砂の荒野へ向かう夜の道すがら、砂を規則的に踏み分けるその足音の隙間に女の声がまぎれる。
冷え始めた空気に、小さく呟いたような声が思いの外良く聞こえた。


時は戌の刻、宵四つを過ぎたあたりであろうか…。
尤も、"此処"にその単位が通用するかどうかは知る由もなかったが。


寒さを凌ぐ為に羽織っているほつれたボロ布のはためきが、小さくなり、徒党の歩みが止まる。

一呼吸置いて、暫くぶりに発せられた声は、砂地の乾燥もあってか思いのほか掠れていた。

男は一つ嘘をついた。

言葉と歩みを遮るように、太く筋張った柱のような右腕を女の前に出し、静止する。

岩陰と水分の少ない低木の影に、こちらよりも多い殺気がちらついている。

　雇い主であるはずの女、氷炎淡雪の、かつての姿を知っている。
ここに来た当初は確かに、忘れていたのだが…。
数日するうちに、それが少しずつ明瞭になっていった。


髪の色、目の色、その人間ではないことを伺わせる双角、そしてにおいや体温。
性格は驚くほど違っていた。やや年月がたったのだろうか、体格も少し変わった。


そして、この女が自分のことを覚えて居ないことも知っている。


戸惑いながらも同行を申し出た初めての動機は…
言い表せぬ償いに近い気持ちと、かつての記憶を取り戻して欲しいという、自身の我儘で軟弱な気持ちが
一寸でもあったことは確かだった。

それは、自らの内側に迷いをもたらし、太刀筋が鈍っていたことは間違いない。




だが、今は…




背中から振り出た大鉈・濠白波の刃の軌道は、一直線に振り下ろされる。
それはもはや、矛でありながら、楯であった。

その黒い鉤爪の付いた足袋が、砂地に自身の足跡を深く掘り刻む。

眼前に立ちはだかる人影を今にも貫きそうな視線でじっと見つめる。

背中に斬一文字を背負った白の一張羅の左肩を掴み、背後へと投げ捨てる。

やや厚手の重みを持った生地が、地面に付いたか付かぬかの処で
身の丈六尺二寸の男の背中から、腕の可動とともに、
　大鉈「濠白波」　が大きく弧を描き姿を現したかと思うと…

刃こぼれなど全く気にしない激しい衝撃が、地表の石を蹴散らした。