「ユリ…？あの、花のユリのことか？」 　とんだ災難と些細な偶然の末に海中巡航ホテルなどという不思議な施設の世話になることになった俺は そこでの生活にも慣れ始めた頃、ホテルの管理人と称するリリィ・レオとソファで寛いでる時に ユリを知っているかと聞かれたのだ。 　最初の出会いこそホラー映画もしくはゾンビと戦うビデオゲームの冒頭のようだったが、 話してみれば意外にも理知的で思慮深く……そして冗談も嗜んでいた。 何度か下らない嘘に引っかかって海中階に沈みかけたが （後になって考えてみればみるほど自分の迂闊さに腹が立つ！） 彼なりに俺との関係を築こうとしている意図を感じてはいるので、いつかやり返してやろうと思いつつ ……その試みは未だ成功していない。 　「他にもユリがあるというならそれを含めて見てみたいのだがな」 　「ん～……」 　ソファに背を預けながら顎に手をやる。それが考え事をする時の俺の癖だと指摘したのは誰だったか…… 　「ユリの花そのものは何度も見たことがあるぞ。聖母の象徴、純潔の白百合……フルール・ド・リスって ユリの紋章はお高くとまってやがる国のかつての王様が使ってたし、嫉妬深い女神様の母乳が地面に垂れたのが 花になった……なんて話もあるな。女性にプレゼントするなら薔薇の方が無難だぞ……ユリは花の持つイメージ的に 花嫁のブーケにもよく使われるからな」 　今思えばレオが宿泊客全員に一度は聞く定番となっていたが、俺は思いつくままユリの花について話をした。 俺はどうも話を脈絡なく広げる癖があるようで、仲間や友人から話がくどいと聞き流される事が多いが レオは地上での話が珍しいのか途中で遮ることも呆れることもなく聞いてくれている。 もっとも、マスクの下では呆れた表情をしているのかもしれないが　ウミユリの表情なぞ 人間の俺にはわからないだろう。 　「異性を口説くときに植物を使うのか……何か、麻痺作用か性的に興奮する成分でも含まれているのか？」 　「お前なぁ……その言い方は色々とまずいと思うぞ……。え～っと、何か描くモノあるか？…おう、ありがと。 ユリってのは確かこんな…」 　レオがカウンターから拝借してきたメモ帳とペンのセットを受け取り、記憶を頼りにユリの花を描いてみせる。 我ながら良い出来だと描きあげたものを見せてみると、珍しくレオが言い淀んだ。 　「……なるほど、女か」 　「は？」 　どういう意味か問いただそうとした時、背後からくすくすと笑う声が聞こえた。 俺とレオ以外には、レオ曰く“従業員”だという未だ姿を見たことの無い誰かが居るとは聞いていたが 振り向いた先に居たのはまだあどけなさを残す少女だった。 　突然現れた少女に戸惑い、かける言葉を失ってレオを見ると肩をすくめてみせた。知り合いではないらしい。 経緯はどうあれ来客だと判断したレオは立ち上がってカウンターへ向かっていった。 　「わらったりしてごめんなさい。おにいさまのかいた絵が、おもしろかったものだから……」 　少女はスカートの裾を軽くつまんでふわりとお辞儀をした。 　 　「あ、いや……ええと、ドアが開いた音はしなかったが……お嬢さん、一体どこから……」 　「あそこから」 　 　少女の華奢な手が指したのは海中階へ繋がる階段だった。失礼ながらもう一度少女の姿を見ると 着ていた服の裾も長い髪のひと房すら一滴も濡れてはおらず、つい先ほど水の中から出てきたとは思えない 　「……人魚姫に足をあげた魔女は随分と気前が良いらしい…どんな魔法を使ったのかな？」 　言うに事欠いて我ながらつまらん台詞だなと頭を掻くと、少女はびっくりした顔をして口に手をあてた。 　「まぁ、私が人魚だってどうしてわかったんですか？」 　「えっ……えっと……え？？？」 　返す言葉が思いつかずにその場で固まっている俺を置き去りに、レオは少女をカウンターへ呼び ホテルの説明やチェックインの手続きを進めていく。 　身ひとつでこの場所に辿りついた俺を特に気にした風もなく“宿泊客”として、多少の労働を 対価に滞在を受け入れられているのだから本当に変な場所だ。おかげ様で遭難の末に力尽きて鮫の餌 という最悪の事態に逢わずに済んだ訳だから、実は感謝はしている……んだが 何か癪だからレオには直接言ってやらん。 　人魚、ねぇ…… 俺より背の高いウミユリが服着てホテルの管理人やってるんだ、人魚くらい居てもおかしくはないんだろうなと ぼんやり思いながら、気がつけば海中階へと続く階段の近くまで歩いていた。 ゆるく波打つ水面の奥に見える室内灯の光を屈みこんで眺める。 手伝いで何度か潜ったことはあるが、海中にあって腐食することもなく調度品が設えられている様子は 沈没船の探索で潜った時に見た景色よりずっと不思議で、ワクワクするものだった。 　「おにいさま？」 　またも背後から声をかけられて、驚きの勢いで崩れた姿勢を振り向くことで誤魔化す。 カウンターに居たレオの肩が　くくっと動いたのを俺は見逃さなかった。あんの野郎……笑いやがって。 　「ええと……ああ、俺はトゥオーノ・フルミネ。お嬢さんは？」 　「あらごめんなさい、わたしったら…まだ名乗ってもいませんでしたわね」 　そう言うと、少女は胸元を飾っているペンダントを両手で握り締めて、そして踊るような 軽やかなステップで海中階へと続く水面へ飛び込んだ。 目の前でバレエの一場面を見せられているような、そのあまりに自然な動作に呆気にとられていると 水滴を宝石のようにちりばめながら浮かんできた。 　豊かな髪やあどけない表情はそのままに、腰から下が魚……いや、どちらかというとクジラか イルカに近い流線型の尾ひれを揺らしている。 　「はじめまして、わたしはジゼル・クレドケールと申します。どうぞよろしくお願いします」

	穏やかな海《セルリアン》

穏やかな波、暖かい水温。太陽の光を透かし、キラキラと輝く水中に、
光とともに舞うように鮮やかな熱帯魚達が珊瑚礁に集まる海域。

この世界の窓口である探索者協会からも程近いこの場所は、
色々なところから集まってきたバカンス目的の観光客や、
これから冒険に挑もうとするものたちで賑わっている。

比較的凶暴な生物もいない、穏やかな、冬でも温暖の海である。

遺跡探索

（あなた）は、この世界の探索者としての一歩を踏み出した。
海底に沈む遺跡の探索——。

誰もがこの海の、この遺跡から冒険の一ページを刻み始める。
とはいえこの辺りはまだまだスタートライン。

もっとこの世界に眠る、謎や宝や未知の生物を目にしたいと願うなら、
このセルリアンの遺跡を抜け、さらなる海域を目指すといいだろう。

海はまだまだ遠く、広がっている。