△6-T



　達成感に包まれていた。ただこの時まで生きながらえ、衰えぬ為だけに、寿命を犠牲に老化の防止と復元力の強化を施し、数十年に渡って死線を潜り、技を磨いてきたのだ。人の力では抗うことのできないはずの『鬼』を、この刃で斬り伏せる為だけに。
　肉は欠け、骨は窪み、愛剣すらももはや、使いものにならぬほどに歪んでしまっている。右目は見えもしない。復元術式が機能していれば再生は行われるのかもしれなかったが、もはやそんなことは俺にとってどうでも良いことだった。


　仇を、討った。さぞかし無念であったろうに、最後まで自分たちに笑顔を向けてくれていた、彼女の仇を。


　ふと、見えない右目の向こう側に、懐かしい気配を感じる。仲間の気配だ。互いに年を重ねてしまった今でも、同じ志を持っていたものたちの事だけは、忘れたこともない。

　気配だけを頼りに、声を飛ばす。言葉の途中でごぽりと喉で血の泡が鳴り、呼吸が止まりかけ、意識に刹那の空白が生じる。

　——その遅れが致命的だった。同じ志を共有していたはずの仲間から放たれた殺気が、死角で膨れ上がった。何事かと身構える自分と、全てを終え何への興味をも失った自分が乖離し、反応は更に緩慢となる。原因は分からないが、今さら同志に殺されるとしても、そんなことは大きな意味などないとすら感じた。首を回し、左目を向けた先には、激昂し襲い来るかつての仲間と、



　何の気配もなくただ無機質に肉薄していた、無表情な『彼女』がいた。



　今度こそ、呼吸が止まった。

　何故彼女が、生きてここにいるのか。
　何故、何の気配も感じられないのか。
　何故、自分を攻め立てるのか。　



　そして何故、無念を晴らしたその直後に、初めて『笑顔』でない顔を向けるのか。



　何一つ分からないまま、何かを仕込んでいるらしい傘が、振り返った自分の左肩に突き立つのを感じる。
　そこで、意識は暗転した。







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　一般論だが、メルンテーゼの農民は専門的な戦闘訓練を受けるものではない。世界に数多存在する怪物を制する必要こそあるものの、それらは専らエンブリオとの契約による力によって行われるものである。そして、エンブリオの力によって豊かさが保たれていたこの世界では、村落間の争いといったものは基本的には必要とされておらず、ヒトを殺すための力というものは、一般的な農民が一般的に過ごして手に入る類のものではなかった。

　であるから、人間に対して威力を行使すべく存在する兵士を相手取った場合、メルンテーゼの農民が抗しうる方法は、救けを求め他を頼るか、多くの犠牲を前提として数の暴力に頼るか、といったものしか存在せず、つまり『自分以外の犠牲を強いる』方法によってしか、勝算のある戦い方など無かったのである。事実、カメルのいた村落の者は、その場ではネクターを差し出しやり過ごしてから、有力者の会合によって奪還を試行するか否か、試行するとして誰にどうやって助力を求めるか、喧々諤々の議論を数日も繰り広げることになる。

　そんな騒ぎをよそに、彼は——カメルは、村落の入り口にほど近い路上に横たわっていた。胸に空いた大穴から生命が零れ切る前に見付けることができたのは偶然だったが、とても「不幸中の幸い」などと評する気にはなれなかった。
　近くには、虫の息になった兵士が三人、転がっていた。独りで農作業をさせておくのが申し訳なくなるほどに細い腕で、一体どうやってこれだけの戦果を得たのかは分からない。

　傍らに立つ俺の気配を察したのか、カメルが目を薄く開いた。差し出された震える拳の中には、一握りの、鮮やかな花弁がある。

　先刻、兵士がネクターの徴収に訪れた時、多くの村民は苦悩しつつも、これに応じていた。頭数を揃えた一揆でもない限り、この世界の農民は兵士に勝てない。個人としてその場で採りうる選択肢は、服従か死しかないのが多くの農民の実情だった。しかしカメルは違う筈だった。カメルの横には俺が居て、俺はカメルが促しさえすれば、雑兵の数人如き、斃す覚悟は十分にあったのだ。それでもカメルは俺を制し、ネクターを差し出した。だから、カメルは戦う気がないのだと、そう思っていた。その真意に気付いたのは、村落会議にカメルの姿が見えなかった時だった。それはあまりに、遅すぎた。

　そう言ってカメルは、消えかけた生命を揺らして微笑んだ。出会った時からずっと、この男は笑顔しか見せない。俺が何故いつも笑っているのかと聞くと、泣いたり怒ったりしているよりも周りが気分いいだろう、と子供のような理屈を返したものだった。お前の感情は何処へやるのだと内心毒づきつつも、余りに自然に、心からそう思っているように『周りが笑顔になるように』というものだから、俺は何も言うことは出来なかったのだ。

　そんな、馬鹿みたいに綺麗な、綺麗すぎて馬鹿な人間というものが実在したのだという事を、今更になって理解する。カメルだけではなかった。『彼女』の微笑みも、同じだったのだ。数年間共に暮らしただけの友を喪ったことで、数十年想い続けた高嶺の花の色の意味に、漸く辿り着いたのだ。

　こんな『終わってしまった男』の為に、お前が犠牲になることなどなかったのに。彼女を理解せず、その希望を裏切っただけでは飽き足らず、お前まで世界から喪わせる俺の希望など、叶える必要はなかったのに。

　俺も、お前以上に馬鹿だったけれど。しかし今となっては、彼女(つぼみ)もお前(カメル)も、自分の為の仇討ちなど望まないことは、もう十分に分かった。俺の大好きだったお前達は、ただ俺が——周りの者達が、何かを犠牲にしないことを……自分自身の望むままに生きる事を、願うのだろう。


　——ならば俺は、お前達を世界から喪わせたくなかった俺は、お前達が生きていれば、したであろうことをしよう。自分を犠牲にするのではなく、それが俺の望むままの生き方だ。




　終わってしまった鍔鬼は棄てよう。ここからは農民カメルの生き方で、農民カメルの如く馬鹿な理想を抱えて生きよう。ほかの誰でもなく、俺がそうしたいと感じたから。お前を、お前たちを世界から喪わせるのが赦せないほど、俺はお前たちが好きだったから。




　では手始めに、ネクターを奪い返しにゆく算段を練るとしようか。幸い手元にはネクターがあるし、エンブリオと契約するとしよう。そして、村の誰も犠牲にすることなく、皆の豊かな暮らしを取り戻す——そんな現実離れした、馬鹿な絵空事を叶えに行くのだ。

　悪王も兵士も切り伏せてゆけばいい。農民カメルとして、斬れる事のない鍬の柄で。


△Fine

(六命Eno.442/1816[特に三日目]と関係しています。六命の続きのようなネタに一票投じて頂きありがとうございました。)

花蓮は少し大仰に目元に指をブリッジへとあて、眼鏡をつり上げた。
そして、その指を下ろしたときには、少し意地悪めいた表情に変っていた。

それは敵意とか殺気といったものとは無縁の表情だった。

そこで再び、花蓮はブリッジに指をあて、眼鏡をつり上げた。

脇にいた龍は、もったいぶった女だ、と小声で毒づいた。