レンツ・ドゥ＝フェイカーは悩んでいた。

木漏れ日が大地を照らし蠢く気配が漂う季節となった、濃い緑の香りを充満させる森林。
先程の戦闘で焼けた右腕を泉で冷やしながら、頭をひねらせ唸っていた。

ちゃぱん、と冷やしていた腕を引きあげ調子を見ながら、そんな独り言を呟く。

しかし青年は別に腕の怪我に悩んでいる訳ではなかった。
確かにこの怪我は“フェイカー”による発作が原因で動きが鈍りその隙を狙われ負ったものだが、
このように冷やす程度で充分な傷であり、発作のほうも今はまた小康状態となっていた。

青年の悩み事はこの一揆とは関係のない、一人の少女についてである。





たったったったったったっ、がさっ。

駆けるような足音のあと藪から出てきたのは、見知った一人の少女だった。
シャーベット・アズライト。性別は女性。齢は恐らく十代前半。病的な青白い肌と、櫛の入っていない長髪。そして大きな瞳……の下を染める隈が印象を占める、レンツの友人である。

藪の奥から現われた彼女は何かを探していたのかこの森の中を駆け抜けてきていたようで、
立ち止まった今もまだ肩で息をしており、そのささやかな胸が上下している。

ようやく落ち着いたかと思いきや、今度は息を飲む少女。
気付くと突然の来訪者に驚き泉から抜いた腕が彼女に傷を向けていた。

「『どうしたもんかな』って言ってたの、聴いたよ？」——その言葉と共に不安そうな青い瞳がこちらを見上げる。
壁に耳あり、だな——内心で苦笑する。彼女も聞きたくて聞いたわけではないだろうけれど、だからこそ、よりによってその一言を聞かれるとは。
この青い瞳の持ち主は、なんと自分を心配してくれる貴重な存在なのだ。——だからこそ、心配をかけさせたくはない。

徐々に下がる視線に合わせ、小さくなっていく語尾。それでも全てを聞き取れた。
——なるほど。相談すればいいのか。考えてみれば一人で抱え込む問題でもないのだし。たぶん。

応えた笑顔は目の隅が心なしか薄く見えた。本当に、この子は。

まぁそんな簡単な悩みなんだ、とでも言うように締めくくった笑いは、何故だか空虚に響いてしまった。
客観的にならなくても解る。どうやら自分は、自分が思っている以上に凹んでいるらしい。
堪えきれず溜息が漏れる。

そう発した彼女は、気付くと隣の岩に腰掛けていた。
少し間を空けた、しかし真横とも言えるそんな位置。話す位置として聊か違和感はあるものの、彼女にとってはその間が必要だ。
——しかし、待つとは？いや、確かにもう待つことしか出来ないのだが。

少女は目を伏せ、言葉を続ける。

言いかけるものの否定は出来ない。——記憶にないのだから。
折れた針を刺すような、鈍い痛みが胸を突く。

「私だったら、そうしてほしい、と思う」——そのように最後に自身の願望を口にすると、少女は黙ってこちらを窺った。

待ち続ける。それは結局のところ状況として変化はなく、解決策にもなってはいない。
それでもその心遣いに曇った気持ちが晴れたのは間違いない。控え目でも喜ぶ少女を前に、心からそう思える。

——まったく、相談して良かった。一人で抱え込むから心配されてしまうのだ。

「……——そういえば昨日村長が訪ねてきてんだけどよ、
そろそろ<庭園>の周辺に魔物の群れが沸く時期だから<庭園>を出る時は気を付けろ、だってさ。」




——そう。それが三日前、他でもないナルに話した内容だ。

その話を伝えてくれた村長は、毎年発生するにも関わらず村自体に被害はでないと言っていた。
しかし本当にそうか？この二つに因果がないと、言っていいのか？




どくん。

ホルスターの柄を抜くと——もはや思考でなく、反射で手が動いた——白緑の短剣を顕現させる。
同時に巻き上がる流風が木の葉や木々、眼前の少女のスカートを揺らした。

だが気にしている暇はない。——ここからだと“全力で飛ばしても”半刻ほどかかる。
最悪の場合、その間隙すら命取りになるのだから。

花を育む守るべき無垢の民と不器用な隣人を憂いながら、流風から踏み込んだ足を前へと押し出す加速が生み出される。
茫然と立ち尽くす友人を瞬時に置き去ると、青年は障害となる木々を薙ぎ払い最短距離を駆け出した。

幸運にもその選択は正解で、不運にも予感は的中していた。