今回の日記はグリゴリさん（ENo.44）を盛大にお借りしています。
この場を借りて御礼申し上げ！

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+7+

時間というものは、存外早く駆け去ってしまうものだ。
それが如何に惜しかろうが、意味を持とうがそんなものは露も知らぬと、寧ろ速足で過ぎてしまう。
この海も、そうだっただろうなと思う。
喧噪めいた歓声に満たされた昼の海にも、やがてゆるやかに陽が降りてくる。

山吹色に輝く夕陽は綺麗だ。
此処に降りてくる前の陽と同じものなのかどうか、ぼくにはわからないけれどその彩りは変わらないように見える。
刷り込まれているのか、或いは本当に同じなのかも判別つかないけれど、この色彩を見れることは幸運に思う。
陽が見せる色の中で二番目に好きな色。
‥一番好きなのはこのあと、完全に水平線に陽が落ちてからの色なのだけど。
その色もじきに、此処で過ごしていれば見ることができるだろう。
今回はまして、海の波に揺られて跳ねる光が余計に美しい。
もう見知ったメンツはほとんど戻ったり場所を代えてしまったようだったが、この景色を味わうことなく変えるのは少し惜しい。
ほう、と恍惚めいた息ひとつ。
——あの海に身体を沈めていたらまた一味違う過ごし方になったろうか？
勿論どだい無理な話ではあったが、と自答する。
そのほとんどが透明な水ではあったけれど今日はずいぶんと吐き戻した。
量を思い起こそうとして、危うく再び眩暈を起こしそうになる。
これに触れるのはこの辺にしておこう。
思考を振り払うべくクスリとの格闘を経てがちがちになった身体を伸ばす。
この身体もここまで強張るものなのだな、と身体を弓反りにしながら思う。
ばきばき、と骨が鳴ったりはしなかったけれど、代わりに首あたりと前脚の甲殻がぎちりと鳴いた。
——ひとしきり伸びきって身体がほぐれ始めたころ。
ぼくの耳は、此方の方へと足を運んでくる存在を拾い取った。
何気なく目を遣って——
——それがこの世界で一番よく見知った者であることに気づく。

青銀の髪色に、白銀の瞳を持つ青年。
‥と、傍らに彼がフョードルと呼ぶエンブリオの二者だった。

見知った存在を目に留めて、彼は少しだけ不愉快そうな表情を滲ませた。
理由はわからないでもない。
この時間まで、"イース"が他に伴う者もなく目の前で寛いでいればそれはまあいい気分はしないだろう。
これ以上無為に煩わせても仕方ない。
そう思って立ち上がって、"イース"がそうするように尾を緩く揺らして瞳をむける。

——そこで、ぼくの視線は白銀のそれと正面でぶつかる。

彼のそれが一瞬怪訝そうなものになる。
それがすぐに、いつか見慣れた目つきに変わったところで、ぼくは下手を打った事に気が付いた。

‥黄金郷を追い求めて、ついにその端を掴みとった男。
その男が、"手がかり"を探っていたときの目。
順位付けることはぼくには出来ないけれど。
少なくとも生半でない期待と興奮とに苛まれながら怜悧冷静であり続けた視線。
それが不意に、逸れる。
投げる先は、まだ先ほどとそう色合い変わらない空だ。

「夕陽を見ていたな」

特に感情が介した声ではない。
振り返ってぼくが見ていた空を一瞥したときと同じように視線が戻ってくる。
正対する形ではなく、半身をあちらに投げた侭で。

「お前は、たまにイースじゃないな？」

眼を見開くことも、尾が跳ねることももちろん息を呑むこともなかった。
ただ——まいったな。
そんな事を思いながらも、肯定とも否定とも、‥"イース”の言葉ともつかぬ声を喉からこぼす。
ううう、と低い唸りが漏れた。
勿論青年は、意にも介さない。
はっきりと確信を持って吐きだされた言葉のように、視線がまっすぐに注がれるばかりだ。
——もう少し、覚悟を決めて肚をくくるのは先になるかと思ったんだけどな。

「俺がイースだと認識している竜は、まだ挙動が幼い。
落ち着きが無いから、興味の対象はころころ変わる。だから一つのものに集中できない」

その通りだ。
反論の余地もない。

「だが、時折明確な意志を持って、対象をじっと観察している時もある。
その時注意すべき対象を正確に判断した上で、だ。
まるで年齢が変わったか、頭の中身が変わったかみたいにな」

これはもうまいったどころの話ではないな。
駄々漏れどころではなくて埋まりたい。

「そうしたいなら好きにしたらいい、俺の知った事じゃない。だが——」

ひと呼吸を吐けるほどではない、刹那の空白。
けれど投げ出していた半身を向き直して、全身でまっすぐ、目に視線を注がれる。
——ああ、なるほど。
まだぼくが言語を扱えるコトに関しては白か灰色くらいなのかもしれないな。
ゆえに、これは。

「手抜きをしているなら困る。
遊んでいていい時と、そうじゃない時の区別くらいは付くな？」

釘を刺されている、というところか。
‥さて、どうしようか。
此処で俺が選べる道は二つほどある。勿論、悠長に考えてはいられないけれど。

一には、知識は解するけれど言語は離せない竜として振る舞うこと。
メリットは二策よりはこれまで偽ってきた量が少なく済むということだ。
デメリットは、これからも偽り続ける必要があること。
二には、この問いに言葉で答えることだ。
メリットは此方から正確な意思表示が出来ること。
デメリットとしてはこれまで敢えて沈黙してきたことが露見する、ということだ。
‥三にはこれから最新の留意をしながらイースに殉ずる、というのもあるけれど、俺には無理だろうな。

どうする。
長い沈黙は何れに転ぶとしてもいい印象にはならない。

——父ならどうしただろうか。母ならどうしただろうか。
ぼくだけだったならどうしただろうか？姉なら——。

天を仰いだ。
口から細く、長い息をゆるやかに吐いた。
‥父が教えの通りに、心の揺れ幅が小さくなる。

「‥看破されるとするなら、シルマリィ殿かカカ殿か。‥そして卿以外にはないだろうな、と思っていました」

腹を括る。
黙していたことに対して叱責、或いは叱咤、折檻があるかもしれない。
それは、ぼくが甘んじて受けるべきものだ。
何時きてもそれに応じられるように、ぼくは改めて背筋をぴんと伸ばして座り直し正対した。
——けれどその気配はなかった。
するつもりがないのか、或いは様子を見ているのか？
‥撲ってしまえば閉口される可能性なども探っているんだろうか。
わからない。
わからないから、ぼくはぼくの在るが侭に漕ぎ出すしかない。

「獣の縁以外では一番気をつけていたんですけど、‥よもや筒抜けのご明察とは。‥いい眼をお持ちなんですね」

見えない真意がすこし漏れていたりはしないだろうかとも思い乍ら、これまでずっと、見続けることの出来なかった瞳をじっと見つめる。
厳しい冬、そのもののような瞳だ。
透き通っていて冷たく餓えている。——どう、何に、と問われると窮するしかないが。

「‥手を抜いてはいないですよ。‥手合せで数の不利を蒙らせたことはなかったと思うけれど」

青年は、普段の調子から比べると驚くほど動きが希薄だ。
しかし、投げかけてきた問いに対する答えを口にすると漸うとして反応を見せる。

「ならあれがお前の実力で、それ以上は無いという事か」

幾らかは失望など入り混じった様子ではある。
けれどそれも希薄なもので、逆に此方が肩透かしを食らっているような感じがする。
‥益々、よくわからない。

「まぁいい、元々そう期待してた訳でもない」

吐き捨てるような語気ではあった。
けれど否定も肯定もしていないようにも聞こえた。
まあ、そもそも初めは"イース"としか見ていなかったはずだ。
頭数に入れていても戦力としては考外であったろうから、そこまで落胆はないのかもしれない。
戦力外が戦列に加わるという点に於いてはもう消化済の事案であるし。

「‥お察しの通り、"イース"とぼくは別のモノです。‥あれはヒトやモノとすれ違う必要がある」
「ヒトや、モノとすれ違う？」

怪訝そうな調子ではあるが、好奇心を刺激されたとか、興味をそそられたとかいう響きではなかった。
見解を求められている訳ではない、と解釈して話題を次に持っていく。
今、一団の筆頭とつけておかなければならない話は身の上話などではない。

「‥"イース"はあの通りです。ですから"ぼくが"貴方やコインの持ち主に叶う限りで尽力することで身を置くことが許されるなら、尽力する」

それはそれで、そのうち現状、どのような形で入れ替わっているかも包み隠さず話さなくてはならないだろうな。
‥ぼくの名もきちんと名乗っておいた方がいいのだろうか。
仮名くらいだったら教えても差し支えないだろう。
真名を捧げることは、まだこの身体では出来ないけれど。

「或いは‥白青の銀、卿だけに誠を誓おうか？」

——びしり、と空気が擦れるような沈黙があった。
耳を疑うような表情を見せたかと思うと、みるみる内にそこに不快感が顕になる。
——これも、何度かもう目にした顔だ。
ヒトの怒る顔についてはなんだか最近で随分見慣れてしまったな。

「バカバカしい！口先だけの誓いが何の特になる！」

想像にたがわぬ激しい語気、勢いある声。
びりびりと鬣が揺れる。
‥誓うは誓うからこそ口先だけではないと思うのだが、どうやら彼にとってはそうではないらしい。
要らぬを口にしてしまったなら此の場は聴くに徹するが吉か。

「お前が俺を都合がいいと思うなら、お前も俺に都合がいい対象であり続けろ。それだけの簡単な話だ」

吐き捨てるようにして、けれど要点はきちんと返し乍ら青年は踵を返した。
その場に腰を下ろしているぼくはその侭にして、足早に"拠点"に戻っていく。

——場に残ったぼくを、ひゅうとまだ生ぬるい風がからかっていった。

今日は下手の多い日だ、と息ひとつ吐く。
今度は身体をほぐすではなく気を紛らわせるように伸びをひとつ打つ。
やはり、なんだかんだで身体をほぐすのは悪い気分はしない。

‥都合がいいのはあくまでヒトやモノなどと"イース"が擦れ違う事ができる場で。
青年の存在については、それが頭であるというだけであってもなくても同じようなものだ。

‥どうやら踏まれたくない部分に踏み入ってしまったらしいから、もう叶わないだろうけれど。

生涯をヒトに仕え費やした父の顔がふと、一番気に入りの空に。
夕焼けの残滓と、這い始めた夜が混じる空に、見えた気がした。

‥‥蛙の子は、こじれても蛙の子か。

今日は小柄な青年はいないようだ。
周囲をきょろきょろと見まわしながら
あたりに誰かの姿がないことを確認すると、のしのしと歩いて近づいて来る。

小刻みに首を傾げながら、イースの顔を覗き込んで
表情を伺いながら、おずおずと口を開く。

　クロエは楽しげに、イースを撫でようと手を伸ばす。

ほれほれと、取られない程度の距離を保ちながら干し魚をチラつかせて楽しんでいる。
唐突に体勢を変える竜に少し驚いたが、あまり動じた様子は見せず

そんなことを考えながら、干し魚をまたチラつかせる。

ぴん、とひとつ爪弾き。
金属で練られた硬貨のように、尾を引く音の響きはない。
載せているであろう欲念や思惑。
感情などを勘定に入れれば些か静かすぎるほどに、
石の硬貨——＜メルンストゥーラ＞——はくるくると回って光を跳ねる。

慣れた所作が、落ちゆく一枚を手の甲と指先の間に閉じ込める。
いささか乱暴に、いささか繊細に。
ぱしん、と空気を叩く音がした。

所作に滲むは祈念か諦念か。
刹那を閉じ込めた帳がゆっくりと開かれる。
‥所詮はただのコイントス。
常軌で測れば、半々でしかないはずの結果。
けれどその所作はあまりにも重々しかった。


　　　　——　　Ⅰ.太陽　＜裏＞　

＜メルンストゥーラ＞は輝く。
山吹。橙。茜。琥珀。
その輝きが増して広がるにつれて、それは日頃親しんだ色味を帯びていく。
日暮れ刻。
太陽の残り香が、空を染める色。

その光に、その色彩に揺り起こされるように。
昆虫にも似た、けれどそれに非ざる巨躯を持った何かがその目を緩やかに開く。
閉ざされていた十三の瞳は、そのどれもが輝石の光と同じ輝きを窶していた。

かつての黄金郷カダイエ。
その守護者エンブリオ・マァムブ。

十三の瞳が熾烈な輝きを帯びる。
空が、染まる。
輝石が瞬いた色彩に、閉じられた瞳が染められたように。
空が染まる。
まるで一枚の紙や布なのではないかというくらいに、染めあがっていく。
辺りは一面の、黄金の夕焼け色。

尚もとどまらぬ光を背に受けるは十二の使徒。
そのすべては光によって一様に黒に塗りつぶされている。

ただ、正対する者らには見えることだろう。
その威容異質と、足元にまで伸びゆく十二の影が。


　　　　　　——　マァムブの覚醒が契約者達に変転をもたらす！

影がおおきく揺らめいた。
陽炎の類ではない。
錯覚というでもない。

変転は歪みだ。

あるものはその身に硬質を享ける。
白は黒を帯び、与えるものは受けるものを兼ね、
焦がれたものには翼を、走らせるものにはその身から色彩を。
吐いて繕う偽りも、真実に転じる。

あからさまな異質、或いは目を凝らすような軽微な差異。
使徒はそれらをそれぞれに身に窶してさらに影を伸ばす。

各々が一歩一歩を踏み出して。
相対すべきに、吸い込まれていくように。