見果てぬ荒野を彼らは征く。
　音のない大地を軋ませて。
　狂い一つもない歯車のごとく、行軍はどこまでも続く。
　その魂はどこまでも気高く、愚か。
　歯車になってしまえば、止まること叶わぬが定め。
　元よりそれが、狂っていたなどと知る由もなく。

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　クローンエンブリオ。
　エンブリオを複製する、新王パラダイス陣営が持つ技術。
　それがどうのようなものかを探るのは、暫定議会の急務となっていた。

　ラッセル・ヨークが懸念したように、パラダイスもまたエンブリオであるならば、複製できてしまう。
　それはこの戦いを終わらせることが非常に困難なものとなるだろう。
　何より、その懸念を否定できる者は誰一人としていなかった。
　知恵者や権力者を集めても、パラダイスは得体の知れない存在だったのだ。

　そもそもパラダイスはどのような経緯で、王位を得たのか。
　前王は死んでおらず、パラダイスに王位を譲って姿を消した。
　その行方は杳として知れず、王位を譲った理由も、姿を消した理由も分からない。
　仮に王位を譲る必要があったのだとしても、それならばオリヴィア王女に譲ればいい。
　血による正統性こそが、王位には何よりも求められる筈なのだ。

　経緯が不明ならば、正体も不明。
　ネクターを独占した先にある目的さえ、未だ謎に包まれている。
　一揆の果てに新たな国を望むならば、まずは敵を知らなければならなかった。

「——それで、様子見はどうだったかね？」

　王都の邸宅にある自室で、ラッセルは一人の少女と対面していた。
　アムルイ・パセニシパ。
　山の民の出身にして、暫定議会を発足させた張本人だ。
　彼女は森にある研究棟へ赴き、クローンエンブリオについて探りを入れていた。
　問われたアムルイの表情は硬く、ラッセルの懸念が杞憂ではなかったことを物語っていた。

「とりあえず仲間と協力して、突入してみたよ。
　——結論から言えば、クローンエンブリオは実在してた。
　どんな仕組みかは分からないけど、追い返されるぐらい強いのがね」

「ふむ……」

　ラッセルに戦いの心得はないが、アムルイの腕は悪くないと知っている。
　彼女の仲間も、相応の猛者に違いない。
　それが追い返されたと表現するのなら、数に押されたわけではないだろう。
　単純にクローンエンブリオが強く、力負けしたのだと察することができる。

「勝てそうかね？」

「対策を取ったら、たぶん勝てるかな……？
　けど、急がなきゃ危ないと思う。
　あんなのが量産されたら、誰にも止められなくなるよ」

　それはそうだろう。
　一揆の最前線に立つ者でさえ、対策を必要とする強さ。
　それでいて、生まれたその時から戦えるほどの性能を持っている。
　そんなモノが量産されてしまえば、数に勝るという一揆衆の強みも失われてしまう。

「分かった、その点はこちらでも対策を練っておこう。
　ところで……君の目から見て、クローンエンブリオはどうだったかね？」

　強さではなく、存在への印象を尋ねる。
　アムルイはしばらく目を伏せて考え、やがて口を開いた。

「——生きていない気がした」

「ほう？」

「生き物と言えば、生き物なんだけど。
　血の流れてる人形っていうか……私の知ってる生き物とは、何か違う感じがしたよ」

「ふむ……あるいはそれが鍵になるか……？」

　おそらく現在のクローンエンブリオは、精神や記憶といったものまでは複製されていない。
　エンブリオとは精神や魂など、存在の本質であるという仮説————。
　それが正しければ、少なくとも精神は存在の本質ではないと言える。
　仮にパラダイスさえ複製できるのだとしても、現時点では脅威ではないだろう。
　複製によって生まれるパラダイスは、生まれ立ての赤子と変わらないのだから。

「しかし研究は今も続いているのだね？
　だとすれば不完全な点があり、それ故に君が生きていないという印象を得たのかもしれない」

「それはそうかもしれないけど————。
　本当に不完全なら、戦いに出すかな？」

「実験……という可能性もあるが。
　私が思うに、いつかは精神や記憶も含めた、完全な複製を目指しているのではないだろうか」

　それならばネクターを独占することにも合点が行く。
　エンブリオとの契約にはネクターが必要であり、エンブリオが存在するためにもネクターは必要だ。
　複製として増え続けることを思えば、ネクターはいくらあっても足りないだろう。

「まあ、引き続き調査する必要はあるだろうが。
　君はこれからどうするつもりだね？」

「しばらくはグリーンパレスの方かな。
　王女様が示した道だし、何かあるかもしれないから」

「なるほど。では、研究棟には私の手の者を——」

　言いかけたところで、部屋の扉をノックする音が響いた。
　激しいと言える程度には慌てた音で、緊急事態だとラッセルは察する。

「入りたまえ」

　促すと、連絡役に使っている若者が血相を変えて部屋に入って来た。
　やはり緊急事態だったか、とラッセルは内心で臍を噛む。

「——報告します！　研究棟に、一揆衆が大規模な攻勢を仕掛けました！」

「何だと！？」

　告げられた事実に、思わずラッセルは腰を浮かす。
　これから慎重に調査していくことを決めたばかりのところだ。
　しかも大規模な攻勢と言うからには、個人の暴走ではないだろう。
　対抗勢力か、それとも集団を形成している一揆衆か————。

「仕掛けた側の詳細は？」

「それが……その」

　若者は横目でアムルイを見て言い淀む。
　彼女と交流がある者、ということか。
　構わないから言えと、ラッセルは目で続きを促す。
　情を理由に止まるほど、アムルイは甘くないと知っているが故だ。

「は……研究棟に攻勢を仕掛けた集団は、——山の民です」

　それは。

「……間違いないのかね？」

　情では止まらない者の。

「間違いありません——彼らはアムルイさんの、出身部族です」

　たった一つの例外。

「族長を旗頭として、彼らは一揆衆に加わりました」

「……そうか。首尾はどうだね？」

「研究棟までは辿り着きましたが、例のクローンエンブリオに敗れました。
　数体は仕留めたようですが、彼らにも死傷者が出ている模様です」

　そこまで聞いて、ラッセルはアムルイを見た。
　彼女は不気味なほど静かに、報告を聞いていた。
　あるいは出身部族さえ例外ではなかったのか——？
　そう思いかけたラッセルだが、硬く握られた拳を見て違うと悟った。

　アムルイはいつか、自身を部族のための捨て駒だと語った。
　部族を存続させるために必要な犠牲で、それが自分の役割なのだと。
　そのことに疑問もなく、躊躇いもなかった。
　その役割を全うする手段として、彼女は新しい国を望んだのだ。

　——故に。
　もしも山の民が滅びるとなれば、彼女に戦う理由はない。
　今、彼女はその現実を受け止めているのだ。

「————皆が動いた理由は分かる？」

　連絡役に押し殺した声で問う。
　感情的に何故と叫ぶのは簡単だろう。
　だが、それでは何も解決しないことを彼女は知っている。
　何故と問うならば、それは前に進むために。
　悲しいほどの理性で、彼女は己を律していた。

「いえ、それはまだ……彼らはひとたび動き出せば、無視できない大勢力です。
　動き出した理由も含めて、今後、調査を進めて行きます」

「……お願いね。私も、手は尽くしてみるから」

　その言葉に、ひとまずは大丈夫か、とラッセルは安堵する。
　最悪なのは、アムルイがショックで動けなくなることだ。
　どうにかしようという意思を持ち続ける限りは、まだ頼れる相手だろう。

　それにしても山の民か——と、ラッセルは思いを馳せる。
　彼らは王国との繋がりが薄く、その生活様式もあまり知られていない。
　ただ、王国の中にあって独立を貫けるだけの勢力でもあったのだ。
　無論、数は少ない。
　軍が本腰を入れて討伐をしようとすれば、それは叶っていただろう。
　だがそれは割に合わない戦いだと、軍も理解していたに違いない。
　エンブリオを神と崇め、山野に生きる彼らは、並の兵士よりもずっと精強だ。
　大人の戦士ともなれば、正規の騎士であっても手を焼く。
　彼らを倒して従わせるぐらいならば、放置しておく方がずっと得策だろう。

　それだけに、誰が彼らを動かしたのだろうと考える。
　従えずとも、ある程度は意のままに動かせるというのなら————。
　戦力だけで言えば、騎士団を手にしたようなものだ。
　運用次第では現状の勢力図を塗り替えることも、決して不可能ではない。

「——ラッセル」

　ふと、アムルイが彼の名を呼ぶ。
　その表情にはまだ幾許かの混乱と、それ以上の悲壮な決意があった。

「何があっても、私は止まらないよ。
　もう止まれないぐらい、私は多くを巻き込んでしまったから」

　この僅かな時間で彼女は何を思い、何を覚悟したのか。
　辣腕の商人であるラッセルさえ気圧されるほどの何かが、今のアムルイにはあった。

「もしも私達が立ち塞がるのなら、その時は私が手を下す。
　そうすることだけが、きっと、部族のためにできる私の役割だから」

「……そう思い詰めるものではない」

　気休めだとは分かっている。
　分かっているが、あまりの悲壮さに慰めずにはいられなかった。

「彼らも一揆衆に加わったのだ。
　思惑はどうあれ、敵対したと決まったわけでなかろう？」

「……そうだね」

　そう言ってアムルイは、弱く微笑んだ。
　気休めでも慰めにはなったと、気遣うかのように。

答えを得た。
けれどそれは、きっと始まりでしかなくて。

答えをくれぬものに、挑むために。
答えなんてないものに、抗うために。