「主様が、死……？いえ、それはあり得ないはずです」

　ダリアは混乱しつつも、死はあり得ないと否定する、何故ならば——

「——死んでいたとしたら、私がこうして存在していることがありえませんので」

　そう、自身の生存だ。
　そもそもダリアは元はと言えば《羊頭》であり、人間のような恰好はしていなかった。いや、正確にはするのは可能ではあったが《ネクター》が足りずにそうすることが出来なかった、というのが理由なのだが。その《ネクター》を補充し給与しているのはダリアと名付け契約したほかならぬ《風斬東》であり、彼がもし死んだとしたのならば——ダリアが今生きているはずがない。つまりは、そういう事だった。

「いいえ、死んだわ。《風斬東》は死んだのよ」

「——主様が死んだとしたら、私はここに居ませんので。
　私がこうして存在していることが主様の生きている理由になりえるかと」

　その一言を受け、木蓮はくすりと嗤う。気丈にもダリアは目線を合わせ続けているが、気が付けば背後には壁が迫っていた。

「ええ、そうね。《名もない怪物》はまだ生きているわ」

「それが主様ではないと？」

　そうダリアは口にして、ふと気づく。風斬東は《何者だったのか？》と、気づいてしまった。彼が語る内容を聞く限りではドラゴンとして元の世界では名を馳せており、決して弱者ではないはず。しかし、どうだろうか。この間訪れた《ドラゴンマウンテン》での《ドラゴンとそれを従えるモノ》との戦いにおける、敗者はどちらであったか？

「いえ、主様であって、主様ではない？」

　そもそもとして、《無数にある平衡世界》の《どこにいるかわからない姉》を《独りで探す》こと自体が、可笑しい。妹や弟がいるならそちらにも頼むべきではあるし、独りで探す理由になりえない。

　　では、あの風斬東は偽物だった——？


「いいえ、確かに数日前までは《風斬東》が存在したわ」

　くすくすくす、と笑いながら木蓮はダリアに伝える。

「ひとつ、昔の話をしましょうか」


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「そもそもの原因は、数か月前に起きた《一つの世界が閉じられた》事件につながるわ」

「私たちが生きている場所には《無数の世界》が広がっているのよ」

「例えば、機械と言われるモノが発展し、それに乗り戦うのが一般的になっている世界」

「世界の大半が水に沈み、水中に暮らすことが当然となっている世界」

「竜が居る世界、神々が住まう世界、魔法がある世界、魔法と言ったものが一切存在しない世界……」

「そんな無数の世界から、私一人を見つけ出すなんてまさにナンセンスよ」

「おっと、話がそれたわね。
　——だから《風斬東》は限りなく自分に近い《分身体》を派遣しているの。一つ一つが風斬東であり、風斬東ではないモノなんだけども」

「まぁ、と言ってもこれを身に着けたのは私を探している最中に、だそうけどね。管理し切れるのもせいぜい十にも満たない数らしいわ。」

「……ふぅ。さて、それでここに居た風斬東の話をしましょう。
ここに居たあいつは——とある世界が《閉じられた》時に追い出された《絞りかす》のようなモノだったのよ」

「不幸だったのは、あいつが降り立った直後に閉じられたという事ね。
　世界に《定着する》前に世界が《滅びた》。その時の風斬東だったものは、どこに行ったのかしら？」

「正解は《世界のハザマに取り残された》よ。どこに行くこともかなわず、良くわからない思念体が一つ出来上がったわ。風斬東をベースとしたものがね」

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「一息に説明すると疲れるものね……。紅茶を頂けないかしら」

　木蓮はため息を一つつくと、近くにあった椅子に座る。一方でダリアは先ほどの説明を脳内で反芻しながらも自分の仕事を全うにするために動き出す。しっかりとした手順を踏み紅茶の準備し配膳を終えると、木蓮のすぐ横に立つ。

「お待たせ致しました。こちらになります」

「あら、良い匂い。ありがとう、いただくわ」

　木蓮が紅茶を楽しんでいる間、沈黙が訪れる。
　その間にもダリアは考える。絞りかすという割には、少なくとも数日前までの自身の主の事を風斬東と認めていてくれた。つまりは《本物》に準ずる者であったことは確かであろう。しかし一方で、数日後からの風斬東は《偽物》と断じる。……あの日は何があったのか、そう、つまり《ドラゴンマウンテン》での敗北だ。
　あの日以来、どうにも主様の雰囲気が変わった。まるであり得ないものを見つめるかのような、いいやそうではない。《何もなくなったかのような》そんな錯覚を覚えるほどの表情と言動になっていたはずだ。

「くすくす、気づいたのかしら？」

　ダリアが思索に耽ていると、木蓮が面白そうにダリアに尋ねた。

「はい。……いえ、変わった様子があった日が数日前に起きたことを思い出したのです」

「へぇ、それは何？」

「——主様が、木蓮様の置手紙に気づき、ドラゴンマウンテンに向かい、そこで敗北した日から、様子が」

　木蓮の笑みが深まる。子供の成長を見守る母のような表情でダリアに微笑む。

「そういう事よ。——さて、それでは答え合わせと行きましょう」

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「良くわからない思念体となった風斬東は、どこでもない空間。世界の狭間に取り残されていたわ」

「そしてとある日《この世界に現れた》無数の存在に引っ張られてここ、《メルンテーゼ》に訪れる事が出来た。風斬東と、世界の狭間にある無数の存在が合体した《名もない怪物》が、ね。」

「はぁ、良いわ。それでこの世界に降り立った《風斬東》は持ち前のポテンシャルで《名もない怪物》たちを押しのけて生きていた。——あの日までは」

「元々、不安定な術であり、さらには不幸な事故も重なりなおの事《不安定》になっていた《風斬東》は一瞬で《乗っ取られた》のよ。情けないわねぇ、全く」

「まぁそれだけ《あのドラゴン》たちに負けたのが不味いことだったのでしょうね。
　それに、風斬東足る所以の《私を探し当て出会う》というのを目の前で取り上げられてしまった」

「だから狂ってしまったのでしょうね。綱渡りのように存在していたモノがついに、ともいえるのだけれど」

「バグのような存在でも、風斬東であったことは変わりないわ。
　——だから、引導を渡しに来たの。
　不愉快なのには変わりがないのよね、全く持って度し難いわ」

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「さて、以上で終わりよ。」

「ありがとうございました、木蓮様」

「いいのよ、こちらもお願いがあるのだから」

「お願い、とは？」

　ダリアは首をかしげる。自分が主だと思っていた人物が消え去ってしまった。そして、その時もらっていたネクターも、いつかは給与されなくなるだろう。他の契約していたエンブリオたちへの解説と、契約しないながらもついてきている者たちへの説明をどうするかと、悩ましているところに木蓮のお願い、だ。
　これ以上何か悪いことでもあるのだろうか、と一瞬身構える。が、それを見た木蓮はくすりと大丈夫よ、と微笑みながらその願いを口にする。

「単純よ、——《名もない怪物》との契約を切って、私と再契約してほしいの」

「主が死んだとしても、主を変えるつもりはな——」

　反射的にダリアはそう答える。答えようとしたが木蓮の一言でそれはさえぎられる。

「まだ最後まで言い切ってないわ。対価として《風斬東》のもとに貴方たちを連れて行ってあげる。
　どうかしら、悪い話ではないと思うのだけれど？」

　木蓮の一言に、反射的にダリアは黙る。もう一度、風斬東に仕える事が出来るのかと。その甘美な言葉に、思考が鈍る。

「あなたたちと契約するためのネクターは気にしなくて構わないわ。
　一揆がおこる少し前から、私はこの世界に訪れていたの。
　だから使っていないネクターが有り余っているのよ。」

「もう一度言うわ。——私と再契約してくれないかしら？」

　くすくすくすくすと、悪戯っ気が強い木蓮の笑い声が部屋の一室に響き渡った。

目の前で青年が消えた事に、間の抜けた声を漏らす。

即座に周囲に影を走らせ、確認する。その結果、見ての通り、青年は『消失』していた。

青年の事情に興味も無く。少女はただ、話を邪魔された事に苛立っていた。