犬がまだフライバイ——精確には自分の人生を奪った悪魔のようなもの、に
使役されていた頃、メルンストゥーラの面々の生活は見ていた。
その中で、このリセナという少女にはそれほど悪い印象はなかった。
他者を痛めつける事を楽しむ様子も泣ければ、欲が深いという印象もない。
人並みに傷ついたりする姿もみた。小柄で、子供のように思えた事もあった。

だが賞金首には違いない。それも解っていた。
賞金首として人の生命力を奪う少女が、何故、何を考えているのかまでは解らない。

ネクター。
思えばこの花が枯渇する事がなければ、
自分のエンブリオを殺める事もなく、自分が人畜になることもなく、
あの悪魔とも出会う事などなかった。

強い力を込め少女の瞳を睨む。その瞳には、再び鋭い殺意が宿っていた。
少女を憎悪しているわけではない。少女の瞳に、訴えかけているのだ。
自分の足跡、運命らしきもの、神、ドニィ、悪魔のような男、
ウィミノイウェーブという街、仲間を救えなかった自分、様々な許せないものそして、


『これまでの日々はなかったことになるのだろうか？』

『俺はそんなこともあったけなんて、ドニィの事を笑って話すようになるのだろうか？』

『殺意は——』

『殺意は、人間にだけ許された志だ。』


犬は、ずっとそう思っていた。
人間の自由な意志とは、殺意のことなのだと。
欲望や暴力の〈衝動の結果〉〈捕食の過程〉ではなく、
理性的に殺すという意志。
悪魔でも天使でもなんでもいいが、そういった人間の高位とされるものや
その他の全ての種の干渉を許さない、人間だけが持ちうる自己の勝利だと思っていた。

なにせ神や、この世の法律・理屈を作り出したものたちは、自分より高位の存在だ。
それらは何が善くて何が悪いのか、観念を描き出す独占権を持っている。
犬自身は殺したいほど許せないと思っているにも拘らず、
そういった観念の支配層に殺人を抑圧されるという事が
この犬にとっては、奴隷と成り下がる——尊厳を奪われる事に思えるのだ。
人を殺すことに、失敗し続けた自分であるからこそ。


…だがそれを伝える術もない。
言葉にならない強い想いをこめて、リセナの瞳に訴える。
そして契約を、する。

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　　　　　　　　　　　　　Frag.リセナのエンブリオとなりました！
　　　　　　　　　　　　　　　　http://dolch.bitter.jp/sub/colorkrr/sub/lise.html（お好きにお使いください）
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この少女と出会ったこと、そして契約すること。
これが正しい事なのか、望みのある行為なのかはまだ解らない。
しかし最早前に進むまであがくしかなかった。

そして否がおうにも確認させられた。また——
この犬を生かし続けるのは、やはり心の底の澄んだ殺意だった。
殺意は生きる意志であり、希望だった。ほかならぬ自分自身だけのもの、
この自己本位な殺意を自覚すると、全てを奪われたようなこの犬にも
再び立ち上がる力が湧いてきた。

再び折れた骨で地面に書き出す。

〈　ニンゲン　〉


今となっては自分が人間なのか、わからなかった。だが心は人間だ。


〈　フライバイ　
　　オレ　　ガ　ホンモノ　
　　アイツ　ハ　ニセモノ　〉

〈　ナマエ　カオ　ノットル　〉


傷口から血が漏れ出した。文字をつづるのに連動して、
地面に血が落ち、黒い染みを作っていく。


〈　アイツ　ノ　ドレイ　ミタ？　
　　オレ　　ハ　ソノ　ナカマ　 〉


腕の震えが激しくなり、倒れこむ。口があれば叫んだろうが、それもない。
…