————ぱら、ばら、ばら。

風が三つの色気の無い文字の束を吹き飛ばす、
開けられた扉からは風以外に外の喧騒と、濃い死臭を部屋に運んできた。

ラケルトは唯一光の差す右目で正面を細く睨んだ。

死臭を纏った男は蝋人形のような白い手でもって静かに扉を閉めた、
何の変哲もない白手袋もこの男が履くと途端に不気味な物に思えて来る。

「これは失礼、今朝は風が強いようで。」

喧騒は彼方へ、死臭は一層濃くなった。
死臭を纏った男、ラズロは白い顔で薄く笑う。

「ああ、いーいー、昔の報告書だ。処分しようと思ってたトコ」

顔の脇で右手を振り、ラケルトはニカッと笑った後、ちょっとした仕草でラズロに椅子を勧めた、
白々しい修道服を揺らしてラズロはこれに応じる。

「おいおいおいおい、どう言う風の吹き回しよラズロちゃん、日の下に出て来るなんて随分珍しいじゃねーか」

「ええ、少しご報告がありまして。私の可愛い使いを出しても良かったのですが、こう天気が良いと…色々と、ふふ‥」

傷んでしまいますから。

一拍置いてから、すらりと吐き出された言葉にラケルトは苦く笑った。

この男の部下は自分の部下とは正反対だ、根元から違った。
自分の部下は生きているが、こいつの部下は死んでいる。

ラズロは死霊術使いだった。
薄暗い地下に潜み、日がな自ら可愛いと称する動く死体と戯れている。

趣味が悪い所の話では無いが、言った所で改める気は無いだろう。

「んで、報告ってなんだ？良い知らせ以外聞きたくねーぜ？」

「それは困りました、貴方にとって良い報告なのか‥悪い報告なのか…計りかねます」

ラズロは得意の歯を見せない薄い笑みを返した、
白く柔らかな見た目と違って、薄気味悪い雰囲気を持つ笑みだ。

「あー、じゃあ良いわ、早く話せよめんどーくせー」

ラケルトは少し苛立った、気味悪い笑みにではなく、ラズロの悠長な言葉運びにだ。
苛立ちを誤魔化すように頭をぽりぽりと掻く。

「例の、あの人と会いました。」

頭を掻く手が止まった。

途端に、部屋の空気がヒヤリとした物に変わる、
ヒヤリとした冷気は、向かいの、薄い笑みから溢れ出ているように思えた。

「へえー、そう。」

ラケルトは椅子に深く座り直す。

「どこで？」

「地下牢で出くわしました、容易く蹴散らされてしまいましたが‥」

「おーッ、じゃあそのまま地下牢進行中か？」

「いえ、他の協力者に手引きされてあちらこちらと移動しているようです。」

ラケルトは軽く舌打ちした。

「ツマんねーの、そのまま進んでりゃあオモシれーもんが見れたんだがなぁ」

「‥ふふ、進んでもらっては困るのですがねえ」

「おおッとぉ」

大げさに手を振ってみせた。

「しかし、良かった」

窓から入る陽を眩しそうにしてラズロは言った。
青白い肌は陽に照らされて、このまま透けてしまうのではと思うほど更に、白く、透明になっていた。

「思いの外、良い知らせだったようですね。ラケルト隊長。」

薄く、笑う。
笑っているのは口だけだ、ラケルトは思った。

白い日差しの向こう側、青い両の目がじっとラケルトを強く捉えている、
殺意でも、敵意でも、無い。ただ何か挑戦的な目。何かを試しているような目。

「ええ…待って、コワイコワイ…何それ、そう見える？」

「見えます、とても面白そうなお顔をなさるのですのね」

ラズロの目がふっと柔らかい物になった、
意図したものなのか、そうでないのかは分からない。

「冗談じゃねーよ、まーた面倒が増えるじゃねぇか、俺は面倒が嫌いなんだ」

頭を掻きながら、まあでも、付け足す。

「眉唾モンのウワサがまさかの真実だった、ってのはちょーっと面白かったかな」

頬杖を付いてニカリと笑った、ラズロの薄笑いがそれを受け止める。

最近、兵士達の中でとあるウワサが流行していた、
それはラケルトの耳にも勿論入ってきている。

何でも、戦死した国の隊長が、夜な夜な亡霊として歩いている、だの、
目に付いた人を片っ端から切り捨てている、だの、
実際に被害にあった兵士が何人もいる、だの。

怪談としては陳腐で面白くも無い内容だったが、その亡霊の格好についても二三噂があり、
骸骨の姿で、右目は赤く爛々と光、とても長い刀を引きずっているのだという。

これを聞いて初めてラケルトは亡霊に興味を持った。

長刀を引きずる赤目の男、ラケルトは知っていた。

狂骨。

同僚だった。

不気味な赤目で、長い刀を振り回し、暴虐の限りを尽くしていた男。

その名が本名なのかは知らない、ただ誰もがそう呼んでいた。
その名のとおり骨の様に痩せていたし、その名の通り狂った男だった。

だから皆、あれを狂骨と呼んだ。

痩けた顔でギョロギョロと赤目を動かしていた男の顔を思い出す。

あれは突然姿を消した、その理由を知る者は少ない。

しかし、ラケルトはあれの顛末を良く知っていた、
だからこそ、その同僚によく似た亡霊のウワサに、ラケルトは強く興味を惹かれたのだった。

「何か良くない物が取り憑いているようです、ラケルト隊長」

「そりゃあな、独りでにガイコツが動いてたまるかよ。どこにも物好きってのはいるもんだなー」

ラズロは表情を動かさなかった。

「くれぐれもお気を付けて、隊長。私はこれで失礼致します。」

青白い顔を儚げに微笑ませて、ラズロは席を立つ、
ラケルトはその動きを目だけで追った。

「私は、話すべき事を、話さなければならない方にしっかりとお伝えしました。」

含みのある言い方で白い男は告げる。

「後の事はお任せしますよ、ラケルト隊長。」

白く、暖かな笑みと、青く、冷たい視線でラケルトを刺して、ラズロは扉へと向かった。

同時に扉が開いて、忘れかけていた外の喧騒が戻ってきた。

「お飲み物をお持ちしました。」

兜を外し、鎧を着た無骨な格好の男が入ってきた。
手には氷とコーヒーの入った透明なグラス乗せた銀のトレイを持っている。、

「お構いなく、お話は済みましたので。」

白い笑顔のまま、素っ気なくラズロは言って、部屋を出て行った。

「はははっ、ちょっと遅かったんじゃねーか？」

明るく笑って、立ち尽くす男に声を掛けてやる、
男はバツが悪そうにこちらへ向き直った。

「申し訳有りません、また侵入者の報告がありまして、それでバタバタと…」

グラスを一つ、ラケルトの元へ置きながら男は言い訳をした。

「何ィ！またぁ！？……オモテの案内もうちょい見やすくするべきかぁ…？」

ここは、兵舎だ。兵が多数いる。
なのにここのところ一揆軍により毎日襲撃を受けていた。

一揆軍は兵舎に侵入し、兵士を蹴散らし、手摺をもぎ取り、割り箸を拾って進行していく、
正直、何がなんだかわからない、一揆軍はみな気狂いの集まりなのではと思うことが多々ある。

「ニ部隊で撃退に行かせましたので、問題は無いかと思われます」

「いや、あるでしょ…ただの兵士じゃ荷が重いだろうぜ」

「ハッ！では隊長自らご出陣に？」

ポリポリと頭を掻く。

「あー…まだいいや、メンドい」

「しかし……」

「心配しなくとも、俺の可愛い部下の他にもなんか、アレ、いろいろいるでしょ、まだまだ時間あるあるー」

グラスを手に取りコーヒーを口に入れる、たちまち苦味が口一杯に広がり、程よい香りが鼻腔を抜けた、
氷がカランと音立てる。

「お前も飲みな、喉渇いたろ」

「あ、いえ、しかし…」

「いいー、いいー。飲め飲め」

男は、少し躊躇ったが、ラケルトの顔色を見ながら手元に残ったグラスを手に取った、
よほど喉が渇いていたのか、ゴクゴクと喉を鳴らして干していく。

「はぁ、生き返りました。有難うございます。」

口元を手の甲で乱暴に拭って男は笑った、
それは随分下品な仕草だったが特にラケルトは気にしなかった。

「先ほどの方、もしやラズロ様ですか？」

男は何とも無しに首を突っ込んできた。

「そうそう、よく知ってんな」

「ウワサ話でよく聞きます、何でも…クク、死体が恋人だとか…。」

ラケルトは釣られて笑いだしそうになるのを堪えて、
男を厳しく睨んだ、途端に男の顔が緊張で引き締まる。

「ウワサ話をマトモに受けて、浮かれるようなバカは要らねぇーんだけどなー」

「ハッ！申し訳有りません！」

自分もよくぞここまで白々しい言葉を吐けるものだと、内心大笑いしながら、
厳しい視線で男を見つめ続ける。

男は息苦しそうに身じろぎした。

「分かりゃー良いんだ、もう行け、これも下げろ。」

まだ三分の一程中身の入ったグラスを突き出すと、男は慌てながらそれを受け取り、
トレイに乗せて踵を返した。

「おい」

呼び止める。

男はネズミのように飛び上がり、引きつった顔をこちらに向けた。

「は、……ハイ…。」

「お前、ウワサ話は好きか？」

威圧する目のまま言葉を投げかける、
男は視線をあっちこっちに動かしながら言い訳を考えていたようだが、
やがて、諦めたように口を開いた。

「……はイ…好き、好き…と言うか、マア…その、話の種になります、ので…そのあの、マあ…」

「人斬りガイコツのウワサを知っているか？」

しどろもどろな男の言葉を遮ってラケルトは戯れに聞いた、
俯き気味だった男がハッと顔を上げる。

「狂骨隊長のおウワサですか？」

今度はこちらがハッとした。

「狂骨？なんで狂骨隊長なんだ？」

「イエ…その、私が勝手に思っているだけなのですが、
　赤目で、恐ろしく長い刀で、好んで人を殺している、と聞きますと、自然に狂骨隊長のことが頭に…」
「それにあの……。」

「良い、続けな。」

気だるげに目を閉じて、男を楽にしてやる。

「あの男なら、死んでガイコツになっても……動き出しそうだな、と。」

「バッカバカしい話だな、狂骨隊長は悪魔か？人間だろぉ？」

「悪魔も恐れる人間でありました、狂骨隊長は。」

「もう良い、下がってろ。」

「ハッ！失礼します！」

そそくさと部屋を出て行く男を無言で見送ってから、ラケルトは床に落ちたままの三枚の報告書を拾い上げた、
これはひと月ほど前に先の男がラケルトへ届けた物だ。

この三枚の報告書を最後に、伝令の任を受けた一人の部下を除いて、狂骨は全ての部下と共に消息を絶った。

「ハハハハハッ…」

ひとり残された部屋で、ラケルトはこらえた笑いを全て吐き出した。

「面白くなってきた……じゃねーか」

扉が勢い良く開く、出陣願いだろう。


ラケルトは双剣に手を掛けた。

さらっと失礼な気もするが。エスヴィアも否定はしなかった。
　

身構えるエスヴィア。されどその視界には何も映らず

あわてて振り返ると同時。鎌を背後にいる相手の頭めがけて振るうも首から上が存在しないソレに空振り。
たたらを踏んで体勢が崩れかけたところに首のない兵士の意思が聞こえる———

　　　　　　タッタッタッタッ