風が少し流れ、止まり。
　戸惑うように。アイヴォリーは口元を隠すように持ち上げた手を下ろし、それからもう一度途中まで持ち上げてから、結局それを下ろした。それはこの男にとっては非常に珍しいことだといえる。人の記憶に残らない動作を訓練で身に付けたこの男は、言葉で逡巡を見せることはあっても動作でそれをするということは滅多にない。それをこの男がやるとすれば、それは意識して自分の存在を相手に認識させておこうと考えたときだけだ。人の癖がそうであるように、無意識に制御された動作というものはよほどのことがなければ崩されないものだ。

「知り合い、ねェ……。」

　上げたり下ろしたりを繰り返し、行き場のなくなった右手で結局頬を掻きながら、アイヴォリーはそう呟いた。片眉を上げたままで、しかめっ面ではなく、かといって歓迎する様子でもなく、彼の表情はどうとでも取れる非常に微妙なそれだった。
　彼の相方が今朝言い出した提案はこうだ。この地に来てから知り合いになった少女がいる。彼女もまた二人組で探索を進めているらしい。そしてこの先に待ち受けている敵を無難に抜ける手段を探しているのも同じ。そこである程度の間共闘し、お互いの戦い方を認識して多少の連携が出来るようにすり合わせをした上で先に進もう、とこうだった。
　アイヴォリーにしてみても、その提案は悪くないものに見えた。日頃から彼が言っているように“パーティ”は最大人数で構成するのが基本だ。実際の人数が何人であるかは世界の“理”によって異なるにしても、その人数が最適とされているのにはそれなりの理由がある。その世界の中で構築されてきた戦術というものは、その世界の様々な法則の中で模索されてきた安全で効率の良い手段であり、そこに至るまでには住人たちの試行錯誤と発展の歴史がある。それならば、そこから外れれば外れていくほど危険になるのもまた当然で、安全に探索を進めたいのであればその最適化された人数を揃えるに越したことはない。

「シェリーちゃんって言ってね、エルフの女の子なのよ？」

　何をアピールするつもりなのか、メイリーはやけに“女の子”を強調して彼に言った。だが、今回に関していえばそれは逆効果でしかない。もっともその鍵になっているところは“女の子”ではなく、“エルフ”だったのだが。
　そう、アイヴォリーから見てもこの提案は悪くない。むしろ、最近負けが込んでいる自分たちにしてみれば渡りに船といったところだ。それどころか、これだけ負けが込んでいる自分たちには選択肢がないといわれても反論出来ないほどだ。その相手にしても、メイリーが仲良くなったのだからそれほど悪い人間ではないだろう。純粋で騙されやすいように見える彼女だが、本質的な人間の善し悪しを見分ける力は思いの外高い。むしろ、どんなところに来てもそうやって知り合いを作ってしまえる彼女の行動力には驚嘆すべきものがある。

「エルフ、ねェ……。」

　アイヴォリーは彼女に聞こえないように、小さく独り言を呟いた。
　アイヴォリーが気にしているのはそこだった。エルフを見れば、否が応でも彼の中には彼女の記憶が呼び起こされる。森の中にひっそりと湛えられた鏡のような湖の青。空を映して輝く水の煌めきのような静かな瞳。裏切りの記憶。
　憎まれ、恨まれることには慣れていた。それが仕事だったのだから。それだけに、彼を痛烈に許した彼女の記憶は繰り返し積み重ねてきた無数の裏切りの全てを忘れても、未だに彼の中で小さく傷口を開き続けている。彼にとってもっとも大きな裏切りであった司祭の女のそれと比べても、その幕切れがあまりに淡々としていただけに、未だにその刺は彼の心の隅に刺さり続けているのだ。
　要するに、彼の中であの出来事は終わっていないのだ。森を奪われ、“生命の樹”を奪われ、恐らくはもう世界の何処かで寄る辺なくして朽ち果てただろう彼女は、あのとき無条件に彼を赦したために、未だに彼の中で生き続けているのだった。
　時折、あれは彼女なりの“涼風”に対する復讐だったのではないかと思うこともある。それであればそのやり方は間違っていなかったといえる。あれから長いときが流れても最大限に効果を出しているのだから。だが、そんなアイヴォリーの逆恨みにも似た思いさえ許さないように、彼女の青い瞳は彼の心の中に焼き付いていた。全てを受け入れ許した彼女の心は彼の中にはっきりと刻印されていた。

「ま、会ってみッか。」

　ややもすれば尻込みしそうになる自分を吹っ切るようにして、アイヴォリーは口元に笑みを浮かべるとメイリーにそう告げた。せっかくの機会なのだ、自分のよく分からない、しかもはるか昔の思い出によって逃す手はない。第一、“彼女”に会う訳ではないのだ。単に、エルフの少女というだけだ。
　アイヴォリーは自分にそう言い聞かせるとメイリーの肩を押し、集合場所へと向かって歩き始めた。

　　　△　　土　▲
　　（　㊤　皿　㊤）　　がしゃーん
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　／│　　塊　　│＼　　　　　　　　　がしゃーん
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