「——何ンて言った。今」

　「うふふ。そんな怖ぁい顔をされたら、わたくし震えてしまいますわぁ。
　　『失った手足を取り戻したいおつもりはありませんかしら』
　　と——申し上げましたのよ」


　“人形使い”と、車椅子姿の[軍曹]。
　かたやヴェールの奥に怪しげな微笑みを絶やすことなく。かたや、殺気にも近い峻烈な視線を向け。
　常に甲斐甲斐しく[軍曹]の世話をしている少女、[仔犬]の姿は——偶然か否か、そこには無い。


　この情景に至るまでの事情は、ほんの数刻ほど前に遡る……



　　*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


　「——おい。何のつもりだ」

　「うふふ。
　　別に、この車椅子は[仔犬]ちゃん専用ではないのでしょう？
　　たまには、わたくしがお世話して差し上げますわぁ」


　やや慌てたように背後を振り向く[軍曹]を、ころころと笑いながら“人形使い”が軽くいなして、車椅子の背面グリップに手をかけた。
　そのまま、労わるようなゆっくりとした動きで、水辺の岸に土手のように広がる道なりに沿って、抗議の声を上げる[軍曹]と共に先へと進んでゆく。


　「Caution. 分裂行動は敵性勢力との遭遇に際して極めて危険であり、何より自分の視覚情報は[軍曹]と共有を——」

　「大ぁい丈夫ですわぁ。
　　ちょっとお散歩程度の距離だけ、[軍曹]さんをお借りするだけですの。
　　すぐに戻って来ますから、[仔犬]ちゃんは皆さんと休憩していらしてくださいな♪」

　「……ですが、自分は——」

　「ねぇ、[軍曹]さん？
　　たまには、わたくしにお付き合いいただいても、構いませんでしょ？
　　それとも……わたくしとご一緒というのは、お嫌ですかしら？」

　「あ？　ああ、いや……まァ、支障はねェ、が、しかし、な」

　「はい決まりー♪
　　それじゃあ[仔犬]ちゃん、ちょっとだけ[軍曹]さんをお預かりしますわねぇ。
　　うふふ、ちゃあんとすぐにお返しいたしますのよ」

　「人を借り物競争の指定品か何かみたいに表現するンじゃねェ」

　「Demand. 自分は所有する側よりされる側である方が望ましいのですが」

　「話がややこしくなる一方だから黙ってろお前も」




　川のほとり——そのところどころに群生する植物や、入り江状に湾曲した高低差のある地形のためもあって、ほんの数分ほどの移動であったが、[仔犬]・未琴・董琉の三人が休息を摂っている地点からは直接の視界が通らないところまで進んできた。
　居心地悪そうに目の辺りをしきりに撫でていた[軍曹]だったが、背後の“人形使い”に向けて、痺れを切らしたように声をかける。


　「……接続は一応切ってある。
　　何か話したいことがあるンなら、手短に済ませてくれ」

　「あらあら。
　　せっかくの二人きり、ゆっくりデートを楽しむくらいの心の余裕があってもよろしくありませんこと？　うふふ」

　「馬鹿な冗談に付き合ってられるほど俺も暇じゃねェ。
　　話が無いンならさっさと戻してくれ。さもなきゃ[仔犬]を呼ぶだけだ」

　「仕方ありませんわねぇ……
　　では、名残惜しいですけれど。本題に入りましょうかしら」


　車椅子から手を離し、軽やかに踊るかのごとく錯覚させる歩みで“人形使い”がひょこり、と[軍曹]の前に立った。
　肘掛け部分のアタッチメントを右手で握り込んで車椅子をその場に固定すると、[軍曹]は不審げに彼女の様子を窺う。

　そもそも、“人形使い”と[軍曹]の間には、接点と呼べるような接点——意識・嗜好を共有し合えるような話題も、ましてやデートだ何だと色恋沙汰に発展し得るような要素のカケラも、存在などしないはずであった。
　少なくとも、[軍曹]の側にしてみれば、いくつかの『疑心暗鬼』の種になるような懸念こそあれ、仲良くお散歩だの浮付いた男女の語らいだのの動機付けは皆無。よく言えば対応に困り果てている、ぶっちゃけて表現すれば半ば思考停止状態といってもよい有様であった。

　だからなのか——次の台詞を“人形使い”に向けられた時、彼は咄嗟に反応できず、一瞬だが確かに——“呆然”と、彼女を見つめることしかできなかった。


　「ねぇ、[軍曹]さん……
　　その、 『失った手足を取り戻したいおつもりはありませんかしら』 ？」


　いつの間にか、“人形使い”の傍らに、彼女の肌身離さず持ち歩く大鞄が鎮座していることに、[軍曹]は今更のように気付く。
　が、それを怪しむ余裕すら奪われ、ただ“人形使い”へと鋭い視線を注ぐのみ。


　「———……ッ」


　決して態度には出さぬながら、明らかに狼狽の気配が[軍曹]から伝わってくる。
　本来達成すべき目的(タスク)の一環として設定しているはずの、肉体の治癒復元。技術的・リソース的に当面不可能な課題として、優先順位を棚上げしていたモノ。彼らの現況の“前提”、その一部。


　「——何ンて言った。今」

　「うふふ。そんな怖ぁい顔をされたら、わたくし震えてしまいますわぁ。
　　『失った手足を取り戻したいおつもりはありませんかしら』、と——申し上げましたのよ」


　相手の警戒ぶりをじっとりと観賞するかのように微笑みながら、“人形使い”は言葉を継ぐ。


　「わたくし、貴男のような素敵な殿方にはとぉっても興味がありますのよ。
　　この《世界》、メルンテーゼの興味深い『特質』と比べても、遜色ないほどの『理』(ことわり)——
　　凸凹で素晴らしいモノを、いくつも備えていらっしゃるのですもの。くふふ……」

　「……その代償に、俺はアンタの『お人形』に成り下がるッてわけか。ぞっとしねぇな」


　[軍曹]の吐き捨てたその言葉に——“人形使い”は、なお愉しそうに唇を歪めた。
　いつもの含み笑いが、さらに甲高い耳障りな声音に塗り替わり——それでも一応は慎ましげに手で覆い隠したその口元から、「きひひひ…」と不気味な声が洩れ出る。


　「それも魅力的な案ですけれど——くふふ。
　　ああ、でもわたくしは、他人の所有物をみだりに好き勝手するほど無粋ではありませんの。
　　こう見えても結構ロマンチストなんですのよ、わたくし」


　こいつ何言ってンだ、とばかりに[軍曹]の表情がドン引きしたものに変わる。
　次いで、是とも非とも取れる言葉で探りを濁されたことに対して、苦々しげな表情を浮かべ直した。


　「——断る。
　　確かに不便をしちゃいるがな、アンタのその得体の知れン『お人形』に身を委ねるほど切羽詰まっちゃいねぇ」

　「あら、あら……残念ですわぁ。
　　とはいえ、こればかりは強いるものでもありませんわねぇ。大切な『お身体』のことですもの、無理はせずに労わらないと」


　まったく残念そうにも労わっているようにも聞こえない口調で、くすくすと笑みを洩らす“人形使い”。
　[軍曹]の険しい表情が、ますますその度合いを増す。


　「断りついでに、もうひとつアンタに注文しておこうか。Ms.マリア」

　「何ですかしら？」

　「その胡散臭いヴェールの陰で——俺のことを、二度と憐れむような面で見るンじゃねェ。
　　次にふざけた真似をしたら、その時は……アンタの身の安全を、保障しない」


　口元の笑みを消して、黒いヴェールの繊維越しにじっと[軍曹]を見つめる“人形使い”。
　鋭い目つきのままその視線に相対する[軍曹]は、口調こそ平板で冷静な態度のそれであったが——車椅子の肘掛け部分を握る右手は、無意識によるものか必要以上に強く、音を立てそうなほどに握り締められていた。


　「……ええ、ええ。
　　当然ですわね、わたくし達は同じ立場の“協力者”同士。
　　お互いを尊重せずして、協力と信頼の関係を築けるはずもありませんわ。
　　ご不快な思いをさせてしまって、ごめんなさいませねぇ」


　ころり、と音でも聞こえてきそうなほどに。
　先程までの挑戦的で不遜な佇まいから一転、神妙に頭を下げて深く陳謝の意向を告げた“人形使い”に、一瞬[軍曹]は面食らったような表情を浮かべ——目の前の相手に聞こえない程度の舌打ちをひとつ洩らすと、右手で車椅子を操作して身体を横に向けた。
　その方向から、明らかに全力疾走でやってくる[仔犬]の姿を見咎めて、今度は溜息をはっきりと洩らす。


　「わざわざお時間を取らせて、申し訳ありませんでしたわね。
　　先程のご忠告、わたくしの胸にしっかり刻んで、今後注意いたしますわ——」


　声に対して、視線だけをそちらに向けた[軍曹]が見たものは……
　もう一度深く頭を下げ、顔を上げるとそのまま身を翻して傍らの大鞄を手に歩き出した“人形使い”の姿。

　いつものようにゆったりと、しかし常のような軽やかな歩みとはどこか異なる風情で、[軍曹]の傍らを抜けて歩き去ってゆく“人形使い”。
　その行手から、全力スピードで駆けて来た[仔犬]が程なく入れ替わりに交差し、ずさーっと[軍曹]の元へ駆け込んだ。


　「さ、Sir——何か、問題が。必要とあれば、ご命れ——」

　「要らねぇ要らねぇ。……もォ終わった話、だ」

　「……。Sir, ……Yes, Sir.」


　陸上競技のスプリント種目選手もかくや、というトップスピードですっ飛んできた[仔犬]はさすがに多少息を弾ませていたが、元々の身体能力も相まってすぐに呼吸を整えると、不可解そうな表情のままではありながら[軍曹]の言葉に従って、それ以上の応答を差し控えた。


　「……随分と急いで走って来たな。そンなに緊迫してるように“視えた”か？」

　「休息命令の実行中に、視覚情報の不自然な固定を検知しました。
　　秘匿の意図が先方にあった可能性は考慮しましたが、優先度の順列的に——」

　「そうか。——まァ、いい。忘れろ」

　「……Yes, Sir.」


　おずおずと車椅子のグリップに手を掛け、ゆっくりと押し歩き始めた[仔犬]に移動を委ね。
　視覚共有のために前方へ目線だけを投げかけ、[軍曹]はその視界の先に映る“人形使い”の姿に、改めて顔をしかめた。

　たった数分の、取るに足らないはずの会話。突拍子も無い提案と、その拒絶。ただそれだけのはずであるのに、決して揺るがされてはならない領域を侵されたような、原因不明の居心地の悪さが心身に余韻を残す。
　結局、その場で[軍曹]が口にした意味のある言葉は、次の一言だけだった。


　「——…クソが」



　　*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


　「——『実験』は上々。
　　これ以上は不審に思われそうですから、『仕込み』は解いておくとしましょう」


　大鞄を引いて元の場所へと戻りながら、“人形使い”は独りごちる。
　後ろ手に引いている大鞄の握り手とは逆の腕。それを、軽く横に数回ゆっくりと振って——それで、何かの『用』は足りたらしい。


　「郷に入りては郷に従う也……『相手の土俵』に乗れさえすれば、“人形使い”の『手』は及び得る。
　　このことが確定的となっただけで、『実験』の収穫は十分といえますわね。くふふ……
　　あとは——このメルンテーゼの『理』に対して、土台を固めていくのみですわ」


　再び、薄く不気味な微笑みを口元に浮かべ——
　“人形使い”は、その手を遥か遠景に聳える王城へと、伸ばしてみせた。



　「新王に“対面”できる、その時が——ますます、愉しみですわねぇ。くふふふふ……」

シュガーは怨霊と会話をしています…