「終わりだよ、どう転んでも」
「そうだね、これでおさらばだね」

山道は険しく、少年の足は何度も止まる。
隣を行く龍はその度に進むのを止め、しかし彼に手を貸すことはない。

「良い策は浮かんだのかね」
「もちろん」
「そうか」

その実その頭に何もないことを龍は知っている。けれど特段問い詰めもしない。
それが今彼に取れる最大限の努力の末に行き着いたものであることを、彼は知っている。

「あんたもさ。その性根直す気あんの？
直さなきゃあんた、いつまでもぼっちだよ。断言する。絶対あんたと一緒にいようなんて奴、現れないよ」
「どうだろうな。私に直す気があることと、実際にその努力が実を結ぶことは別だよ。
途方もない時間の間そうであり続けたものを矯正するのは、おそらくは相当な時間が必要だろうな」
「でもさ、あんたにはあるんじゃんか。その時間ってやつがさ。だからこんなことしてたんでしょ。その時間を潰すために」
「願わくばその先の時間も、かな。……だがそれだけではないよ」

再び歩み始めた少年をゆっくりと追いながら、龍は言葉を続ける。
二人の視線が交わることは、一度たりとてない。

「『こう』だとな、忘れてしまうんだ。どうしても。人間の感覚、感情、所作といったものを。
　私はそれを失いたくない。人と交われないものにはなりたくない。だから、側でそれを教えてくれる人間が必要なんだ」
「ふうん。……やっぱりさあ、あんたマゾヒストだよ。絶対。茨の道に自分から足踏み入れてずんずん進むタイプだよね。
　なんでわざわざそんなことしようとするのさ。石投げられるのがオチだと思うよ、バカみたい」

　はっは、と龍が声だけで笑った。表情と意志のつながらないその眼は、いつでも爬虫の冷たさを忘れなかった。

「馬鹿でいる方が利口ぶるよりずっと難しい。大方、すぐに利口ぶろうとするからな——おまえのように」
「はあ？」

意味が分からない、という風に声を上げて少年は、自分より僅か遅れていた龍を振り向く。
その拍子に目に入るのは、


——全景。
王城を中心に、広がる庭、流れる川、砂嵐までも窺える荒野、茂る森、聳える山、天を貫く塔。
今まで辿ってきた足跡たち。

「なあ」

眼下に目を奪われていた少年へ、龍が声をかけた。些かの柔らかさ、労りを込めた声色で。

「楽しかったか？」

目を逸らさぬまま、目を合わさぬまま。

「……あんたにそう聞かれてさ。『楽しい』って答えるの、すっごく癪なんだけど」

拗ねたような声に、龍が小さく笑いを漏らす。
幼子を見守る親のように。

「楽しかった、というのは否定しないのだな」
「流石にそれを否定できるほどじゃないな。……間違いなく、楽しかった。
　見たことないいろんな人たちと会って話して戦った。平原に川に森に山に城に、いろんなところに行った。原理はよくわかんないままだけど料理もめちゃくちゃ上手くなった。自分で立てた戦略を初めてちゃんと、100％使えた。
　これに関してだけは、ちゃんと感謝すべきだなーって思ってる。正直目的が目的だったんで、あんましたくない気もあるんだけど」
「だがそれを拒めるだけ、おまえは強かろう？　私の力を知って尚、正面から減らず口を利ける人間はそう多くないよ」
「実質力で口封じしてきたって証言お疲れ様。……正直怖くないわけじゃないけどさ。僕がいなくなったらあんたも困るんだろ？
　その辺の優位性に関しては僕だって負けてない」

一旦言葉を切って、絶景へと背を向けて。
岩場を睨みながら歩き出す少年を、龍が追う。

「正直さ。あんたと一緒に居なきゃならないってのがなければ、ずっとこっちにいたい」
「これは嫌われたものだな」
「あんたの目的とか性格とかいろいろが気に喰わないのももちろんあるよ。だけどさ。
　ここにいるのってさ。あんたに生殺与奪を握られてるのと同じなんだ。さっき言った、あんたが僕がいなくなると困るっての。
　あれがなくなって、例えばあんたが他人に目移りでもしたらさ。その時点で僕はいつ死んでもおかしくなくなる。
　それが嫌なんだ」
「もっともだね。私は自身の生殺与奪権など明け渡して久しいから、その感覚はもう推量でしか理解できないが」
「……あんたその神経で人間と関わり続けるのやめない？」
「だから人間が必要なんだよ。問題は把握している」
「本当に把握してるならこんなところで口に出さないと思うんだけどさあ」

　不意にばさりと大きな羽音が響く。
　見上げる空に一匹の竜、戻り往く先は少年の行く先と同じく。

「……うわあ見つかった」
「思ったより早かったな」
「奇襲でも仕掛けてやろうと思ったのに」
「それを許す相手だと思っていたなら、おまえの目もなかなかのものだね」

　進み行けば聞こえるのは女の声と、竜の咆哮。
　分かっているな、と少年の傍らの龍が念を押した。

「これきりだ。
　これが終われば一揆は終わり、その場でおまえの世界へ戻る」
「はいはい。……お別れの時間も用意してくれないとか、ほんと情がないよね」
「知り合い以上の仲間でもいれば、私とてそれを与える程度の情はあるさ」

嘆息に返す声はなく。
最後の一歩を踏み込み、少年は開けた場へと辿り着く。
赤毛の女が従える竜達、彼らと相対するその場へ。

「……あー、ちょっといい？」
「何だ、今更」
「帰ったらさあ。……もうあんたと顔合わせたくないの。あんたと会わない他所に、どっか飛ばしてくれない？
　僕の知ってる範囲で」
「ここまで嫌われることをしたかな、私は。……だが他ならぬおまえの要望だろう？　そうするさ、それがお望みならな」
「ありがと。……じゃ、今のうちに言っとくよ。挨拶欠かすほど、僕は悪人じゃないつもりだからね。
　それじゃ——」

手を振り、背を向けて立ち去る。その姿が一瞬、ブレて。

僅か、振り向いた横顔は。ひどく邪悪な気配に満ちていた。

（すいと歩を戻し、距離を取る。）