二人で会場を一周し、ミモザを送り出す。情報を集めるには、俺が近くにいない方が何かと都合が良いからだ。
　後は暫くのんびり過ごすか。そう外れの岩場に腰を掛けたところ、酒の入った瓶をいっぱいに抱えた男に絡まれた。

「喧嘩か？　若いの」
「さあな。一人で見てくるらしい。怒らせたのかもしれん」
「がっはっはっは！　そうかそうか、気にするな。女にはよくあるこった」
　
　地元の者だという男に肩を竦めてそう答えると、大笑いしながら酒の入ったコップを押し付けてきた。一息で飲み干してやると機嫌をよくしたらしく、他人の肩をばんばん叩きながら二杯目をコップに注いでくる。
　岩のように硬い、節くれだった大きな掌。快活な笑い声を上げる日に焼けた赤ら顔。酒を酌み交わす合間にそれとなく男のことを観察してみたが、少なくとも農業に従事するメルンテーゼ人だということに嘘はなさそうだった。
　明らかに異常な俺の目や髪を見てもなんら怖気つくこともなく正面から訊ね、病気だと答えると大したことじゃないといって笑い飛ばしてきた。その様子に、媚びや遠慮は一切見られない。頭で考えるまでもなく、誰とでも分け隔てなく接することが出来る。きっと、そういう人間なのだろう。
　
「兄ちゃんたちは、おれらのために戦ってくれてるんだろ」
「そういう奴も居るだろうが、俺達は違う。それぞれの目的の為に動いている。……あまり、外の世界の人間を信用しない方がいい」

　男がそんな風なものだから、話題が一揆のことに移り変わった折につい余計な忠告をしてしまった。
　失言だ。そう思ったのだが——
　
「んなもん、うちの連中だって一緒さ。だからこんなことになっちまってる。でも兄ちゃんたちは悪い奴らじゃねえ。そのくらい分かる」

　彼はただ、穏やかな笑みを顔に浮かべながら静かに呟いて酒を煽った。呆気にとられていると、また先程のように顔をくしゃくしゃにして俺の肩を抱き寄せ、今度は瓶ごと口に突っ込んでくる。
　豪快すぎるスキンシップを煩わしく思いながらも、その中に懐かしさを感じ、いつしか俺の口元も緩んでいった。

——・——・——・——・——

　ミモザが戻ってきたのを見計らい、会場から抜け出した。
　立ち上がる寸前、「うまくやれよ」と念押しされ。思わず笑ってしまった。

「ちょっと、大丈夫？　顔、真っ赤だよ」

　足元の石に蹴躓いたのを見咎めて、ミモザがコートの袖を引っ張る。
　返事の代わりに親指を立てて見せたが、肩を竦められてしまった。

「ふうん。ずいぶんお楽しみだったみたいね 」
「むさ苦しいおっさんと、だけどな」

　私が働いている間に。
　そんな言葉が続くような気がして、喉の奥に嫌な味が広がった。
　前後不覚になるほどではないものの、少しふらついている。ついつい乗せられて飲みすぎてしまった。ミモザが揶揄したくなるのも無理からぬことだ。
　苦し紛れの軽口を返しながら、別れ際あの男に教えてもらった場所へと向かう。

　森の中だということは同じだが、祭りの会場へ向かう時に使ったものとは異なり獣道に近かった。目の前を遮る蔓や枯れ木を掻き分けて進んでいく。暫くすると、男が言っていた目印が見えてきた。幹に大きく斜めに傷が入った大樹。その横の急斜面。
　ミモザの手を借り——おそらく彼の想定とは正反対の状況で、少し申し訳ない——小崖を乗り越えると、視界が開けた。

「へえ」

　緑のカーテンを引き裂くようにして広がる、満点の星空。あちこちで瞬く星々は、遮るものがない地上へと光を散りばめていく。
　その光に従って視線を落とせば、色とりどりの花が見渡す限りの丘を覆っていた。花弁をいっぱいに開き、星の欠片を受け取っては仄かに輝いては揺れている。
　同行者たる彼女が珍しく感嘆の息を漏らしたのも、当然のことだろう。形容する言葉が思い付かない程に、美しい光景だった。道中の険しい道のりが、更に魅力を引き立てているのかもしれない。
　
「……いい場所だな」
「そうだね」

　暫く黙って眺めた後、頃合いを見計らって腰を下ろす。
　これ以上は互いに感想を漏らすこともなく、本題である情報交換に終始した。大きな集まりで得られる情報は多種多様に渡るものの、雑多で精度が低いという欠点がある。判断については俺に一任されていることもあり、議論は手短で済んだ。
　一段落ついたところでコートの前を開き、身体を倒して寝転がる。ひんやりとした土の感触が心地よい。
アルコールで火照った身体を夜風で冷やしながら、身動ぎがてら空から視線を移して横を向く、視界にかかる花弁の隙間から、星明りを弾く少女の金髪をぼんやりと眺めて——ふとあることを思い付いた。
　そっと、身を起こす。

「……ヘイアン？」
「思い出したんだ」

　訝しげなミモザへ答えにはならない返事をしながら、白と黄の花を選んで根元から手折る。
　そのうち何本かを束ね、別の花の茎を巻き付けて結んでいく頃には彼女も察したらしい。じっと、俺の手元を見守っている、

「……」

　おぼろげな記憶を頼りに、ゆっくりと指を動かしていく。
　茎の輪に花を詰めて、また別の茎で括る。それを繰り返して大きくしていくのだが、二、三回ほどで上手くいかなくなってきた。力を入れすぎて茎を折ったり、逆に緩すぎて結びが解けてしまったりすることがどんどんと増える。焦れば焦る程、汗が滲み、手元が余計に狂う。悪循環に募る苛立ちが、心を掻き乱す。
……結局。空がうっすらと赤みを帯び、紫紺に染まるころまでに形になった花輪はたった一つ。それも子供の掌ほどの小さいもので、あちこち別の方へと花弁が向き、ところどころ茎が飛び出して輪が歪んでいる。おそろしく、不格好なものだった。
　
「昔は……得意だったんだが」
　
　俺も、そして花冠も、散々な有様だ。思いがけず溢した呟きに、はっとして我に返る。
　いったい、何を勘違いしていたのだろう。
　
「……くっ」
　
花輪が落ちるのにもかかわらず、ぶるぶると震え始めた掌を開く。
何度も豆ができ、潰れ、その上から豆が出来ることを繰り返して硬くなった掌。
大口径の銃が排出する多量の火薬を浴び続け、細かな粒子がこびり付いて黒ずんでいる。
——十四年間。ただひたすらに“殺す”ことだけを覚えていった証が、そこに在った。

「ふ、ふふ。はは……はははははっ」

　乾いた笑いが唇の端から漏れ、次から次へと闇に呑まれていく。
　花冠が作れない？　そんなこと、思えば当たり前のことだ。
　吸血鬼を狩る。ただそのために“稼働”し続けた『黒(ノワール)』は、とっくの昔に『田舎の農村の一人息子』を塗り潰しているのだから。
　込み上げてくるものを抑えず、ひたすらに笑う。笑い続ける。こんなにおかしなことは他にない

「……ねえ、ヘイアン」

　そうしてどのくらい経ったのだろうか。ミモザが肩を叩きながら、俺の名を呼んだ。
　ああ、そういえば、付き合せていたんだっけ。普段は催促するような真似なんてしないから、ひょっとしたら、気付かなかっただけでずっと声をかけていたのかもしれない。
一言謝ろうと思い、顔を上げる。

「似合う？ 」

　一瞬、理解が出来なかった。
　しっかりと認識する前に視界が滲んでくる。拭い取り、もう一度目を凝らし——ようやく、分かった。
　花冠だ。
　歪で、不格好で、小さくて、いまにもばらばらに解けそうだけれど、まだ繋がっている。俺が作った、黄色と白の花をつけた冠。
　それが、ミモザの頭の上に載せられていた。

「駄目……かな」

　声を出そうにも、ひく、と引き攣るような音にしかならない。
　漏れそうになる嗚咽を強引に掌で押し留め、なんどか首を横に振り、それから、縦に振ってみせる。
それでも溢れそうな熱量は、彼女の手を探し、強く握って逃がした。

そう付け加えると、不満そうに鼻を鳴らす。

顔が付いていたら、恐らく口角を吊り上げてニヤリと笑っている事だろう。

そこまで言ってから、ふっと気が付いたように。