おやすみという声がかけられる。昔のように警戒するような瞳はお嬢様にはなく、優しいお姉さん程度の認識なのか信頼しきった顔と声音だった。すぐに寝息が立ち始めたのを聞き、荷物を整理しようとした瞬間、横腹に激痛が走り、壁に張付けられる形で首を押さえられ叩きつけられる。まさか、街の仲間で化け物のたぐいが普通来るわけがなく、また、強盗のたぐいでもない。手足にいばらが巻きつけられると、喉を抑えていた細い華奢な腕から開放され、餌付いた。
そんな私を鳥女が冷たい瞳で見つめている。
どうして。
しゃがれた声が私に問いかける。瞼は腫れぼったく、目は真っ赤だった。気分を損ねたらまずいと思いつつも、普段思っている感情が表面に出る。
「話が進まないからですわ。」
ギチギチと茨の締め付けが強くなる。虚ろな顔が私を見据え、茨がそっと喉を撫でる。
「もっと方法があるはずだよね？」
何を行っても怒りは多分収まらないだろうし、物騒な茨が喉元に食い込み、命を奪おうとしている。お嬢様のこと心残りだが、きっとこいつが何とかしてくれる。だから、呪詛を、汚いものを口から吐き出す。
「端的にいうと、あなたのことが気に食わないからですわ。ぱっと現れて、いつもニヤニヤして、私の大事な人を奪っていったあなたが。
だから、あなたも苦しめばいいと思った
あなたが現れて、お嬢様はかわった、それもいい方向に。でも、お嬢様はいつもあなたのことばかり話す。それが許せなかった。」
返答はない、表情もうつろでまるで人形のようだ。首の前に趣味の悪い茨がまだちらついている。
「今貴女が私にやっていることはずっと私があなたにしてやりたいと思っていたことよ。」
うつろな人形が茨を向けたまま、茨に掛かる力をそのままに私を見据える。やはり表情はなかった。
「好きだったの？その、恋愛対象として。」
小鳥のように小さい声が向けられる。侮蔑の含みも忌避の感情もそこにはない。表情も、うつろでぼやあとしていてわからない。
「ええ。愛してますわ。」
茨がはずされる。なぜかはわからない。
「福ちゃんにとって大事な人を始末する訳にはいかないの。今までひどいことをしてごめんんさい。」

傷薬と絆創膏と包帯のはいった袋を少女は漁る。鎮痛剤をポケットからだし噛み砕いた。
「ただね。」
優しい声音で少女は続ける。
「福ちゃんは寂しがっていたの。はじめにマルジャナが福ちゃんに作られた時、福ちゃんはマルジャナを抱きしめたの。やっとお友達が、いつでも逢えるお友達ができたって。それは、失敗だったのだけど・」

沈黙が流れる。温かいお湯を浸したタオルで優しく、傷がふかれる。
「その、お友達にどうしてなれなかったの。メイドであることってそんなに大切なの？」
「あなたも害獣ならわかりませんこと。害獣が庇護の外に出れば、近くにいる人間がどうなるか。」
「昔はそう思ってたよ。でも、今は違うの。人間は大嫌い。本当に嫌い。でも、中にもいい人がいるの。そう思わせてくれたのは福ちゃんのおかげ。福ちゃんが、私の体を作って、いろいろなことを教えてくれたから。」

ふわりと微笑む。

私は臆病者だ。
自分だけが安全な結界の中で、ゆったりとした暗い空間の中でガラスに入った蝶を眺めていた。でも、蝶はそんな環境で長生きなんてできるわけがなくて。徐々に衰弱して、哀れに思った大人が蝶を他の日当たりの良い住みやすい場所に蝶を住まわせてくれる人に蝶を渡したんだから。
そんな状態で蝶のためにできることは蝶を取り戻すことじゃない。
それなら、愛していた蝶は死んでしまう。
諦めるなんて、私をただ一人まっすぐ見てくれたあの人にはできない。なら、なにが。

蝶を譲ってもらってもいいような。環境にして、蝶への愛情を注ぐこと。
具体的にはお嬢様を呪い、今あるものじゃなくお嬢様の家の呪いの楔から解き放ち、そして解き放たれたお嬢様に気持ちを伝えること。
断られてもいい。嫌われてもいい。逃げてもいい。お嬢様が幸せならそれでいい。