愛することができる者は幸いである。
愛してもいいと思える者は。

自身が何かを、誰かを愛し慈しんだとき、それが損なわれるばかりだと思っていた。
私は疫病神で、だから何も望んではいけないと。
望めば望んだだけ失くしていくばかりなら、どうして求めていられよう。

あのひとにそっとくちづけた瞬間の、震えるような胸の底。

ずっと、愛されたかった。認められたかった。
生きていていいのだと、そう言ってくれる誰かが欲しかった。
自分自身がそうとは知らずとも、きっと。

今の私は、その欲を知っている。
知って、そして、おそらくはそれがなくても生きていけるだろう。
愛していられるから。

同じものが返ってこなくても、構わないのだと知った。
ただ、私が。 私がこの胸の中で、祈りを抱くことを許されるならば。
待っていていいと。 帰ってきてくれると。
そう信じていてもいいのなら、私はその灯を絶やさずに守って生きていける。

もうずっと遠い昨日。

あのひとがそう呼んだ日々。
私はずっと、そこにいた。
明日の来ることに怯え、眠れない夜ばかりを数えていた頃の遠い思い出。
それを思い出と呼べる今日までに、どれだけの月日が流れただろう。
私はようやく、“昨日” がすでに流れ去った過去であることを呑み込みつつあった。

独り見ていたあの長い長い黄昏を、私は確かに愛していた。
怯えと諦めに満ちていながらも、ただ美しい景色として。
自分がそこに交わることのない絵姿、私を排除して美しい場所。

黄昏は過ぎる。
どれほどに長くとも夜が来る。
私にも。

木の根に凭れ、いつものように、眠れない夜に眼を閉じて身体を休める。
そのつもりだったのに、私はいつのまにか、夢を見ていた。

浅い川の中を裸足で歩く夢。
遠い遠い場所まで、歩き続ける。

まぶたを開くと、朝が来ていた。
夜明け前、浅く掠れた意識が戻るのではなく。
ただ、普通に、光の中に目覚めていた。

私は何年かぶりに、眠ったらしかった。