『説明をいたしましょうか？　今ならば答えられます』

　カメリア、いや、「不定物a」は、今や黒い塊と化した紫鯤の傍らで俺に問いかける。
　聞きたいことが山ほどあって、咄嗟に言葉が出てこない。落ち着け、ここで慌てて仕方がない。ひとつずつ、順を追って、聞いていくべきだ。

「……カメリア、お前らは、何なんだ？」
『あなた方は「不定物a」としてとらえていたようですが』
「それは実験にあたって便宜的につけられた呼び名に過ぎない。俺達は結局、お前達の起源を探ることはできなかった。組成の解析も全く進んでいない」

　そう、境戸家に集まった魔術師や研究者達がいくら頭をひねっても、何度検査を繰り返しても『不定物a』の正体も起源も分からなかったのだ。そもそもこいつが生物なのか無機物なのかすらも分からない。
カメリアは緑の双眸を細めると、炎を灯した尾をゆるゆると振りながら答えた。

『我々に決まった名前はありません。我々を製造した人々は、呼ぶ必要がある時は【闇のもの】と呼んでいました』
「……製造、だって？」
『はい。我々はとある分割世界を支配していた種族によって作られた道具であり、兵器であり、愛玩動物でした。彼らは極端な長寿化を成し遂げた代わりに個体数が少なかったため、労働力の代替として我々を製造しました。我々に高い可塑性が与えられているのはありとあらゆる状況へ柔軟に対応することが求められたからです』

　その可能性自体は、研究者の間でも指摘されていた。
　生物というには歪で不自然なそれは、人間ではなく、何らかの高度な技術を持った知的生命体による産物なのではないかと。ここにきてそれが証明された訳だ。

「じゃああの、泡の異界は」
『あれは我々の格納庫です。我々の体は大きすぎて邪魔になるので、命令がない時はあそこで冬眠するよう指示されていました』

　そこにたまたま、外部から境戸家がアクセスしてしまったということか。

「……お前達、本当にショゴスみたいなものだったんだな」
『それは否定しませんが、我々と彼らの最大の相違点は、我々は最後まで主人に反乱したことがなかったという点でしょう。幾つもの変身を経て、あなた方人間のそれと比べて貧相ではありますが、我々にも自我のようなものは芽生えました。しかしそれは主人あってのものでした。我々は命じてくれる誰かがいなければ何もできなかった。我々は道具です。命じられて従い、主人を助けることが至上の喜びでした』

　カメリアはこんな事を語っているが、見た目は相変わらず無表情なサラマンダーのままなので、少し妙な感じがした。

「それならお前達の主人は、今は何をしてるんだ？　俺達が『道具』を持ち出して好き勝手してたのに、何の接触も無かったんだが」
『主人の文明は滅びました』

　さらりととんでもない事を言う。

『主人達の技術は最大限に発展し、文明は栄華を極めましたが、それぞれの国の利害関係により最終戦争が勃発しました。結果、互いが互いを打ち滅ぼすこととなりました。我々の仲間も相当数の個体が戦争に投入され、消滅してゆきました。数え切れないほど存在していた【闇のもの】たちのうち、とある国の格納庫に入れられていた我々だけが生き延びています』
「……それでずっと閉じ込められていたと？」
『いいえ、私を含めた一部は最終戦争の後、自発的に格納庫から脱出しました。主人達の連絡がない事を不安がったからです。その結果、主人達の文明が滅亡した事を知りましたが、我々の行動はあまりにも遅すぎました。我々【闇のもの】は元々時間感覚が鈍い傾向があるのですが、格納庫では冬眠している事が殆どなので、それが更に鈍るのです。格納庫から出た時、主人達の滅亡から数百年が経過していました』

　尽くすことこそが喜びと彼女は語っていたが、その対象が滅んでしまった事はどれだけの衝撃だったのだろう。俺には分からない。
　これが単なる奴隷であれば解放されたと喜ぶのだろうが、彼女らは使役する為に作られた存在なのだ。

「お前達の主人は、誰も生き残らなかったのか？」
『ごく一部、全人口の百万分の一程度が生存していました。かつての技術は最終戦争で失われたため、我々が接触した時には青銅器時代にまで文明が後退していました。現在、我々は彼らの支援を行っています』
「……支援って」
『我々が主人を見つけた時、彼らは自然現象に怯え、日々の生活もままならないほどに力を失っていました。我々はそんな彼らを見過ごす事が出来なかったのです。今度は主人が道を過たぬよう、我々の活動ができる限り、彼らを助けて行こう。そう言う結論を迎え、受け入れました』

　立場が逆転している気もするが、彼らにとってはそれも「尽くす」範疇に入るのだろうか。
　背景は理解できた。だが、疑問はまだ残っている。

「それが、今のお前と何の関係がある？」

　俺の問いかけに、カメリアは傍らの紫鯤（だったもの）に視線を向けた。

『私の任務は偶発的、或いは意図的に格納庫を出た同胞の追跡と監視です。主人達が滅んだ後、メンテナンスを受けずに放置された格納庫には様々な綻びが生じていました。我々が今の活動を始めるより前に勝手に格納庫を抜けていたものもいれば、後から外部の力によって他の世界へ吸い出されてしまったものもいました。私は彼らに接触し、その動向を関し、折を見て我々の活動に参加するかどうか確認する役目を負っていました』
「では、紫鯤も」
『はい。彼を探すのは非常に手間取りました。あなた方の指示が丁寧で精確なものであったこともありますが、彼自身が自分を「紫鯤」として認識し、アイデンティティを確立させていた。そのことによって我々でも容易に見抜けないほど巧妙な擬態が行われていたのです。私が彼を確認した時には、彼はもう分割世界をさまよっていた』

　俺が紫鯤を連れ出し、あの世界に帰れないよう仕掛けをした頃だろう。
　その頃には既にカメリア達は紫鯤の存在を把握していたのか。

「何故メルンテーゼに来てから、わざわざエンブリオに化けて接触した？　俺の目を盗んであいつに会う事なんてお前達には造作もないだろうに」
『先程ご説明した通り、紫鯤はかなり強固なアイデンティティを持っていました。その状態で「自分は人間ではない」などと説明されても信用されない確率が高く、返り討ちにあいかねないと我々は考えた。より身近で彼を監視し、機会を探る必要がありました。その点、メルンテーゼ行きは僥倖であったと言えましょう。エンブリオ、これほど監視に適した存在はありません。解約されたらまた違うエンブリオに化ければいいだけのことですので』

　ふん、とカメリアは鼻を鳴らし、緑の目を細めた。

『ここに来て長いこと待ちましたが、ようやく回って来たのが今回の一件です。紫鯤は否応なしに己の素性を自覚させられた。今はまだ、私の言葉を聞く余裕はないようですが……いずれきちんと、話をしなければならないでしょう』

　カメリアの声色は相変わらず淡々としている。
　一方で、俺は苦いものが鳩尾に広がって行くのを意識せずにはいられなかった。こうなったのは全て俺のエゴが原因だ。紫鯤には俺の勝手で何度も辛い思いをさせてしまった。保護者面をしながら彼を利用し、そして深い考えもなしに彼を逃がした。

「……紫鯤は、これから、どうなる？」

　意を決してカメリアに尋ねる。
　サラマンダーの姿をしたそいつは、諦めたように首を横に振った。

『分かりません。彼の姿はこの通り元の状態にリセットされていますが、精神は恐らくそうではない。ここまで強固な自我を持つものは我々の中でもごく少数で、ましてや自分が人間であったと思い込んでいたものは居ません。経過を見るしかないでしょう。どうするのか決めるのは結局のところ、紫鯤自身なのです』

　そう言ってカメリアは、また優しく黒い塊を撫でた。
　確かに紫鯤であるそれは、聞いているのかいないのか、ただふるふると体表面に波紋を広げ、震えるばかりだった。

青白い男が語るその言葉を、遮る事が出来ないまま聞いている。首筋が妙に寒い。

 

倒れ込む紫鯤を支えようと飛び出したが、ふいに姿を見失って、見失ったと思ったその視界の端に、朧げながらも黒い何かが消えていくのを捉えた。
すうっと血の気がひいて全身が粟立つ。


暫くその場を動けずにいたが、ぐっと握った手が小刻みに震えている。

誰も居ないその場所に怒鳴りつけると、くるりと踵を返してズカズカと大股で歩き出した。さっきまで青くなっていた顔が普段以上に赤みを帯びている。

 

先程の紫鯤の顔と言葉が頭の中でぐるぐると渦巻いて、歩く度にますます顔が紅潮していく

 

 

荒い歩みをピタリと止めると、怒気を孕んだ声が響いた。

じりじりと仲間の後ろに移動しつつ