木々が黒く取り囲む中、目の前の空には遠く霞がかった月が見える。

薄雲で霞んでいるのか、それとも、私の視界自体が霞んでいるのか。

全身から力が抜けていく感覚。
一兵卒とはいえ、収奪したネクターを持つ王の配下の部隊相手に、
契約も何もしていないエンブリオが単身で挑むこと自体、愚かだったのだ。

愚かしいとわかっていながらも、
目の前であの赤い花を奪われ、口惜しげに俯く人々を。
友人であるエンブリオが去り、泣く子供を見てしまっては、
止まることなどできなかった。


だから、こうして私は地を舐めている。
自分から牙を剥いておきながら無様にも逃げ出した。
それでも、追われすらしなかった。
王への反逆者には相違ないが、追う価値もない、ということだろう。

正しい。
放っておいても、私はその内ここで霧散して、野垂れ死ぬ。

茂った森の奥。
エンブリオとの契約が困難となった今では、
野の獣から身を護る術のない人などが来る筈もない。

悔しい、ものだ。
非力とは知っていた。
私一人でできることなどたかが知れている。
それでも、何一つも変えられないままだった。あまりにも無力だった。

そして無力なまま、死んでいくのだ。

力が散じていくのが解る。
高いところから低いところへ。
濃いところから薄いところへ。
風はそうして吹いてゆく。

自然のままに散っていく力が、周りの木々を揺らめかせ、
ざわざわと音を立てる。
辺りに動くものなど他にはない。

かに、思えた。


「……誰？」


どこかから、小さな声が聞こえた。


「誰か……誰かいるでござる……？」


ぱき、と小枝の踏まれて折れる音、
がさりと、草木を掻き分け踏みしめる音が聞こえる。
その音は徐々にこちらへ。


「君は……」


青年、と呼んでもいい年頃の男が、明らかに怯えた顔でこちらを見ていた。


「君は…………何？」


怯えている、といっても顔のほとんどは隠れていて見えない。
ぼさぼさとした長い前髪が片目を覆い隠し、赤いマフラーのようなもので鼻から下も覆われている。
最後に残って見える、左の目からはぼろぼろと涙がこぼれているし、声も明らかに涙声で震えている。
あまつさえ、時折洟をすするような音も聞こえてくる始末。

顔を晒けだしたら、さぞかしひどい顔がそこにあるんだろう。
そんな有り様にもかかわらず、男はこちらに近付いてくる。


「……生き、てる？生き物？」


声には相変わらず恐れが見える。
近寄る速度もゆっくり、ゆっくりとしている。

灯火がごとく幽けく揺らめき、
そして文字通り消えようとしている私を見て、男が何を思ったのかは私には判らない。


「…………」


男は草の上に膝をつく。
そして、私に手を伸ばし。
私が巻き起こす風に一瞬怯み。
また、手を伸ばして。



私を掬い上げた。









———どこかから、声が聞こえる。








「起きて、風早。」

闇から声が聞こえる———