女神の園の通行止めはアイオライトフェアリーの試運転だけを行い、あっさりと打ち払った。
　時期を隔てているために死闘とは程遠く、精々といえば軽い“馴らし”程度で、彼らはまだ全力を出していない事をアデルは知っている。

「……本命は訓練場の方向よね〜。
　あっちはかなり強いわよ、さっきの人たちも、ラズロさんも〜」

　水の張った石畳を歩く。

　アデルの場合、情報収集は原則ロザリアに任せているが本人も別段サボっているという訳ではない。
　この先から続く訓練場、奥で立ちはだかる敵はその強力さもあって噂の伝播は早かった。
　力を削ぐ衰弱術式、死霊による人海戦術、術師が持つ謎の負傷返し、どれをとっても一流の強敵だ。ある程度目安こそつけてるが、今勝てるかと言われると難しいだろう。

「……まぁ、暫く行く予定はないんでしょ？」
「ええ、装備の更新予定を立ててるの、とりあえず半月ほどは準備に使わせてもらうかな？」

　足早にテントへ帰還する道をたどる、連絡の通りなら今日は塔から仲間たちが来ているはずだ。
　気分転換にせよ、近況の報告にしろ悪いものではない、来るのは確か……二番隊の連中だったか。

　：：

　魔術処理された篝火がテントの中で輝く。
　熱はあるが周囲の酸素を燃やす事はなく、煙すらアデル達が知らないどこかに飛ばされている。

　テントで待っていたのは、まだ成年とは程遠い姿をした二人の少年だった。
　一人は日差しのような金髪をなびかせ、柔和な微笑みを湛えた白い外套姿。もう一人は黒壇のような髪を流し、眼帯で覆っていない黒緑の片目を細める和服姿。
　白い方は聖職者フスティ、そして黒い方が精霊使い鴉天狗、以前アデルの元を訪れたオルフェとチコリーの仲間だった。

「———やぁアデル、女の子だらけのテントに僕らが来るのはちょっと失礼かなって思ったんだけど」
「『気にするな。塔では今更だしこの場所は半分戦場だ、男女の区別なんて最低限でいい』」
「君たちがそういうならお邪魔させてもらう」

　フスティが浮かべる笑みは紳士的で隙がない、オルフェが率いる二番隊は割りと屈折した構成をしていて、彼は聖職者であると同時に盗賊職も担っていた、より正しく言うなら———斥候担当。
　そのためか、フスティは並みの聖職者より隙のない振る舞いをしていた。表向きは優雅で品行方正、勿論パーティの命綱を任されるような彼がそんな見た目だけの生易しい性格で済むはずもない。
　先ほどのやりとりにしたって事前に自分たちの了承を得ておくためだろう、身内相手にすら最低限の礼儀と一線を守る、そんな用心深さだ。

「……本当はチコリーも呼んだのだが、嫌がられてしまってな？」
「『……まぁ、わかる気もするが、っていうか分かれよお前』」

　閉じた扇を口に当て、鴉天狗は仕方なさそうにぼやく。フスティより見た目4才ほど下、13才ほどの容姿と透き通った声に反し、口にした言葉は老成した年月に烟る響きを持っていた。
　———鴉天狗、かつては偽島と呼ばれる場所にも足を踏み入れたことのある呪術師だ。
　本人も人間ではなく、幻想種のカテゴリに属している。名の通り、東方における天狗が信仰具現された存在らしい。
　当然見た目どおりの年齢ではなく、具現して300年はゆうに超えている、隊の中では吸血鬼である魔術師チコリーを超えて最年長だろう。

「ああ、我が気遣いせぬように気を使ったのだろう」

　わかっている、と薄い睫が伏せられた。

　———数週間前だったか、鴉天狗は色々あった末にチコリーの伴侶となった。
　色々の部分は大騒ぎすぎて他人に言えたものではない、確かなのはそこに至る色々の間にチコリーが逃げ込んでいたのがアデル達のテントであり、オルフェには情けないところを見せたくなかったための半家出だったそうだ。
　結果、恋話好きのロザリアと嘘を見抜くアデルに挟まれ、チコリーが腹をくくった結果が今に繋がる。

　混血とは言えまさか吸血鬼が本気の恋をするとは、と彼女は何度もぼやいてたものだった。相手に不足はない、むしろチコリーの方が格下ではあったが、彼女は彼女なりに夜の貴族としての矜持があったらしい。
　好きな相手が他の人間と楽しく話をしているのも複雑、かといってその相手の邪魔をしたくもないから此処に来るのを嫌がったのだろう。

「『———ま、確かに仲間の間で気遣いをして、お前らが寄り付かなくなるってのもあれだからな』」
「我は遠慮などせぬ、あの娘にも我に気遣いをさせたなどという負い目は負わせぬよ」

　細めた瞳は冷たさへの自覚と全幅の信頼がある、甘さは優しさなどではない、そんな事を今更このメンツで再確認するまでもなかった。
　それに鴉天狗は何も言わなかったが、彼は彼なりに帳尻を合わせる算段はあるのだろう。

「強さがないと鴉天狗の相手は務まらないよねぇ」
「お主よりは大分マシだ、屈折した人間関係を作りおって」
「……正直大分みっともないとは思ってるんだけどね」

　その話はいいでしょう、とフスティは苦笑交じりに鴉天狗の話をせき止めた。
　大人びた声の響きは拗ねた色もあってなんとも可愛らしい。
　ロザリアだけは少し興味がありそうに視線を向けたが、深追いするべきでないと判断したのか、一先ずは何も言っていない。まぁいいだろう、とアデルだけはいつも通りに放任極まりない態度で酒をあおる。

「『……ま、私達は部外者だ、気分転換するなり、考えを整理したくなったらいつでも来るといい。』」

　酒の肴にするの？　とフスティに茶化されて、うるさい、とアデルは膝を崩して苦笑した。