者協会からも程近いこの場所は、
色々なところから集まってきたバカンス目的の観光客や、
これから冒険に挑もうとするものたちで賑わっている。

比較的凶暴な生物もいない、穏やかな、冬でも温暖の海である。

遺跡探索

（あなた）は、この世界の探索者としての一歩を踏み出した。
海底に沈む遺跡の探索——。

誰もがこの海の、この遺跡から冒険の一ページを刻み始める。
とはいえこの辺りはまだまだスタートライン。

もっとこの世界に眠る、謎や宝や未知の生物を目にしたいと願うなら、
このセルリアンの遺跡を抜け、さらなる海域を目指すといいだろう。

海はまだまだ遠く、広がっている。