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地を揺らす打音が、繰り返し響き渡る。

その日わたしたちが請けたのは、とある獅人一家の"説得"だった。
個体数の多くない獅人は種族全体の長を持たず、行動単位となるのは"家族"だった。
わたしたちの交渉相手だったラムァン家も、そんな"家族"の一つである。

"説得"の内容は単純。人間との狭間が広がるから、あまり人を殺さないでくれ、というものだ。
彼らは一家の縄張りに重きを置いており、最近の土地開発によって立ち入るようになった人間を、
領分を侵すものとして狩りの対象にしていた。
"人ではないもの"の立場としては、無遠慮に踏み入ってくる人間に対する不満は十分に理解できた。
それでも、数多ある"人ではないもの"と人間との敵対関係を明確に設定してしまうのは、
わたしたちの平穏な暮らしにとっては、余りに害が大きかったのだ。

速やかに彼らの縄張りにあたる土地を買収して、私有地として立入禁止にする手続きを整える。
だからそれまで騒ぎを起こさないで欲しい——大枠では、そんな交渉になるはずだった。

それが上手くいかなかったのは、結局のところ、どちらも負けず嫌いだったからなのだろう。



森深く、彼らの縄張りへと続く道。わたしたちがそこへ踏み入ると、呼ばずともすぐに彼らは顔を出した。

剣のような鉄塊と腰巻きだけを帯びて二足で歩く、獅頭人身の巨漢たち。
先頭を歩くのは一家の長、続くのは更に大きな——２ｍ半はあろうかという、その息子。
その巨躯と悠然たる態度にも関わらず、真正面から歩き来た彼らは、殆ど足音をさせなかった。

縄張りの端で立ち止まった彼らは、言葉なく、視線を『縄張り』の境界へ注ぐ。
踏み越えてみろ首が飛ぶぞ、とでも言いたげに。
わたしたちの交渉は、そんな険悪なムードからはじまった。



自分より弱い相手から隠れるのは嫌だし、何より自分より弱いものの言いなりになるのは嫌だ。
ラムァン家の長、サヴァ＝ラムァンの返答を要約すると、概ねそんな内容だった。
わたしたちを弱いと断じたのは、説得者のわたしたちが幼く、一見すると人間と変わらないからだったろう。

断っておくと、わたしたちのような若輩が説得者となるのは、さほど非常識なことではなかった。
外見と中身が乖離することが、"人ではないもの"の間ではそれほど珍しいことではなかったからだ。

とはいえもちろん外見を重視する相手というのもいて、威圧的な外見の説得者のほうが交渉が円滑に進むことはあった。
今回は、そうすべき相手だったのだろうと思う。

けれど。

『脆弱な者の声など聞くに値せん。生まれを恥じて、早々に去ね』

そんな物言いをしたのが、よくなかった。



「生まれ持った力がないから、勝てない、って？」
わたしの相棒は、全体としてみれば"人ではないもの"であったけれど——
「じゃああんたは、生まれ持った力があるから、"元々強いから"俺より強いって、そう言ってる訳か」
彼個人の主観としては、彼は鬼と身体の支配権を争い合っている、"人"なのだった。

「巫山戯るな。そんなことで、勝てると思うなよ」
だから"相棒"にとって、人だから人でないものに勝てない、なんて言葉は、看過できるはずがない。
「決めた。今からあんたを叩きのめして、提案を呑んでもらうことにする」

挑まれた獅人の長は、『俺俺、俺がやりますって』と逸る息子を目だけで制すると、
『小兎だろうと、容赦はせぬぞ』と、重い声を響かせながら一歩前に出た。



そして、現在に至る。



わたしの相棒である鬼人の少年は、その幼さからは考えられないほど強かった。
初手、サヴァは音もなく踏み込み、人に数倍する質量の拳を突き出した。
それは小手調べだったのだろうけれど、わたしには見えもしないほどの速度だった——にも関わらず。
彼は己に数倍する質量のその拳を、殆ど手の一振りだけで捌いた。
自分の付けた勢いに押されるようにして、一回転した獅人の巨躯が、地面へ投げ落とされる。

それは、合気に類する技。
体格差を覆すその技にどれだけの鍛錬を要するのか、わたしは知らない。
それでも、14歳という若さでそれを修めているのが普通でないことは、きっと間違いないわけで。
少年の運命を破るとの宣言が軽々になされたものでないことは、わたしにも伺えた。

とはいえ、サヴァも知恵を得た百獣の王。
猫科のバランス感覚と人に準ずる可動部を以ってなされた受身は、
身体を覆う強靭な筋肉と相俟って、ダメージを著しく減殺していた。
そして、その体格差——指一本でも少年の身体は持ち上げられてしまうだろう——は、少年に追撃を赦さない。
ふらつきもせずサヴァは立ち上がり、少年もただ、ゆらりと進み出る。
再び角度を変えて襲う獅人の爪を、少年は危ういところで受け流し、再び投げ落とす——

そうして、打音は繰り返されていた。
獅人の体力が尽きる気配は、ない。
動きは違えど、ひたすらに同じことが繰り返される動の膠着が、そこにはあった。
尤もそのループは、少年の集中力が切れるか、或いは獅人が会心の一撃を突き入れるかしてしまえば、あっさりと途切れてしまうだろう。
いつか訪れるかもしれない獅人の体力切れまで、ただひたすらに捌き続ける。
そんな分の悪い勝負を、少年は悪態一つつかずに続けているのだ。



じりじりした削り合いに見入っていたわたしは、横から上がった熱を孕む声で我に返った。

「存外骨があるではないか。このような面白い闘いができるのであれば、親父殿に譲るべきではなかったッ……！」

その声は、サヴァに付き従っていた、彼の息子のもので。
何だかとても、嫌な予感がした。

「是非！是非俺たちも仕合おうぞ！」

……ほらやっぱり。
相棒が見た目に似合わぬ手練だったから、わたしもそうなのだろうと勝手に思ったのかもしれない。
わたしは咄嗟に数歩下がって間合いを開け、制止の言葉を考え始める。
けれど、何故か相手にはそれが承諾に見えたらしい。

「俺の名はルヴネ＝ラムァン！いざ参る！」

「わた、わたしなぐりあい、は——」

こういう時は、自分の口下手が恨めしい。
わたしが言葉を組み立て終わる前に、目の前に獅人の大爪が振り下ろされて——



爪は、肩口を深く切り裂き、下へ抜けた。肩の半分は抉りぬかれ、左腕はなんとかくっついているという程度になっていた。


「ってえ…全く、邪魔しやがって——」


わたしではなく、割って入った相棒の肩を。


声には言うほどの痛みが篭っていなかったが、それは感覚が追いついていないからだろうか。
十分に、致命足りうる傷であるように、わたしには見えた。
彼と戦っていた筈の獅人の長は、既に戦闘の緊張を解いており、


『愚息が粗相をした。だがやはり、人は脆いな』


もう戦いは終わったとでもいうように、そう語りかけた。


『この程度の不測で幕切れとは。早々に治療せねば死ぬぞ』


対する少年にも、周囲へ発散するような闘気はもはやない。
ただそれは、死期を悟ってどうでもよくなったといった、諦観による理由からではない。


「本当、参ったね——」


もう、外に目を向けている場合では、ないからだった。


「つば、その、傷——」


千切れそうな肩を押さえて佇む彼の姿を見て、わたしは言い知れぬ不安を掻き立てられていた。
ただしそれは、彼が死んでしまうかもしれないといった、当然感じるべき不安ではなく。
彼と一緒に居て大丈夫なのか、などという、場違いな懸念だった。



裂けた肩から赫は湧き出し続けている。
それは流れ出しているというよりも、まるで傷口を包み隠しているようで——



人間として死に瀕すると、周囲のものを鏖殺しようとする。

初めに受けた説明が、彼の運命と聞かされていたそれが、現実感を伴わずに思い出された。



そして、赫が半分を占める程になった視界の中。
しゃがみこんでいた『それ』が、ゆらりと立ち上がった。
ちぎれかけの腕をぶらさげた姿は、先程から何も変わっていない少年のものだ。
なのにわたしは、それが少年であるとは、もう思うことができなかった。




——色気の欠片もない餓鬼を助けて瀕死とは、相変わらず冴えないな、宿主は




決して大きくはなく、しかし不自然なほど明瞭な声が、その場にいた全員の耳を叩く。



"鬼"の現出だった。





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あれは、俺の知るモノではない。

それが解っていて尚、カメルは得物を握る手に普段と異なる力が篭もるのを止めることはできなかった。
男が半生を賭して剣を磨き討ち果たした宿敵もまた、鬼を宿すと言われるモノだったからだ。
冷静になれと己を叱咤し、視界を広くとろうと努める。

傍らの露もまた、掌を強く握り込み、眼前の鬼を凝視していた。

「怖いなら、退っていてもいいぞ」

そんな言葉が出たのは、闘争心を抑えきれない自分を少女に見せたくなかったからかもしれない。
しかし少女は、退く気配をみせなかった。

「全然怖くない、よ」

応えたその声に、気負いはない。
鬼の風体に、恐れる要素は十分にあるというのに。
その様子には、さあ戦うぞ、という意気込みのようなものすら含まれていた。
——まるで、もっとずっと強い鬼を、知っているかのように。

抑えきれず、獰猛な笑みが洩れた。

「——奇遇だな。俺も、全く同じ感想だ」

自分の村のことをふれられ、て。

少しだけ表情を暗くしたかと思えば、すぐに表情を明るくしようとつとめたのか普段どおりの表情で

どうした？