幸いな事に、それからしばらく……おおよそ100年位の間は平和な時代が続いた。
私は魔物達を引き連れて魔王城に戻り、人間達との交流を完全に絶った。
人間達も最初のうちはちょろちょろと探っていた様だが、そのうち誰も来なくなった。
下手に刺激するよりも——という事なのだろう。その懸念は私…即ち魔物側も抱いていたので、ありがたい。
少なくとも今、人と魔物が交流を持つ必要は無いのだから。

私はそう考えて、人との接触を一切取らずに100年を過ごした。
この期間、何があったのかはあまり覚えていない。
たまに魔物達の様子を見に行って。有り余る魔力を消費するために手さぐりで魔法の開発を始めて。
後は、ずっと自室に籠もっていた気がする。

魔王代価、終焉否定

あの男の事は嫌いだが、この報酬に関してだけは今でも感謝している。
私は、私が死に別れた多くの人とずっと語っていた。
謝りもしたし、謝れもした。
他愛ない話をした事もあったし、これからの世界や私自身の身の振り方について話をした事もあった。
この代価で蘇らせる事ができるのは1人だけなので、伝言を預かる事もあった。

色々な人と話をした。
ただ一人、ディラックを除いては。

そうやって、彼らと話をしながら、私は作業を順調に進めていった。





そうしている間に過ぎる100年は、あっという間だった。
今にして思えば、その期間中の私はどこか大切な部分が壊れてしまっていたのだろう。
それは私は仲間を失ったこの世界で、生きていく為の、前に進む為の——
あるいは、魂に穿たれた穴を埋める為に——
必要な事だったのだと、今は思う。

どこかを壊さなければ、私は生きていけなかった。
何かをしなければ、私は前に進めなかった。

だからこそ、あんな作業も、淡々とできたのだろう。
今の私が同じ状況に立たされたとして、同じ行為をできるという自信はない。
それほどまでに、私は私として大切な何かが壊れていた。

ただ、それでも。私は壊れ切れていなかった。
たまに遠見の魔法で人の生活を眺めて、かつて勇者とその仲間だった頃の私達が守り抜けたものに思いを馳せる程度には。
私はかつての私の残滓に、幼子のように縋り続けていた。


その私が壊れ切った理由……これは、多分誰にも理解はできないと思う。
今の私にしたって、それ程までに傷つく事だとは思えないのだから。
彼等に一切の悪気が無かったことは承知していたし、それが悪ではない事も理解していた。

それでも、あの時の私はそれを見て、自分の中で最後の一つが壊れた音を確かに聞いた。


私が見た光景、それは老婆が孫らしき男の子にせがまれ、暖炉の前で昔話をしている情景。
百年前に現れた魔王と、それを救った勇者の物語。
四天王を倒し、魔王を倒して、国へ凱旋した勇者は共に旅をしていた魔法使いの少女と結ばれ、国中から祝福される——。

そんな。私が欲しかったのに手に入れられなかったものを。
それがさも、かつてあった実際の話を題材にした物語であるかのように。
何も、何一つ、知らないまま。

笑顔で————



今でもあの時の事は、よく覚えている。
集中が乱れ、目の前に映る情景が歪んでいる。私は、冷や汗をかきながらガタガタと震えていた。
私は今すぐこれを見るのをやめなければならない。さもなければ、私は私でいれられない——

分かっているのに、私の目は男の子に向けられる。
男の子はおもちゃの剣を手に取り、勇ましく構えながら言うのだ。

「僕も、勇者になる！」

それが引き金だった。
私の脳裏に浮かぶのは、愛した人、大切な仲間、出会いと、道中と、その末期。
あの男が語ったシステム。
勇者と魔王は、あらゆる可能性を検証するためだけに作られた舞台装置なのだという事実。

吐き気がした。眩暈がした。嗚咽を漏らし、涙を流していた。
集中なんてできるはずがない。遠見の魔術は断絶し、立つ事すらままならない。

遠くで「どうしました？」と心配そうな声がする。
焦燥したような女の声が答える「全ての魔物に伝えなさい。戦の準備を」
驚いたような少しの間の後「かしこまりました。…どちらに戦を？」
そう、問う声に女の声が答える。憎悪と、悪意と、憤怒を滲ませた声。

「——あらゆる人間に。私は、人間を、滅ぼすわ。一人残らず、徹底的に」


私は己の口が、哄笑の形に歪んでいるのを夢心地のような気分の中、感じていた。

　シ・ドゥを助けるためと言われれば、反論の余地はなく。

　しばらく俯いて唸っていたが、やがて顔を上げると

　聞こえるか聞こえないかという声で

フィーグルの節介焼の忠告に、暫し、口を噤んでから。

繰り返し。
呻くような声音だった。

　きっと彼女は人を疑うようなことをあまりしないひとなのだろう、と思う。魔王であるのに。
　やはりイメージとそぐわない、と繰り返すのも何だから、そう内心で。

　どれも楽しい時間だった。
　そう語る彼女の話を、静かに聞いていて。

　今目の前に居る彼女は、魔王でなく、自分と同じただの少女なのだな、と思う。
　自分だってそうだ。彼女の言う通り、仲間と共に過ごした時間はかけがえのないものだった。

　無理に訊くようなことはしないけれど、続きを促してみる。