『……ちょっとだけ間に合わなかったな』

　低く厚みのある声は、アデルによってため息混じりに発された。
　少し首をかしげる仕草によって、頬の横でウェーブ混じりの髪が揺れる。日頃の緩い表情と話し方ではなく、至って生真面目で無骨な、男性的な言葉遣いだった。

　一振りして、アデルのグレートソードが先端から光に飲み込まれて消える。
　代わりにベルトの石がひとつ点灯したかのように輝きを持ち、あたかも『収納中』と表示されてるかのように変化した。

　手を開けたアデルは、そのまま倒れたシャンテを担ぎあげる。
　少し軽すぎる、とばかりに一度持ち直し、不要な揺れが彼を動かさないようにしっかりと固定した。

「流石」

　言葉と共に、一旦戦闘から退避していたロザリアがもう片方の肩に戻ってきた。
　戦闘が苦手な妖精は戦いには参加していない、ただ肩の上か、その近くから周囲に目を配っているだけだ。

『……これより重い宝箱持たされたことあるからな、主にお前らのせいで』
「あら、あの時余裕とか行ってなかったかしら」
『……お前らが人を置いて走りださなければな』

　一つため息を挟んで、微笑むアデルの顔はいつもと同じ、どこか茫洋としたとらえどころのないものに戻っていた。
　語る口調もふわふわとしたウィスパーボイスになっている、それくらいはしないと低い声をごまかせないのかもしれない、が。

「とりあえず……これでシャンテちゃんを休ませてあげられるわ〜」
「……真面目なのは数分も持たないのよね……」
「あらあら……何か不満ー？」
「どうしてこんな二重人格になるのかについてが不満」

　えー、と声を上げて、アデルは指を頬に添えて微笑む。

「『色気の欠片もない男女！』って言われたり、デリカシーのない男の子たちがちょっとどうかなーって思う行動を目の前でやってたり、自分の話し方が移ったってわかってるクロガネが私が口を開く度に渋い顔をしたり」
「……そのクロガネは『悪化した』ってばかりに凄く渋い顔をしてるんだけど」
「お姉ちゃん何も聞こえませんー」

　：：

　メルンテーゼと違う世界、通常ではとてもたどり着けないような場所に打ち捨てられた、水の流れる塔と神殿のある遺跡。

　ゆっくり、そして気を払った所作でローブの人影が塔の階段を登る。
　喧騒から大きく離れ、些細な音でも響きやすいこの場所に置いて、しかし人影は足音一つ立てずに動いて見せていた。

　目標は自分たちが住まうこの廃塔の三階、人影——リティリアたちが拠点としている塔は一階層に四部屋あり、一部屋につき二人が泊まっていた。
　廃塔とは言え、拠点とする以上は流石に掃除がされている。一階はロビーであり、二階から上がメンバーの私室だ。

　部屋割りは、二階にロザリアとリティリア、シャンテとレコ、コーデルとリオ、空き室。
　三階ではアデルとトレニア、アーリーンが部屋を持ち、更に二部屋は別PTのメンバーが使っていた。
　リエッタの部屋は元々二階だったが、一階キッチンでのつまみ食いがバレたためにゼルダ共々最上階へとぶん投げられている。現在二階で使われているのはリオとコーデル、そしてリティリアの部屋だけであり、残ったメンバーは専ら三階だ。

　螺旋階段を登り、ぎりぎり床が見えてくるあたりで、リティリアはひょいと視線だけ周囲へと巡らせる。
　警戒心の高さは自分たちの拠点においてもそう変わりはない、安全が確認されてからでないと、迂闊に姿を見せる事も躊躇われるのだ。

「……オルフェ、今かまわないか」

　やがて、脅威を感知しなかったリティリアはそっと三階に上がる。
　事前の索敵で探し人を見つけていたリティは、特に迷う事なくその相手の元に向かった。

　進んだ先にて、ソファに腰掛けているのは銀色の髪を束ね、肩に流した中性的な女性だった。
　ソファの傍らには大型の竪琴が鎮座し、女性の指によって低い音色を奏でていたが、それもリティリアの呼びかけによって停止する。
　女性は“オルフェウス”と呼ばれていた、三階に住まうもう一つのPTリーダーであり、傍らには参謀であり、従者でもあるダンピールの少女を伴っている。

「……。やぁ、リティ。僕に用事かい？」
「外出するから報告に来た、ロザリアに呼ばれている。あと、トレニアも借りる」

　問題ないか？　と金色の瞳を伏せながらリティリアは問いかける。
　オルフェのPTも本人を含めて六人のメンバーがいる。その六人はいずれもメルンテーゼに向かってはいない……筈だったのだが、約一名ロザリアの友人が時々向かって姿を消してしまう事があった。
　その穴を埋めていたのが、お留守番組であるリティリアだ。その穴を短期間とはいえ、更に開けるとなれば当然一言断っておく必要がある。

「……チコリー？」
「問題ないわ、別にどこかの村が消滅の危機に瀕して助けを求めてたり、魔王やドラゴンが舞い降りる予言がある訳でもない」

　黒く、少女趣味なドレスに身を包んだ幼女が即座に答えた。
　うちに依頼が回ってきてないだけかもしれないけどね、とうっすら笑っていたが、それを気にするような人間はこの場にいなかった。
　細かい事を気にしていたら冒険者として生き残れない、図太さと柔軟性は何よりも生存率を高めるのに役立つ。

「……だ、そうだよ。行ってくるといい、遅くなりそうな時は使い魔をよこしてくれ」
「失踪されると、いつ葬式すればいいかわからなくなるから」

　穏やかな口調でオルフェが語り、その横からチコリーが意地の悪い笑顔で茶々を入れる。

「心配ない、すぐ戻ってくる」

　そっけなく姿を翻すリティリアの後ろで、そういえば彼女は余り冗談を言わない性格だったね、と二人が語っていた。

辺りを見回しつつ、案山子の一行が歩いている。

（言葉には否定の意で首を左右に振る。挙動にあわせて帽子の飾りが涼やかな音色を届けつつ）

（指摘にはがっくりとうなだれつつ）

（作り物めいたそれではなく、綺麗に微笑みつつ）