むかしむかし、あるところにいた誰かさんが、すてきなすてきな瓶を作りました。 　きらきら光る、人間みたいにおしゃべりなその賢い瓶には、りっぱな名前も付けられました。 　けれど瓶は自分のことを、いつだって「小瓶」と呼びたがりました。 　なぜなら小瓶は、賢いすてきな瓶だったのですから。 ——小瓶のおはなし　#02 ＊　　　＊　　　＊ 　ちゃぷちゃぷという、可愛い水の音が聞こえてきます。小瓶のおなかの中から鳴っているわけではありませんよ？　小瓶は今、しばらくぶりに海から上がって、陸の上にいるのです。海は静かですてきなところでしたが、陸には陸のすてきなところが、いっぱいあります。陸は何よりにぎやかですし、キラキラしたお日さまが、小瓶のことをいつも以上にすてきにしてくれますから。それに、さざなみのメロディだって、陸の上でなければ楽しむことができませんからね。 　でも、今の小瓶のお仕事は、さざなみのすてきな音色にうっとりすることではありませんでした。きれいに背すじをぴん、と伸ばしたまま、小瓶はある人を待っていました。そして、その人は結構すぐに、小瓶のところへやってきてくれました。 　小瓶は幸先がいいな、と思いました。些細なうれしかったことを、ちゃんとうれしいって思うことも、長く楽しく生きていくためには、とってもだいじなポイントなんですよ？　小瓶には、そういう「こころえ」がしっかりそなわっているので、ちゃんと忘れず喜んでおきました。 「さて、さっそくだけれど、探索者登録の前にこれ、注意事項」 　小瓶が待っていたその女の人は、眼鏡の奥の二つの瞳をにっこりさせて、小瓶に一枚の書類を渡してくれました。 　女の人の名前は、ロザリアネットというそうです。でも、本人は「ロザりん」と呼んでほしいそうなので、小瓶も親しみをこめて、彼女をロザりんと呼ぶことにしました。小瓶にもりっぱな名前がありますが、やっぱりそれでも自分のことを、小瓶と呼ばれる方が、ちょっぴりうれしいなと思うのです。ロザりんだってきっと、そういう気持ちなんだろうな、と小瓶は思いました。 　ロザりんは今、陸の上で、きれいな二本の足で歩いていますが、もともとは人魚なのだそうです。人魚の中には、まるで人間みたいな姿になれる人だっているので、ロザりんはそういう人魚なんでしょう。その証拠とでもいうように、ロザりんのサンゴみたいなピンク色の髪のすきまからは、ききょう色の魚のひれが、ひょっこりとのぞいています。 　二本の足で歩ける人魚を、ひれのついた人間と呼ばない理由を小瓶は知りませんでしたが、人魚もきっと小瓶のように、いろいろな苦労をしてきたのでしょう。小瓶だって、いろんな美術品やがらくたのまねっこをしてきましたし、今だって、探索者のまねっこをはじめてみようと思った最中なわけですけれども、小瓶が何のまねっこをしたって、小瓶はやっぱり「びん」なんですから。 　小瓶はほんの少し、ここでならがんばれるかもしれないと思いました。人魚はきれいな生き物です。キラキラしたしっぽは、まるで貝のかけらみたいですし、お歌もとっても上手です。そして何より、きちょうなお薬になる人魚もいます。だから、人魚は小瓶よりもずっと生き物なのに、小瓶みたいに人間の宝物として、狙われてしまうことも多かったのです。 　ここは少なくとも、そんな人魚が受付のお姉さんとしてお仕事していても、誰にも何も言われないところです。小瓶だって、何も言われないで終わるかもしれません。そうなれば、小瓶の心配ごとは全部きれいになくなってしまって、小瓶の前に待っているのは、楽しい海でも冒険だけということになりますね。小瓶の気持ちはまた、少しうきうきしました。 ——ロザりんがものすごく強いだけっていうこともありますけれど、まあ、そのときはそのときですよね。 　小瓶には、今考えてもしかたのないことをすっぱり考えないことだって、朝めし前なんですよ。賢い小瓶には、今やるべきことがしっかり分かってしまうんですから。 「注意事項を読み終えたら、エントリーシートを提出してください」 　そういってロザりんが渡してくれた書類に、小瓶はしっかりと目を通します。こういうものって、ルールの確認が何よりだいじなのです。一番だいじなところほど、ちっちゃく書かれてたりするんですよね。だいじなところなのに、わざわざ分かりづらくしてしまうのはどうしてなんでしょう？ 　小瓶はいつでもふしぎなことだと思っていましたが、人間にとっては、小さいものの方が見やすかったりするのかもしれません。自分の感じるものにとらわれすぎてしまうのでは、賢くてすてきな小瓶とは名乗れませんからね。小瓶はかしこいので、決して、そんなことはしないのです。 　小瓶はロザりんに借りて、大きな大きなガラスの手で、小さな小さな鉛筆を握ります。小瓶の手は人間よりずっと大きいのですが、小さなものでもちゃんとつまめるように、おしゃれな銀色の「つめ」が付いています。きっと、小瓶を作ってくれた誰かさんが、小瓶が困ったりすることのないように、こしらえてくれたのですね。 　それでも、ひっこめることはできませんから、猫の爪の方がよっぽどすてきです。 　でも小瓶は、それを悲しいと思ったりはしません。人には、得意分野ってものがあります。たまたま猫が爪の専門家だっただけで、ついでにたまたま、誰かさんが猫に爪のことを教えてもらう方法も無かったんでしょう。猫はニャーと言いますけど、人間はニャーとは言いませんもの。 　そんなことを考えながら、小瓶はエントリーシートを書き上げます。小瓶の文字の書き方は、ちょっと人間たちとは違っています。まず、こんな文字を書いてみたいな、と、頭の中で考えるでしょう？　それが十分すてきだったら、しっかりと鉛筆を握って、ずーっと横に細かいてんてんを打っていきます。一番右端までいったら左端までを戻って、右端へ進んで、左端また戻ってを繰り返すと、まるでタイプライターで打ったみたいな、きれいなきれいな文字が鉛筆でも書けるのです。 　ただ、こうやって文字を書いていると、いっつも人間たちにはびっくりされていたので、にこにこしたままで小瓶を待ってくれた人は、誰かさん以外では、ロザりんが初めてだったかもしれないと小瓶は思いました。ロザりんはできるやつだな、と、小瓶は心の中でうなずきました。 　さて、これで小瓶のお名前が書けました。エントリーシートには、「magicvial:no.18 『うつろいの月』」という言葉が、きれいな文字で書かれています。これが小瓶の本当の、りっぱなりっぱな名前です。でも、ちょっと長くて、ぎょうぎょうしくて、フレンドリーではないですよね。こんな名前をいっつも使っていたら、きっといろんな人にあくびをされてしまうに違いありません。だから、小瓶は小瓶でいいのです。 　書きあがったエントリーシートをロザりんに渡して、こうして小瓶は、晴れて探索者としてみとめられたのです。 　小瓶はちらっと隣を見てみました。この間の羊さんも、探索者としての登録をしっかりと終わらせたところのようです。小瓶の書類の番号は372でしたが、羊さんは61でした。でも、小瓶より長くかかっているので、羊さんに人間流の手続きは、難しかったみたいですね。文字も書けないようだったので、羊さんが冒険をするのは、人間よりもずっと大変なことなんだなあと、小瓶は思いました。 　この羊さんは残念ながら、海底のお宝ではありませんでした。喜ばしいことに、人間でもありませんでした。だから小瓶にとって今の羊さんは、ただの、ふかふかの毛皮がとってもすてきで、二本足で歩ける羊さんでしかありませんでした。つまり、とってもうれしくて安心っていうことです。 　あれから、小瓶は羊さんといろいろとお話もしてみようと思ったのですが、羊さんは何を聞いてもめえめえとしか答えません。なにせ、羊なんですからね。ニャーとは鳴けませんし、言葉もしゃべれないけれど、めえとは言えるのが、羊っていう生き物です。 　羊さんとおしゃべりができなくて困ることは、小瓶にはほとんどありませんでした。羊さんの本当のお名前も、呼んでほしい名前も、小瓶には分からないなと思ったりもしましたが、好きに呼べばいいだけだと、小瓶は気づいたのです。 　人間は好きな人ほど、いろんな名前で呼びますし、立場まで呼び名と一緒に変わってしまう人もいます。あるときは恋人で、他人で、親戚で職場の同僚の人がいることがばれてしまったせいで、奥さんに出て行かれる男の人を、小瓶は何度か見てきました。あれはきっと、奥さんよりも、あるときは恋人で、他人で、親戚で職場の同僚の人の方が、男の人と仲良しだっただけなんでしょうね。だから、呼び名があれこれあることは、決して悪いことではないのです。 　それと、羊さんのほかにもう一人、小瓶と一緒に探索に出てくれると言ってくれた女の子がいました。そういえば、女の子の名前とか、呼び名の方はまだ、本人に聞いてないなと小瓶は思いました。 　そう思ってる小瓶の横で、羊さんはちょっと、おなかが痛そうでした。

	穏やかな海《セルリアン》

穏やかな波、暖かい水温。太陽の光を透かし、キラキラと輝く水中に、
光とともに舞うように鮮やかな熱帯魚達が珊瑚礁に集まる海域。

この世界の窓口である探索者協会からも程近いこの場所は、
色々なところから集まってきたバカンス目的の観光客や、
これから冒険に挑もうとするものたちで賑わっている。

比較的凶暴な生物もいない、穏やかな、冬でも温暖の海である。

遺跡探索

（あなた）は、この世界の探索者としての一歩を踏み出した。
海底に沈む遺跡の探索——。

誰もがこの海の、この遺跡から冒険の一ページを刻み始める。
とはいえこの辺りはまだまだスタートライン。

もっとこの世界に眠る、謎や宝や未知の生物を目にしたいと願うなら、
このセルリアンの遺跡を抜け、さらなる海域を目指すといいだろう。

海はまだまだ遠く、広がっている。