夢を見た。不思議な夢を。
その中での私は、主人公だったのだ。


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　私は、『聖ケントニア魔術学院』の教室の中に一人立っていた。
いつものように相棒の短剣、『ブルート』を右手に持って。
窓から夕陽が差してきている。皆はもう帰ってしまったのだろうか。

　この教室にいたのはどれ位前だったろうか。正確には思い出せない。
ただ一つだけ分かるとすれば、ここが現実ではもう行けない場所だという事。
何故なら私は、ここにいた過去さえも、『向こう』に置いてきたからだ。

「……」

　いいや。あるいは、こうして夢の中にまで過去の情景が現れるという事は。
捨てきれてなかったのだろうか。過ちだけで形作られた私のこれまでを。
そんなはずは無い。私はメルンテーゼに来る時、全てを置き去りにしたはず。

　迷う。戸惑う。ここは私の心でできた空間なのに、私は自分の心が分からない。
——違う。分かっているんだ。私は自分の事を『道具』であると定義したから。
私はブルートを握りしめる。でもあの時のように、言葉を返してくれるはずもない。

「あ、っ」

　ふと気づけば、窓の外が暗くなっていた。私はそんなに長い間、考え事をしていたのか。
『帰らなきゃ』と直感的に思う。何処にだろう、と考えると、自然に苦笑いが漏れた。
私の帰る場所はもう、この世界には存在しない。それだけは、はっきりとしているだろう。

　そう考えていた時だった。ふと、静寂の中にぱたぱたという音が聞こえる。
足音だ。それを聞いた私はなぜだか、反射的に戸棚の影に体を隠してしまった。
忘れ物でも取りに来た生徒だったのだろうか。夢の中なのに、妙にリアルだ。

「……」

　入ってくるな、と思う。この教室にだけは来て欲しくはない、と。
見つかりたくなかった。歩いてきた生徒に見つかったら何かが壊れる。
確信めいた思いが胸の中で渦巻いて、気分が悪くなってくる。
小さな声で呟く。来るな。来るな。この教室にだけは、入ってくるな。

　——からから。その声を裂くように、ドアの開く音。

「ッ！！」

　びくん、と私は体を強張らせる。誰かがここに入ってきてしまった。
誰かいるかな、という小さな問いかけの声。高さからいって女性の物のようだ。
私はそれに返事をしない。返事をしたら私がいるのがバレてしまうから。
答えがないと安心したのか、足音が響く。自分の席に向かっているのだろう。
大丈夫。このまま静かにしていれば、なんの問題もなくやりすごせるはずだ。

「……」

　そうだ。まだあの子は、私がここにいるということを知らない。
だから、少しくらいなら向こうの様子を観察してみても、大丈夫だろう。
何故だか私はそう決めつけて、棚からこっそりと顔を出した。

　教室に入ってきていたのは、茶色の髪の女の子のようだ。
きょろきょろと不安げに周囲を見渡しながら、目的の机に向かっている。
やはりこちらに気づいている様子はない。私は安堵の溜息をもらした。

　そして、女子生徒は自分のものであろう机に辿りつく。
——私は、彼女が隣に立っている机を見て、愕然とした。

「……それ、は」

　それは、私が学校に通っている頃に使っている机だった。
間違いない。多少魔法薬で焦げた脚、ルーンの落書きがある引き出し。
あれは、私のものだ。あの子の机である以前に、私の机なんだ。

　叫びだしたくなるのをぐっと堪える。眩暈にも似たような感覚を覚えた。
それは私の物だ。あなたの物じゃない。不快と拒絶が渦巻く。
さっき自分の場所はここにはないと、確認したばかりなのに。

　私の捨ててきた世界が、私のいた場所が、埋められていく。
海岸に描いた絵のように、本当に何もなかったように、消されていく。
そのことに気付いた瞬間、私は心の奥底を深く抉られるような思いがした。

「だ、め……」

　拒絶が口をついて外に出る。駄目だ。許されない。
それだけは、許したくない。いくら、私が捨ててきた場所だとはいえ。
『ミモザ＝ブルーメンタール』の生きた証を、消されてしまうのは。

「……ッ！」

　声に気付いた女の子が、私の方を見る。視線と視線が重なり合う。
色のない瞳がこちらを射抜く。なぜあなたは此処にいるのかと問いかける。
——私はそれに答える術を、一つだって持ってはいないというのに。

　いや。たった一つだけある。答えを出す方法。
私は右手に握った相棒の呪短剣、ブルートをちらりと見やった。

　そうだ。夜は闇の住人の空間。殺意を鞘にしまう必要なんて無い。
『Rotenwein』の名の許に、こんな少女一人、亡骸に変えてしまえばいい。
そうすれば、『ミモザ＝ブルーメンタール』の居場所は守られるはず。

　私は一直線に女子生徒に向けて駆け出す。ブルートを順手に構える。
女の子は動かない。私のことなんてまるで気にもとめていないかのように。
だから私も、何のためらいもなく、この子を殺してみせる。

「はああぁ——ッ！！」

　踏み込む。もう手は届く。いつも通り、心臓へ向けて一撃を放つ。
銀と赤が閃く。貫いた。確実にあの子の命を奪えるであろう刺突だった。

　だけど。私の手には何の手応えも残らず。
右腕は、雲を突いたようにすり抜けてしまった。

「……えっ」

　怪訝に思って見れば、女の子の姿はもうどこにもない。まるで霧か幻かのように。
おかしい。今の今まであの子はそこにいて、私はしっかり狙って攻撃したはずなのに。

　周囲を見渡す。誰もいない。教室に残されたのは静寂ばかり。
ただただ私の荒い息の音だけが、真っ暗な空間の中で嫌に響き渡る。
左手を胸に当てて、数度深呼吸すると、その音さえも消えていった。

「……」

　落ち着いた。私は、『Rotenwein』は、あの女の子を振り払えた。
『ミモザ』のかつていた場所を、見知らぬ存在から、護り遂せたのだ。
それなのに、何故だろう。心の中がざわついて、乱れて仕方がない。

　周囲を見渡す。誰もいない。水を打ったように教室の中は静かだ。
探す。私以外に人の気配はない。この教室に入ってくる人は、いない。
——それなのに、どうしてこんなにも、嫌な気配がするのだろうか。

　私は耐えきれなくなって、教室の外に出ようとする。
刹那。突如として教室の中に、甲高い警報の音が鳴り響いた。

「——ッ！！」

　あまりの強烈な音に、私は驚いて足を止めてしまう。
これは確か、記憶が正しければ、不審者が入ってきた時の物だったはず。
状況は分からないが。おそらく、サイレンの示す侵入者は。

「私の、こと？」

　そうだ。『スプリゲート』においての私は、ただの外敵にしかすぎないのだ。
その私が、この世界に住んでいる普通の人間を、一撃のもとに跡形もなく殺してしまった。
だから、拒絶反応を起こした。スプリゲートが私を、弾き出そうと決めたらしい。
私はその事実を理解した瞬間に、弾かれるようにして教室の外へと駆け出していった。

「はあ、ッ……！」

　真っ暗な廊下をただただ私は走っていく。行くあてもなく、まっすぐに。
どこまで走っても先は見えない。それでも私は、ただ走るしかなかった。

　——世界まで、私の居場所を奪うというのか。
『ミモザ』の在った証を、完膚なきまでに消そうというのか。

　世界は私に向けて刺客を放つ。制服を着た少年少女が、目の前に現れる。
きっとこいつらも、あの女の子と同じだ。『私』の居場所を奪うべく、現れたんだ。
だから『私』も容赦はしない。夜は闇の住人の時間だから、私は誰でも殺せる。

「ああああああああぁぁッ！！」

　叫び声とともにブルートを振るう。一度、二度、三度と。
そのたびに無数の生徒たちは、一人また一人と雲散霧消していく。

　振るう、消える。振るう、消し飛ぶ。振るう、散る。振るう、死ぬ。
容赦はない。私は、『Rotenwein』は、夜に悪を裁く暗殺少女なのだから。
眼前に映った者を殺す。今までのように。これからもそうするように。
私から奪うというのなら、何のためらいもなく、私は刃を振りかざした。

「……ッ」

　なのに、私は、私の居場所を守っているのに。
どうして心の中に寂しさが広がっていくのか。

　分からない。でも私は殺しを止めることなんてできやしない。
一つ護っているはずなのに、私はまるで満たされない。
この感情は何だっていうんだ。私の胸の中を支配するこれは。

「ッッ、あああああああああ！！」

　訳が分からないまま、私は刺す。振るう。殺す。殺し続ける。
夜は私達闇の住人の世界だから、誰が来たって殺すことができる。

「……違う」

　殺す。私の居た場所を守り通すために。
殺す。たとえ寂しさで狂いそうになっても。
殺す。今は夜だから、誰でも——。

「——違う、違うッッ！」

　ようやく私は気がついた。だけどもう、止まれない。
振るう。私の大切な人たちの命が、この世界から失われていく。
殺す。それが私の過ちであると、理解しながら。

　——そうか、私は。
自分の手で『居場所となれるもの』を殺していたんだ。

　止まれない。私は殺していく。目の前の大切な人達を。
メルンテーゼで出会った人たちを。フィアを。ヘイアンを。
殺したくないのに、自分の意思では止められなくて。

「嫌、嫌だ！！　止まって、止まって——！！」

　殺したくない。私はもう誰も殺したくはない。
大切な人を何の想いもなく殺せるほど、私は落ちぶれたくはない。
それなのに、どうして。私はまた、間違えたっていうのか。

　そうして、影は残り一人になっていて。
私の体は、私の意思に反して、その少女へと刃を向けた。

「——ッッ！！」

　声が出ない。腕に、はっきりとした衝撃が残る。
ああ、そうだ。何故なら私は、この感覚を『知っている』からだ。
刺した対象を見る。ああ、あの時とまるで同じ表情をしている。

「……ごめん、なさい。……ごめんなさい、ミモザさん……」

「ナコ、リ」

　手が震える。やめて。そんな瞳で私の事を見ないで。
涙があふれてくる。『親友』はいつも、こうだった。
私の事をまるで責めようともしない、安らかな瞳で。

　私の体に、手が回される。
冷たい手。もう体温なんて残されてはいない手。
それは、数秒と持たずに、だらりと落ちた。

「……ッッ、ああああああああああああああああああッッ！！」

　ああ、そうか。だから私は、間違ったんだ。
きっと『それ』に気付けなかったから、私は、罪を犯したんだ。

　だから、私は。
夢の中でだけは、きっと『わたし』でいたくて。

　私は、主人公だった。
どこまでも愚かで自分勝手な、主人公だった。


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「……ミモザ。起きろ、ミモザ」

　聞きなれた男性の声に、私ははっと目を覚ます。
嫌に汗をかいている。よほど今晩は寝苦しかったのだろうか。
顔を向ければ、ヘイアンは心配そうにこちらを見ていた。

「随分うなされていたようだが、大丈夫か」

　どうやら私は、何か悪い夢を見ていたらしい。
それがどんな夢だったかは、まるで私は覚えていないのだけれど。
『持ち主』を心配させるのは悪い。即座に私は『仮面』を被る。
笑顔を浮かべ、小さく息を吐き。彼の質問に答えるべく口を開く。

「アハハ。そんなに心配することはないよ、ヘイアン」
「ちょっと私がおかしかったからって、大げさなんだから」

　沈黙。ヘイアンはわずかに苦い表情を浮かべているようにも見える。
何か私は、また間違ったことを言ってしまっただろうか——。
そう思ったものの、彼はすぐに笑顔を返してくれて、私は安堵した。

「ああ、すまないなミモザ。俺も少し気が立っていたらしい」

「いいっていいって。最近いろいろあったし、仕方ないよ」

　実際に、数日前からフィアの疲労は特に顕著なようにも思える。
有事に慣れている私も疲れていて当たり前——彼がそう考えても仕方ない。
事実私も悪い夢を見たらしいし、普通の体調ではないのは確かなのだから。

「……ああそうだ、ミモザ。今回の練習試合の相手だが」

「ん、今日は誰と戦うの？」

　練習試合。この前は術の威力を試そうにもうまくいかなかった。
今日はある程度、きちんと考えて戦う事ができればいいのだが——。

「柊魔異と、そのパーティメンバーだ。準備をしておけ」

「……ッ」

　ずきん。

　ヘイアンの出した名前を私は知っている。彼とは言葉を交わしたことがある。
そのマコトとの練習試合だ。お互いの力量を知る上で、とても楽しみな戦いなのだけれど。

　何故だか胸の奥が痛むような、寂しさが体を支配していくような。
そんな感覚を、私ははっきりと感じていた。

大丈夫だ。私は何があっても『道具』であれる。
痛みも、違和感も、全て押し殺してみせよう。

顎に指を当てて"湯屋のない世界"を勝手やたらに考えている。
と、ミモザから湯屋に来る旨を聞くとぱっと顔を輝かせ

『妖精界』という単語をフィリアスが発すと、シュウスケが「ああ、」といって付け加えてきた。

一度、強く瞼を閉じて、またゆっくりと開く。
少女の言葉が意味するところは、とても大きく、重かった。

　『特別な力』は、やはり世界に縁るところが大きいのだろうか。
　そういった思考を過ぎらせながらも。

彼女の身体には一回り以上も大きい、コートの裾を軽く摘まんで。
揶揄してみせながら、笑った。

今までそう言った人間は、唯一人しかいなかった。
今まで自分のいた世界では、その一人を除いて、誰もが彼の右目の『異常』に
恐怖と嫌悪を抱いていたのを思い出す。

少女が不意に撫ぜた呪短剣が、視界に入った。

早々に追い払う積もりで放った言葉であったが、少女の笑みは消えない。
むしろ少女は、此方の想像を否定しながら距離を詰め、更に近付こうとしていた。

フィンの瞳には、少女から漂い香る違和感は、先ほどまで映っていた幻影と同じ。
不穏な商人たちと、乖離させ切ることは未だ困難であるように思われた。

少女の笑顔の裏側を見出すことは出来ない。
再び距離を取り、離れようとする。

だがしかし、続く少女の言葉がその足を押し止めた。

己から何かを見透かそうと、少女が探っていることは間違いない。
だが、未だそれは見えず。

長らく連れ添った相棒の纏う静けさ、其れとは全く異質の静寂が目の前に。
フィンの瞳はいつしか、ミモザの所作を注意深く観察し始めていた。

輪切りになったにんじんが貴女の前で左右に揺れて踊っている。
下半身は離れているため、もしあなたが離れようと思えば簡単に逃げられるだろう。

にんじんはどうやってもにんじんを食べさせようという雰囲気である。
毒々しい見た目だし食べたら悪いことがあるかもしれない……。
お腹が痛くなるとか、変に陽気になってしまうとか………。

——ずきん。
忘れていた胸の痛みが、私の体を苛む。

違う。気のせいだ。この痛みは、偽物だ。
小さくふう、と息をついて、私は微笑む。

まだ、胸が痛む。海象やセイレーン、兵士と戦う時にはなかった痛み。
——違う。気のせいだ。私はそう自分に言い聞かせ、心を律する。
そして、『仮面』をかぶる。彼らや仲間たちに、違和感を抱かせないため。

ぽつり。
呟きながら、剣を引き抜く。
正眼に構えた刃の向こう——濁った瞳の内に宿るのは、眼差しよりもなお鋭い光。

おもむろに柄から手を離すと、先程呼びかけた少女の肩に軽く手を置いた。