──すまない、　私の友だち。

　　　　　　私は、君を助けられない。



---



故郷を出て、否。故郷を見捨ててから数えて947日目。

ついに、それ以前から連れ添ってきた　きみの声が途絶えた。

出来事として、日記に記す。

もっとも、それ以前より終わりはみえていた。

私も、君も、いずれは訪れるだろうことも理解をしていた。


それでも、今、私は悲しい。




私がここに居を構えるようになって、
流行病におびえていた住人たちは、その恐怖からは開放された。

治癒の奇跡だなどと、皆は喜んでいるが、
何のことはない。私にとっては、代償行為にすぎない。

故郷を見捨てたことから目を背けたくて、
そうして誰か他の人間を助けることで、
感謝の笑顔を、自分の後ろ暗い傷に塗りつけて、
そうして逃げているだけなのだと思う。


それに、君が永らえるには食事が必要だった。

病食いの悪魔。私の友。


　　　　の病を、その身に受けるための一族。　私の最初の友達。



けれど、




うすうす、君も私も気づいていたことではある。

予兆はあった。


故郷を離れて、食事を取るたびに、元は白と黒の混じっていた
君の体は、どんどん黒ずみ、だんだんと、形すらとれなくなっていってしまった。




外でする食事は、君には合わなかった。

気候？それとも人種か。何が原因だったのかは判然としない。

それとも、この土地の、皆がいう神さまではなく、
私たちの、よく知るあの黄金の神の、その加護をなくしてしまったからだろうか。


病食いの悪魔。君の腹の中に収められた病気らは、
本来、天敵であるはずの君を内側から蝕んだ。

私たちが、それと気がつかない間に。


いや。君は、君だけは、気がついていたのだろうか。

殺意ですらない愚鈍さで、君を殴り殺そうとする私を、
君はどんな目で見ていたのだろう。

からかうような笑い含みの声しか思い出せない。



君の声が聞きたいと思う。



--------------


君を殺したのは私なのだろうと思う。

私の逃亡につきあわせて、挙句に君を君では無くしてしまった。


------


私と君との契約は日に日に縺れ、解くことができなくなっていることを感じる。

私は知っている。君が食らった病たちが君の腹の中でお互いを喰らいあい、
君を通じて私の体を蝕み、今なお成長を続けていることも。



このままいけば、やがて私という殻を食い破り私と君を喰らった病は
周辺一体の人間を、麦を、野菜を、木々を、すべて蝕むだろう。、



私と君以外の者たちのことを思う。ここにとどまる間に、
私と──君に、よくしてくれた善良な人々。


彼らの笑顔を思うとき、私の頭には
君を滅するべきなのではないかという思いがよぎる。



けれど、



できない。

どうしても、それだけは。




私の友達。


私の体を蝕む腐食が、君が私を喰らっている証だ。

言葉交わせなくとも、姿が見えずとも


私にとっての君は、まだ、生きている。




-----------------------------------------------------------

息を吐いて、読み返していた紙束の文面から、視線をはずした。

唯一、同病を患った人間の手記を机の上に投げ出す。



聖人 アウグストゥス。

「グレイマン・スモーキー」が所属する修道院の開祖。
治癒の聖人。
病を直す奇跡を起こす医者。

慈悲深く、誰でも受け入れ、金も取らずに他者を癒したという聖者。




俺が病持ちになる原因になった、『日記』の書き手。



--------------

そう言って、一息置いてから。

見せられた瓶。どろりとした赤黒い液体だけど、きちんと液体の形をしているあたり、鮮度には問題ないだろう。
それでも、その資料を受け取る素振りはない。

『ブラックデビル』。
……どういう意図の元でつけられた銘かは不明だが、面倒なジョークとしてはよく出来ていた。

それを迂遠な言い回しをしたグレイマンの言葉に口元の笑みと僅かにすくめた肩で返す。

ふわり、と手を虚空をかき混ぜるように回せば
「暴走」した時の兜が掌の上にカシャリと乗る。

———　そうして、握りつぶすようにして兜が紫色の粒子に代わると一拍置いて料理がやってきた。

料理が配膳されるのを眺めながら、そう笑った。



配膳が終わり、静かに再び従業員が退場する

名に対するややそっけない回答に対して少しばかり歯切れの悪い応えだったが、
そのままグレイマンの言葉を待つ。



———　そう　長くもないな


短く切られたその言葉に対するリレッタの反応は僅かで、けれど、顕著だった。

ビクリ。と肩を震わせ、視線を外す。
その表情は、「予想通り」と「悔しさ」が合わさったような、
言ってみれば現実の直視を避けるような表情を見せていた。

「……理由は……既に、お解りで？」

視線を合わせないままに、そう問いかける。

ドアのむこうの声に手を止める。
思ったよりも遅い反応に、そんなに広い部屋があてがわれていただろうかと
片方の靴で小さく床を踏み鳴らす。

考え事をするように、グレイマンを見上げながら
殊更ゆっくりと歩を進め——目を見開く。

開かれたドアへ入るなり、完全に閉まるのも待たず
グレイマンの襟首へ掴みかかろうと勢い良く振り返る。
扉が完全に閉まっていないからか、声は押し殺しているが
そうするまでに数秒、声量を抑えるための間があったかもしれない。

マァムブ内のいずこかで。
グレイマンの連れてきた医者の男に、巻き毛の少年が声をかける。

遠慮がちに、言葉を選びながら、しかし張りつめたような空気を隠しきれず。

歯切れの悪い言葉が続く。目元は赤く腫れている。

考えるような仕草を見せて、暫し。

スプーンが軽い音を立てて、テーブルの上に置かれる

おもむろに立ち上がり、グレイマンの頬を目掛けて平手を放つ。

男が口にしなかった言葉をはっきりと吐き出す。

テーブルの上からコーヒー分の代金を取り、そう言い残して支払いへ向かう。

——硬い床に響く低いヒールの音が緩やかに止まる。
青年は落ち着きなくポケットを探ると、一枚のコイン状の石を取り出した。
裏表を見せ、親指で小さく宙へはじく。

この先への運命を導くかのように、嘲笑うかのように、
それは翻りきらきらと光をはね返しながら、手の中へ落ちた。


——　Ⅶ.鎖＜裏＞


コインの中の輝石が黄金の光を孕む。
縦横無尽に走る鎖のように、時折黒い影の線を走らせながら
やがて溢れだした輝きはそれすら飲み込んで
見上げるほどにあまりにも巨大な、十三の瞳が開く。

かつての黄金郷、カダイエの守護者 エンブリオ・マァムブが、目覚める

瞳は強烈な輝きを放ち、周囲一面を黄金の夕焼けに染め上げる───

マァムブの光を背に受けるは一組の＜メルンストゥーラ＞を持つ使徒
対峙する者らには見えるだろう、その黒き影が伸びる様が。

——　マァムブの覚醒が契約者達に変転をもたらす！

縋るように自らの体を抱きながら。
レグルスの躰から色鮮やかな羽が、血が吹き出すかのように、溢れ出る。

黄金の中から一羽の鳥と、一人の長身の男が、姿を表した。

十三の黄金の眼が煌々と周囲を照らし、夕暮れの輝きに一帯が染まる。
獣の吠え声に似た音を喉から絞り、猫背ぎみの細い影が身を折った。

けたたましく昏い笑い声が上がる。

影が長く伸びる、しゅるしゅると蛇に似た蔦が男の足先から這い登り、
丸められた背中から蝙蝠の翼が左右に飛び出す。、