嵐が去った。
　夜の間に荒れ狂った磁気嵐は、朝には何事もなかったかのように去っていた。天幕でまんじりともせずに一夜を明かした二人は、晴れ渡った空を見上げて朝日に目を細めている。

「何ともなくって良かったね、アイ。」

　空を見上げたままで、小さな妖精が傍らの男に語りかけた。視線の先、遠く高い空の上では、まだ風の乙女たちが荒れ狂って踊っているのが彼女には見える。だがそれは遥か遠くの話で、彼らのいる場所には時折大きな吐息のような風の音が届くのみだ。
　磁気嵐はときに世界すら破壊する狂暴な現象だ。世界の理をいとも簡単に砕き、無に還してしまう。それでなくても個々が伸ばしてきた成長の過程や既に侵攻された地域の状況を一変させる。それはそういった世界の様々な事柄が“記録”された領域を磁気嵐が破壊するからだ、と言われている。何にしても、彼らのように世界を渡る探索者にとって最も厄介なもののひとつがこれだった。何せ、磁気嵐は唐突に起こる。今回のように実際の嵐を伴うこともあるが、全く何の前触れもなしに訪れ、その到来に気付けない場合さえあるのだ。命まで奪われるということは滅多にないにしても、避けようがないだけに彼らにとってその動向は死活問題だ。

「まァコレでどうにか進めそうですかねェ。」

　空から視線を彼女に下ろし、長身の男──アイヴォリーは彼女に答えた。今回は物理的な嵐を伴った分、磁気嵐の本来の影響力は小さかったらしい。天幕で不安な夜を過ごした二人にとってそれは朗報だったはずだ。だが、それでもなぜかこの男の表情は優れないままだった。

「ヤレヤレ……どうにかなったのはイイが、どうしたモンだかねェ……。」

　はるか遠く、彼の視線の先には霞む城の尖塔らしき人工物が見えている。それはアイヴォリーの類稀な視力をもってしても雲や山の頂と見間違えてしまうほどに遠い。ただ単に、そこにそういうものがあることを知っているからそうと認識出来るだけの話だ。それほどに遠い城までの間には、変わらぬ荒れた大地が横たわっていた。
　今の彼らの実力では、二人でこの荒れ地を抜けることは出来ない。それが昨夜嵐の中で考えてアイヴォリーが出した結論だった。そう、磁気嵐は去ったものの、それで状況が好転した訳ではなく、このままでは進むことはもちろんのこと、そのための力を蓄えることさえ出来ないのだ。それは磁気嵐のように世界という大きな規模で影響を及ぼす現象よりも、むしろアイヴォリーにとって大きな悩みの種だった。

「仕方ねェ、一度川に戻ってみっか。」

　そう独り言を呟くと、アイヴォリーは彼女に確認さえせずにさっさと天幕を片づけ始める。昨日の間にある程度の話し合いはされたとはいえ、こういう時のアイヴォリーの行動はいつも唐突だった。

「えっ、えっ？！」

　目を丸くして彼の言葉に戸惑うメイリーを横目に、手際よく荷物をまとめ始めるアイヴォリー。確かにこの場所に留まる訳に行かないのは事実なのだが、そのための議論が十分されたかということとはまた別の話だ。

「ホレホレ、マタあのリサイクル野郎が出てこねェウチに、さっさとずらかろうぜ？」

　戸惑う彼女を急かしてさらに荷物をまとめていく。その彼の様子は普段と変わらないが、それだけに彼女には分かる。こういう時、この男は傷ついているのだ。自分が為すべき役目を果たせずにいるせいで。そういったことを口にせず、表情にも滅多に出さない男だが、その内面が案外繊細であることも彼女は知っていた。
　いつも彼がするような苦笑を口元に少しだけ浮かべ。

「やれやれ、仕方ないわね。」

　彼の口癖を真似て少しだけ呆れたような口調で、メイリーも彼を手伝って片付けを始めた。それを聞いて、アイヴォリーの手が止まる。どこか一心不乱に片づけをしていたアイヴォリーは視線を彼女にやると、ふっと小さく笑みを漏らした。

「マタ来れるようになってから、リベンジすリャイイさね。」

「ええ、そうよね。」

　その短いやり取りの後に、嵐の去った荒れ地で二人はいつものように後片付けを続けたのだった。