『——彼女は、いったい何者なのだ？——』



　ある日を境にして唐突に（一部はそうでないにしろ）始まった、メルンテーゼの“一揆”。
　そこに、元素世界だけでなく様々な『並行世界』からも支援の手たる諸々が集ったことで、本来ならば「異なる理」に属する各々の異質性・相違性によるトラブルが続発するであろうところ、現在のところは目立った混乱も無く、一揆勢力はそれなりに共存・共生しつつ静かな進攻を続けている。
　場合によっては「ヒト」のカテゴリーにさえ属さない、あるいは超然たる逸脱の位置にある存在さえ混じっているにも関わらず。

　そして、その「混在」がもたらす作用として、より小さな「差異」は無視されるべき小異として、日々の時間の流れに埋もれてしまう。
　“疑問を持たないこと”、それ自体に“疑問を持たない”。
　知的好奇心から、相手の事をより知ろうとする動きはあっても。猜疑心から、相手の『正体』を突き止めようとする動きへと、繋がらぬ。
　それは、すなわち——周囲に当たり前のように点在する『混在』『異質』が緩衝となって、「異なるモノ」に対する未知とそれによる「恐怖」が生ずる余地の極小であること——まさにその副産物といえた。


　だが——隠されているのであればまだしも、そうでない部分には、いずれ『関心』が向く。
　それが「疑問」へと変化していくまでには、あとどれくらいの時間を要するであろうか……
　例えば冒頭のような、根源的な「疑問」が、表出するまでには。


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　「あら？　もう食べないの？」

　「えぇ、十分にいただきましたの。美味しかったですわ、うふふ」

　「そ、そう。ならいいんだけど……
　　食べ盛りとかじゃないとはいえ、心配になっちゃうわよ」


　一行の５人が、その道行きで常に生活上の行動を共にしているわけではないが、例えば食事などを同じタイミングで行なうことは別段、不自然でも珍しくもない。
　その折に、大抵交わされるこんなやり取り。

　女性だから、という話ではなく。
　控えめに見積もっても、“人形使い”は極端に小食なのであった。
　食卓に着いても、主膳に手をつけることはほぼ無く——小皿に盛られた付け合わせ程度の量を、２、３回ほどつまんだのみで毎回の食事を終える。
　さすがに食事の折には傍らに除けていた帽子を被り直し、薄闇色のヴェールが再びその顔を覆うのに合わせ、食事中に着けていた黒レンズのサマーグラスを外してポーチにしまい込む。


　「……いつも思うんだが。
　　そうして顔を隠すのには何か意味があるのか？」

　「うふふ。気になりますかしら、ごめんなさいませねぇ。
　　宗教上の理由でして、そんなに深い意味はないのですけれど。欠かすわけにはまいりませんの」

　「そうなのか……宗教的な理由なら、まぁ仕方ないな」


　いやそこ仕方なくないだろ、という視線が一部（ヒント：男性）から流れてきたりはするものの。
　未琴も董琉も本質的には「善人」であり、ましてや「訳あり」の「助力者」に対して、必要以上に根掘り葉掘りの追及をするという発想は持ち合わせていないのだろう。

　かくして“人形使い”のヴェールの奥の素顔は、（主に演出上の都合で）今日も秘密を保つのである。


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　「あら、あら。
　　こんなところまで、どうなさいまして？」

　「Departure. 移動開始の時刻にも関わらず姿が見えなかったので、知らせに」
　「………」

　「まぁ、まぁ！　わざわざ足を運ばせてしまうなんて、ごめんなさいませね」


　川の方面で遭遇した多数の相手に思わぬ痛撃を受け、撤退した時の事——
　一揆の拠点側に戻って休息をとり、事前に取り決めた集合場所で再度の進攻を準備する際の、やりとり。

　いつものように身の丈近くある大鞄を引き歩く“人形使い”に、そう呼びかけた[仔犬]の傍らで。
　車椅子姿の[軍曹]が、一際胡乱げな視線を“人形使い”の手元に向けていた。


　「……あの時、随分と殿で痛い目を見てたようだが。
　　見た所、怪我は特にしちゃいねぇか。見てくれとは違って頑丈なンだな」

　「あら、あら。
　　心配していただけるなんて、恐縮してしまいますわぁ。くふふ……
　　運のよいことに、当てられどころが悪くなかったようで助かりましたの。
　　服も着替えましたから、すっかりきれいな身体に戻りましたのよ——うふふ、なんちゃって」


　おどけたように微笑む“人形使い”に、しかし憮然とした顔で目を向ける[軍曹]。
　車椅子を押す[仔犬]が、はてどのように合いの手を入れたものかと逡巡している間に——笑みを残したまま、“人形使い”は二人の脇を抜けていく形でさっさと歩いていってしまう。


　「Sir——. 自分達も、戻りましょうか」

　「——気に入らねぇな」

　「……Sorry. な、何か、自分に問題でも」

　「違げぇお前じゃねェ文脈で気付け。
　　あの女だ。マリア・ジョアンヌ——あァ、クソ。関係あるかどうかも解らねぇってのに」


　[軍曹]が、失っていない方の手で、苛立ったように頭を掻く。
　“上官”の意図が見えぬ不安と、不興を買った訳でないと知った安堵——それらをない交ぜにした面持ちで彼を見る[仔犬]の目線に気付き、それもまた不本意と言わんばかりに溜息をついた。


　「お前はあの時は——あァ、俺のフォローに回ってたから、“見えて”ても気付く暇はねェか。
　　あの女……俺の見てた限りじゃ、少なくとも海象の体当たりを庇った左腕は『折れてた』筈だ」

　「——Negative. 彼女の外傷状況は、本人の証言と一致しています」

　「うるせぇな安心しろクソ。俺も今見た限りじゃその見解に同意だ。だがあの時は——
　　俺ァ別に耄碌しちゃいねぇぞ、言っとくが」


　おそらくは一行の中で最も『違和感』に敏感である[軍曹]が、苦虫を噛み潰したような顔で語を切る。
　同意すべき状況証拠を持たぬながら、“主人”に反駁するだけの判断材料もまた持ち合わせていない[仔犬]は、車椅子に手をかけたまま……
　文字通り“子犬”のように途方に暮れた視線を、ただ[軍曹]に送るのみであった。

綾乃の名前を聞いたとたん、落ち着いていた態度から一転する。
人形使いの謎めいた言葉には気付いていないようだ。