伝説の神獣を名乗る白馬の精神干渉に苦しめられながらも、何とか平原の獣達を退けたリナ達。

「…うぅん、まだ頭がぼーっとする気がするわ…」

気のせいなんでしょうけど、とぼやきながら、リナは手で側頭部を押さえた。
　リナは、直接攻撃の類の魔法への抵抗力は普通の人間としてはやや高い方に入るが、精神干渉への抵抗力はさほどではなかった。彼女が元いた世界では精神干渉の魔法を使った戦闘が禁止されていたこともあってか、慣れていないのだ。
そのため、先ほどの戦闘では、仲間の方に何度か熱波を浴びせることになってしまった。

「…もう、魔力の影響は感じられませんが…気持ちの問題、でしょうか」

いまいち調子の戻らないリナを、ルシェーナが気遣う。
そのルシェーナの近くで、深みのあるコントラルトが響いた。



「…ま、経験の吸収が早いのも若い子の良いところなんだけどさ」

その声と共に姿を現したのは、イーラやルシェーナと同じくらいの大きさで、艶やかな黒髪をまっすぐに伸ばし、背中に揚羽蝶の羽根を生やした妙齢の女性だった。

「………あなたは？」

リナが問うと、妙齢の女性は答えた。

「あたしはフロル。フェアリーの中で、あんまり多くないタイプの一人だよ。
…それこそ、他のフェアリーは若い子の姿か…下手すると子供かってのが多いからね」

「そう、フロルね。…で、そのフェアリーさんが何の用なの？」

露骨に子供のような扱いを受け、若干複雑な表情をしながらリナが問い返すと、フロルは答えた。

「…あんた、あたしと契約しないかい？
あたしとしては、どうせ契約するなら共通の趣味みたいなのがある奴の方が良いし…それに、あんたにだって利のない話じゃない。
…あんたがさっき苦しめられてた精神干渉についても、あたしは色々教えてやれるよ。

………若い子が頑張る姿も良いんだけどさ、やっぱり心配なんだよ」

口調こそ粗暴ではあるが、その声音からは、年少のリナを心配する様子が感じ取れた。
リナはまた微妙な表情をする。
年長者から子供として心配される…というのは元の世界以来久しくなかったことなので懐かしいことには違いない…が、子供扱いでお節介を焼かれるのも、自己決定権を阻害されそうな気分になるのだ。
…かつて、元いた世界から「否定の世界」へ迷い込む羽目になった、あの時のように。

「そうね…お互いに利のあることなら、考えないこともないけど。ただ…条件が一つだけ。
意思決定をするのは私…それだけ、忘れないでね。おかしなことをやった後の反省会は、やる気がないわけじゃないから」

「そりゃそうだ、籠の鳥を囲うんじゃないんだからね」

成長させないんじゃ始まらない…と、フロルは笑った。

「それじゃあ、決まりね。………あ」

…と、ここでリナははたと何かを思い出したような表情をして、

「そういえば、共通する趣味って何のこと？」

と尋ねる。フロルは、また鷹揚に笑って

「ああ、そのことか。
…それだよ」

フロルが指差したのは、新しく作ってもらったリナのギター。
クラシックギターのように見えるが、ネックや側板の幅がやや狭い…フラメンコギターだ。他の点でも作り方に違いがあり、クラシックギターより明るい音がするのが特徴だ。

「フラメンコ？…ああ、でも似合いそうね…」

妙齢の女性の姿であれば、軽やか…というよりは、フラメンコのような踊りの方が似合うかもしれない。

「一応、踊るのは大体好きなんだけどさ。やっぱり一番はフラメンコだね。
…ま、これからよろしく頼むよ」

そう、フロルは言った。



　日が、とっぷりと暮れた。濃紺の夜空を背景に、色とりどりの光の花がその大輪を咲かせている。
砂浜で遊んでいた少年少女達の声は、ずいぶんと遠くなった。話によれば、森で肝試しがあったり、高台に絶好の花火見物スポットがあったりするらしい。
リナは、テラスのあるバーでワインを傾けながら、花火を遠くに眺めていた。
淡い青の花柄の生地を使ったサマードレスを、ゆったりと着こなしている。

「素敵ねぇ…アンジニティじゃ、とてもこんなバカンスは楽しめなかったわ」

休憩出来ると思えた場所は、決してない訳ではなかったが…それでも、この世界に残る豊かさの残滓は、あの世界ではとてもではないが望めなかった。

「ワインも美味しいし、治安もそれほど露骨に悪いわけじゃないし…」

これでいい男がいたら最高だったんだけど、と呟く。
結局、リナが魅力的だと思える男性は見た範囲では大体連れがいて、とても引っ張って来れる状態ではなかったのだ。

「………ま、気取らずにゆっくり出来る夏の夜ってのも悪くないかしら」

魅力的な男性と、高揚しながら熱く過ごす夏の夜も楽しいが…まだ、この世界に来てから日も浅い。
今は焦らず、この空気を楽しんでも罰は当たらないだろう。
リナは、そう考えることにして作ってもらったばかりのフラメンコギターを調律し…そして、夏の夜に相応しい、少し陰った情熱を表すかのような曲を奏で始めた。

バカンスの夜は、静かに更けていくー

[SummerVacation]