それは極めてイレギュラーな事態だった。


記憶にあった事、思い出した断片達はどれひとつとして間違ってはいなかった。
ただ、大事な　本当に思い出すべきであった事を自分は最後まで思い出すことが出来なかったのだ。

早朝、夜も終わりを告げ東に明け色を見る頃
樹木に布を幾重にも巻き、固定した上で拳を打ち付ける鍛錬は晩の内休む事無く行われ
火照り続ける体躯に反し冬の冷えきった夜の温度に呼気だけが白く濁る。
型を乱さず打ち込む間はそればかりに没頭できた、その時間は嫌いではなかった。

手頚より先の痺れがいよいよ強くなってきた。
思い出したように感じ始め思わず手を止めるとそっと片手を宛て撫でる。
暫く置いておけば治る、そう思っていた違和感だったが
全てを聞けば なるほどこの理由にも合点が行く
そして違和の強かった指先から徐々に這い上がるような麻痺がやってきた。

認識したとたんに体が重さを感じ始めるなんて「病は気から」の良い例だ
つくづく心体共に甘えた人間だったと思い知る。

強くあらねば。


この世界にやってきたとき強く思った理由は二つあったのだと知った。
一つは、生来の一人で生きていく為の「強さ」
誰にも頼らず、誰にも凭れ掛かる事無く生きるのだと決めた強さ。
弱音を吐かない　ずっと内に秘めて過ごし続ける強さ。
そして無論、それが出来るだけの力も持ちえた強さ。

万能、完璧ともいえる
ずっと　それならば悲しむことはないと憧れ続けた強さ
それはこの世界に飛ばされる前、これこそが己の求めるものと思っていたものだ。



昨晩聞かされたアリアナシアよりの事実をゆっくりと思い起こす。

告げられた事はやはり未だに実感にはならず、けれどそれならば総てに納得のいく話でもあった。
何故この両手は思い通り動かないのか、何故私はここにきたのか
己ならばきっとそれは、無事遂行するために忘れさせてくれと頼んだだろう。
それはある意味で英断でもあったが、強く在りきれないその時ばかりの弱さでもあったのだと思う。

しかしそれも「強さ」ではあった。迷わず成し遂げきる為の「強さ」だ。

昨晩

彼女が全てを打ち明けた後、事実を伝えきった後に短く「質問は？」と続けた。
その時に本来ならば聞けた筈の彼の存在を終ぞ訊ねる事は出来なかった。
知ったところでどうなる事でもない　それに今、気はもう揺るがぬ程に定まっていたから。

後ろ向きになる事なんてもったいない。
自分は今を悔いの無いように過ごすべきなのだ　と。

一歩踏み出て、片手を3人の前に突き出す。
その先には、一癖ありそうな森の住人達が待ち構えていた。

脳裏にかすめるような違和感に、斬慈は二三度頭を振り、不機嫌そうに舌打ちをした。