女神の園へと通じる通路をミチエは歩いていた。
その後ろを騎士めいた出で立ちの白髪の小柄な少年が歩いている。
いつもの自警団の仲間ではない。
今回は、この地への抜け道を売ったのだ。
依頼の内容は、この少年をここまで引き入れること。
対価は既に懐の中だ。

本来はマシリーと共に障害を払う予定だったのだが
途中ではぐれてしまったのだった。
ミチエは見切りをつけて先へと急ぐ。
目的地さえわかっていればいずれ合流も出来るだろうと。
マシリーのことを心配する素振りは欠片も見せなかった。
ただ一言、小さく呟いただけだ。
「使えると思ったけど、案外めんどくさいゴリラね……。」



不意に、辺りに夜の帳が降りる。
暗闇に大きく水音が響く。ひとつ、ふたつ。

───それは自然のものではなく、霊的なものであり、夜の眷属の訪れを示す。
闇の中に浮かぶ白い鎧。内より吹き上がる蒼い焔。
夜の精霊───ナイトスピリット。
その手に掲げる邪なカンテラの灯りにつられて魚人達が水面から顔を出し
岸へと這い上がっていた。鍛え上げた男性と魚をない混ぜにしたような姿。
水音。湿った足音。

魚の頭部が大きく口を開ける。
開いた口には人のそれによく似た歯が並んでいた。
ひどく生臭い。

鎧が掲げるランタンから、耳障りな洪笑が響く。
話し合いは、期待出来そうになかった。
二人は刃と大型の刺突剣、それぞれの得物を構えてその歓迎に応じた。



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「ヒィヤァッ！？ ケケ……キ…ェ………」

爆風が、最後に残ったナイトスピリットを吹き飛ばした。
焦げ付き、歪んだ白い鎧をミチエのブーツが踏みつける。

「……夜の精霊、か。媒体としては最適だな。
　さて、どうする？ 私と契約するか、このまま踏み抜かれるか。
　好きなほうを選ばせてやろう。」

沈黙。そして、肯定と服従。

瓶から取り出した命の花を撒き、魔導書の封を解く。
赤い花弁を巻上げ、白い鎧が左右に開かれる。
魔導書の頁とともに開かれたナイトスピリットが触れる事無く手繰られ、ぴたりと停止。
一枚の夜色の頁となり、ミチエの身体へと取り込まれた。

解析と対話がはじまる。
ナイトスピリットからそのルーツを探り、潜む霊性を引き出すのだ。
夜の精霊。闇夜の眷属。地獄の火。
開かれ、停止した魔導書の頁は、メルンテーゼ北方の章。


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『リンテントポーゼの猟犬群』
吹雪の夜、犬たちの吠える声が空にいくつも響く。
それは災いの前触れ。死の前触れ。
夜空を疾駆する猟犬の群れが罪人の魂を狩り立てているのだ。
眼の代わりに爛々と焔が揺れる。彼らは肉ではなく地獄の火と闇を纏う。
その軍団の頭領である猟師は死神、或いは魔女、或いは去りし日の王。
七の星を司る七人の頭領達の率いる七つの軍団。

空からその声が聞こえたのならば
家の戸を堅く閉め、寝床にて朝になるのを待ちなさい。
森で出会ってしまったのならば頭を下げてただ通り過ぎるのを待つしかない。
死者への祈りを捧げるのを忘れぬよう。
決してその行く手を邪魔せぬように。
決してその後を追いかけぬように。
恐怖に満ちた夜の旅へと、猟犬の一群へと仲間入りをしたくなければ。


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「……ふぅ。」

契約者は命の花とともに血肉を与え、名を与えることで魔物を自らのエンブリオと成す。
内なる対話が終わり、ナイトスピリットであったものはミチエの内で
リンテントポーゼの猟犬群へと回帰/新生した。
だが、しかし。

「猟犬達ハ我ヲ頭ト認メタ！ コノ群レノぼすハ我ダ ミチエーリ！」

「ふん。所詮は犬同士、気が合うのだろう。良かったな？ 独りで寂しかったろう？
　まぁ、己の主が誰かさえ忘れなければいい。忘れたなら、思い知らせてやる。
　何度でもな。お前の主は、私だ。私の主は、私だ！」

「ククッ　強ガルナ？ サテ ソレモイツマデ保ツヤラ　……ガァッ!?」


犬の悲鳴が小さく響く。
ミチエが、呪いの鎖を苛立ちに任せて引いたのだ。
ヴェルトロスの首にかけられている不可視のそれを。
数回咳き込むと青いルージュの引かれた口元から、血が一筋垂れて足下に落ちる。

微かに、甘ったるい匂いが漂う。
偶然それに触れた不運な小鳥が、酩酊したかのようにふらふらと歩き
そして水辺に落ちた。

水音。


沈黙。

人形が起き上がって、ミチエの足元へ移動し。

小さくため息を漏らし。