彼は確かに彼女の元へ帰ってきた。
…いや、彼らしき「何か」は。


容姿そのものは彼に似ているような感じはするし、雰囲気もそれに間違いない。
エンブリオ達も、「これは彼と同じ力を持つエンブリオに違いない」と言ってくれた。
それでも、理解できなかった。
どうしても、理解できなかったのだ。









山に似つかわしくない、上品な木のテーブル。
その上には、紅茶のポットとカップが一対置かれていた。
ブラックアニスが長い指で器用に、ポットを持った。少しだけを、一つのカップに注ぐ。その動きは慣れており、彼女が暇を見つけては紅茶を嗜んでいる上にアニスが淹れさせていることが想像できそうだ。
もう片方のカップに紅茶を注ごうとした瞬間、青年が止めた。僕は、いいです、などと呟きながら。
ならば遠慮無く、という風にメィレーが持つであろうカップに注ぎ込んでいく。

ごく普通の、メィレーにとっては「いつもの時間」。
エンブリオの力が強まった今、彼女にとって魔術とエンブリオを用いた時間操作は最初期に比べれば簡単なことになっていた。それは戦闘にも生かされており、瞬間的に幾多の攻撃を叩き込むこともできるようになっていた。
忙しい一揆ライフの中、時間を停止——または、経過を遅らせることで、少しの息抜きを作れる程度まで彼女の力は復活していた。

——いつもと違うとすれば、それは雰囲気。
ソーサーとカップを持つと、まずは一口。
カップを唇から離して、一息吐いた。

「まずひとつ……確認したいこと」
相対して座る、彼を見つめた。
「…あなたは、【増幅】…ってことでいいのね。」
目の前の青年は、静かに頷いた。
「…正確に言えば、違いますが。僕の意識は、確かに【増幅】です」
「どうして…その、急に成長してしまったの？」
「—————」
言葉を失う。口を開いて、詰まる。閉じて、考えを巡らせる。
「何故？答えられないの？」
答えを焦るように、急かす。疑問を解きたいが為に。

「……何から、お話すれば……いいのか…」
「——大丈夫よ。時間はたっぷりあるもの。聞かせて頂戴。」
もう一度しっかりと、彼の目を見て。
「…長くなっても良い。あなたが知ってること、全部、私に。話してみて」
「……じゃあ、話して、みます」




「僕らは、最初はエンブリオではありませんでした」
膝に手を置いて、若干縮こまりながら、呟き出す。


「元々僕がいた世界は、科学の世界だったみたいなんです。メィレーさんのような、便利な魔法は無くて……、科学が、支配する場所で」
「科学……。魔法の使えない人間達が、利便性を求める為に作り上げた物ね。他の人から少しは話聞いたわ。それで？」
「でも、そんな科学の世界にも不可解なもの…そうですね、自然現象…ですかね、それはあるようで。魔法…のようなもの、なんでしょうか。僕は、それに巻き込まれたみたいで…」
紅茶を飲みながらじっと彼の話を聞く。

「数ヶ月行方不明になって…帰ってきた僕は、不思議な力を手にしていたんだそうです。電力や動力を用いずとも…何かを増幅したり、また減衰させて制御したり。今の、僕の力みたいなものです」
「ねえ、ちょっと待ってよ。」

ソーサーを置いて少し鋭めに声を出す。
制止された彼は、びくりとメィレーを見た。
「さっきから『らしい』とか『だそうです』とか。自分の話なんでしょう？どうしてそんなに不確かな話しか出てこないのよ」
「あの…それ、は」
視線を左右に泳がせる。口が開いたり閉じたり、どう切り出していいのか迷っているように動く。
…それが暫く続いた。山の環境音と、少し遠くからお湯を沸かすためにレッドベリルフェアリーが起こした焚き火のパチパチと言う音だけが聞こえる。

見かねたメィレーが溜息をつき、また紅茶を一口飲んで口を潤す。
「わかったわ。長くなっても良いって言ったのは、私だものね。ゆっくり話してごらんなさい。私もなるべく気を長くするわ」
「あ………はい」

「…それで、僕の力は国に危険視されたんです。使い方によっては悪用できますから。それに、エンブリオの時みたいに、リミッターや制限があるわけじゃなくて…何も払わずにどこまでも増幅できたんです。やりようによっては、もしかしたら僕一人で発電所になれたのかもしれません」
その言葉を聞いて、思わず紅茶を飲む手が止まる。
「……有り得ないわ…そんな力、全部無視して魔術ですら覆せるわよ！？」
「でも、それが僕だったんです。色々なテストを重ねて…さっき言ったように、危険視されて。隔離されたりしたんですけど、最終的に、分離実験が行われたんです。分析とか重ねたら、人間の部分と、その行方不明になった時によくわからない部分が融合してしまって、僕は成り立っていたみたいで。理論的には、分離可能だって長い長い説明をされました」

つらつらと、あった事実を述べるようにつぶやいていく。
そこには感情が混じっていない。記録を、そのまま喋るように。

「でも結果は…結局は、失敗だったんです。僕と、能力の部分は分離できなくて……半分になった僕が二人になってしまったんです、それが僕と、姉さん」
『姉さん』という言葉を噛みしめるようにつぶやく。
「…僕と姉さんは、失敗として隠蔽されました。公には、死亡扱いにされたみたいですね。その後、次元転移で何処かに飛ばされて……辿り着いた場所が、此処、メルンテーゼだったんです。」
「で、私に出会った…と。…あなたが分裂してしまったわけ、メルンテーゼに来たわけは解った。で、さっきの記憶の下りは？」
「…僕の記憶は、全部姉さんが持ってたんです。ずっと、長い時間、僕の記憶は僕のものではなかったから……昔あった歴史や事実のようにしか、話せなくて。…でも、だから、姉さんは」

膝に置いていた手を、強く握りしめる。

「だからこそ姉さんは、全部知っていたんです。此処に居る理由、こんな力が使える理由、そして、本当は自分なんか存在しないんだという事実を………全部知ってて、僕に記憶も身体も力も全部返す気で最初から居たんです。
　…融合した瞬間、姉さんの記憶が流れこんできました。姉さんが僕の傍からずっと居なかったのは、その間エンブリオの融合の方法を探していたんです」
ぼろぼろと涙を零し始める。ぽたぽたと、涙が服を濡らす。
「ずっと探していた、僕が好きだった姉さんは、何処にも居なかったんです。…僕は、幻をずっと追いかけていたんです。好きで当たり前なんです……僕が、理想としていた姉だったから。
　でも、そんな人は、何処にも居ない…もう、僕の頭の中にしか………世界中探しても、何処にも……」

暫しの間、彼の嗚咽だけが響いた。










落ち着いたのか、両手で涙を拭って、先を話し始める。

「…分割されてしまって不安定な僕らは、無くなってしまったもう半分を埋める為に、この世界に適応しました。それが、エンブリオだったんです」
「ってことは、貴方と…それからお姉さんは……半分がエンブリオで、四分の一が人間で、もう片方の四分の一が…そうね、妖精ってことにしましょ、そういうこと？」
「…そう、ですね。比率的には結局エンブリオが一番大きいので……そういう扱いに、なってたみたいです」

紅茶を飲み干す。
すかさず二杯目を注ごうとするブラックアニスを手で制止し、続ける。

「貴方の事情はわかったわ。それで、どうするの？お姉さんが居ないことは事実、貴方がエンブリオであることも事実よ。事情と過去についてはもうしゃべり尽くしたとして、貴方は、『これから』、どうするの？どうしたい？それを、次の私の質問にするわ」
「……そう、ですね…」


「…僕は、元の世界に帰りたいとは思いません。やることなんて、無いから……。それに、変わってしまった僕を受け入れてくれるところは、有りません。メルンテーゼに永住する気も、僕は無いです。
　…メィレーさん。どうか、僕を連れて行ってください。貴女の力にさせて下さい。僕の事を扱えるのは、多分……貴女だけ、です」








ぱちん、と一度指を鳴らす。
「わかったわ。貴方の力、存分に使わせて貰いましょう。それで、貴方の気が済むのならば。」
そう言い切った後、少しだけ息を吸って微笑む。
「…でも、したいことができたら、私の元なんて離れてもいいのよ。できることは、できる内にしておいた方がいいんだから」

















険しい山を登っていく。
———【増幅】の事はよくわかった。だけれど、あとひとつ解っていないことがある。
それは、『自分がどうやってこのメルンテーゼに来たのか』という問題だった。
時間を自在に操る自分にとって、空間を操ることは同義に等しい。そんな私自身が、魔術事故などで想定外の次元に飛ばされることなどあるだろうか？
……いいや、断じて無い。あの時の自分であるならば、有り得ない。まさか私がそんなことになるなんて、想像も付かない。
だとしたら、何か忘れている事があるはずだ。
『どうしてこんな世界に飛ばされてしまったのか』？

ある一定の地点から、メルンテーゼで目覚めたまでの記憶が抜けている箇所があると常々から自覚はしていた。
何かが隠されているとするならば、そこに秘密はあるはずだ。
……思い出さなければならない。彼が『姉さん』という名の記憶を探していたように……記憶を、追い求めなければならない。