それは、夕陽の綺麗な時間帯の出来事だった。
　ふと上空から感じた視線に顔を上げると、鮮烈な朱が視界に飛び込んできた。
　夕陽の光が照らす中、羽ばたきの音と共に舞い降りてきたのは、全長150cmはあろうかという大型の鳥である。
　大型と言っても、鷲などのがっしりとした猛禽類というよりは鷺や鶴を思わせるスラリとした脚の長い体型で、後頭部の冠羽と長い尾羽が光を浴びて輝いていた。

　金色の眼と視線が絡む。
　言葉はなかった。
　ただ、首の後ろを走る悪寒…敵意を察知したことでカサネは開戦を悟った。
　ほぼ同時に、偵察に出ていた双頭の獣の遠吠えが聞こえる。
　二つの頭からそれぞれ違う音域で発せられる獣の歌声はカサネに彼らの加護を付加し、戦闘への準備を瞬く間に整える。

　朱い鳥が翼を広げる。
　飛び立つ訳ではなく、攻撃の動作だと気付いた頃には相手は既に行動に移っていた。


（…避けられない！）


　襲い来る炎の渦を回避するには初動が遅過ぎた。
　ならばとマフラーを引き上げ気管を保護し、武器を引き抜き様自ら炎の中へと飛び込む。
　炎が肌を掠め、髪を焼くが足を止めることはしない。
　炎の中を突っ切り、ナイフを振り下ろす。
　手ごたえはあった——が…


「浅いか…！」


　カサネがまさか突っ込んでくるとは思わなかったのか、朱い鳥は金色の眼を僅かに見開きながらも後方へと飛退いたのだ。
　翼も厄介だが、脚力も相当なものらしい。
　いつぞやのバーニングダチョウほどではないにしろ、迂闊に近付き過ぎれば蹴りを見舞われることにもなるだろう。
　厄介な相手だ。

　炎が意思を持つようにまとわり付き、消えない。
　恐らくは、炎上の状態異常…長引けば不利になるのは自分だ。

　舌打ちして足場の悪い砂地を踏みしめ、再び走る。
　自分に従うエンブリオ達が追随してくる気配。
　自分の右後方を滑るようにのたうつ一角蛇の名を呼ぶ。


「アウイン！」

「はい、直ちに！」


　水の気配と共に魔力が満ちる。
　間髪いれずに朱い鳥が翼を振るい、炎が波となって押し寄せた。
　同じように突破を試みるも、相手もそう何度も同じ手に掛かってくれるわけでなく、反撃は浅いものに留まる。


「ぐ…っ！」


　炎に炙られて苦悶の呻きを漏らしたカサネに、金色の眼が愉快気な笑みの形に細められる。
　だが、それこそカサネの狙っていた瞬間だった。


「……ぶちかませ!!」


　静かだが鋭い主の声に、一角の大蛇が即座に反応する。
　ソレイユをカサネに付加し終わると同時に攻撃態勢に移っていたアウインが、砂の上をまるで水面を走るかの如く体をくねらせて突撃した。
　死角から水の魔力を帯びた角の一撃を叩き込まれた朱い鳥が苦悶の悲鳴を上げる。


「クレノ！」


　止めとばかりに影に潜む獣の名を呼べば、よろめく朱い鳥の体が砂地に作ったその影より黒い獣が躍り出る。
　翼に噛み付かれ、地へと引きずり倒された朱い鳥は、ダメ押しのようにその首を鋭い爪を持つ獣の前足によって押さえ付けられたことで観念したらしく、ゆっくりと体の力を抜いた。

　炎上の状態異常が消えたことで相手の戦意がなくなったと判断し、カサネは詰めていた息を吐いてナイフを鞘へと収める。
　火傷を心配してオロオロするアウインの首を軽く叩いて大丈夫だと言外に告げ、口元を覆っていたマフラーを下げてようやく息苦しさから解放された。
　主の指示を待っている黒い獣に目を向けば、心得た獣は慎重に前足をどかして一歩下がる。

　いつでも飛びかかれる臨戦態勢を維持したまま腰を下ろす獣を横目に朱い鳥へと向き直れば、相手はよろめきながらも自力で立ち上がり、羽を膨らませて身震いしていた。
　そこかしこに付いた砂はそう感単には払い落とせないようで、冠羽を逆立てながら不快そうに眼を眇める様子は身だしなみを気にする女性を思わせる。


「アウイン、水」

「え？は、はい」

　　
　差し出したハンカチをアウインが召喚した水で濡らし、今一度鳥へと向き直った。
　カサネを警戒して体の羽を膨らませる様子に苦笑し、屈んで視線を下げる。


「そのままじゃ気持ち悪いだろ。砂を落とすだけだ。その他は何もしない」


　ほら、と濡れハンカチを見せると首を傾げた朱い鳥はつんつんと嘴でハンカチを突っつき、やがてそれが無害な物だと分かったのか首をもたげた。
　その仕草を勝手に同意を得たと解釈し、そっと手を伸ばす。
　鳥は拒むことなく、大人しくカサネが丁寧に砂を落とすのに任せていた。





　＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊　＊





「…よし」


　夕陽が沈もうかという頃になってようやく満足したカサネが顔を上げると、そこには戦闘前の美しさを取り戻した朱い鳥の姿があった。
　翼を片方ずつ広げ、風切羽や雨覆部の汚れをチェックした朱い鳥は満足気に翼をたたんで尾羽を震わせると、長い首をもたげてカサネを見上げた。
　金色の眼差しに敵意はなく、むしろ好意的な笑みをもって細められる。


「悪いね、坊や。いや、まさか私の狩場に侵入した相手に羽繕いされるとは思ってもみなかったよ」


　滑り出たのは、女の声だ。
　女性っぽい仕草をするとは思っていたが、まさか本当に雌だったとは…と言うこと以前に、自分への呼びかけに一瞬カサネの思考が止まる。


「……坊や…って、俺？」

「他に誰がいるってんだい？…ああ。そっちのおチビちゃんも坊やといえば坊やだねぇ」

「…私もですか?!」


　成人済男性と全長10ｍを越える大蛇を朱い鳥はカラカラと笑って坊や扱いである。
　そういえば、ニグレドにも初対面では坊や扱いされていた気がするが、今よりショックを受けなかったのはやはり性差だろうか。
　というかこの鳥、何か凄い覚えのある感じがする…　
　自分の脳裏に浮かんだ小柄な女性の姿に、カサネは思わずぶるりと身を震わせた。
　打ち消すように首を振って、慌てて鳥の言葉を拾い上げる。


「狩場を荒らしたなら謝る。悪かったな。そんなつもりじゃなかったんだが…」

「ああ、そうだろうねぇ…最近そういう連中多いから。でも、アタシも本能だからさぁ…悪かったね」

「いいよ。結果的に怪我させたのこっちだし」

「あら、こんなの怪我のうち入んないわよ。坊やがネクターをくれれば一発さね」

「…………ん？」


　なんだか話の流れが妙な方向に…というか、どこか既視感を感じで双頭の獣の方を見れば、二つの頭はそれぞれ違う方向にそっぽを向いている。
　助ける気は、ゼロらしい。


「何だい何だい？アタシと契約するのは不服かい？」


　ずいっと首を伸ばして下から覗き込んでくる鳥は、長い脚で地面を踏みしめている。
　断ったら、確実に蹴りが来るだろう。
　考えたくはなかったのだが、有無を言わせぬその様子が実家の姉と完全に被った。
　この類の相手にこうと決めたことを変更させるためには、多大な努力と労力を必要とする。
　それを身を以って知っているカサネは、早々に諦めることにした。


「…………よろしく、お願いします」

「んふふ！最初からそうやって素直にしてりゃ良いんだよ」


　差し出した赤い花は瞬く間に火花と化して朱い鳥の体に吸い込まれる。
　それを見届けると、鳥は冠羽を揺らして頷いた。


「契約完了だね。よろしく頼むよ、旦那」

「……旦那は勘弁して下さい」


　げんなりとしたカサネに、鳥は意外と長い睫に覆われた目を瞬かせる。
　双頭の獣がそう呼ぶ相手が既にいるだけに、その呼び名だけは遠慮願いたいカサネからの切実さが伝わったのか、彼女はあっさりと引いてくれた。


「そうかい？ご主人を持つのは久々だからねぇ…さて、じゃあ何て呼ぼうか」

「名前でいいよ…他の連中にもそうしてる。俺は、カサネ…玄守 カサネだ」

「いきなり名前を呼ぶなんて失礼なことは出来ないよ。坊やは私のご主人なんだからね」


　坊や扱いは失礼じゃないのか、と思いはするものの、女性に年齢の話が禁忌だと言う事は心得ているのでスルーする。
　この鳥には多分、口では到底勝てる気がしないし。


「…そういうものか？」

「そういうものさ。ああ、それと…アタシに名前をおくれよ。とびきり趣味のいいのをね」

「え、あ、はい…」











　こうして唐突な襲撃は幕を閉じ、カサネはスザクのエンブリオを新たに仲間に迎えたのである。

　

（馴染みの待ち合わせ場所。何日振りか、忍装束の男が姿を現した）

（いつもの様にそこに佇む青マフラーの青年へ、いつもの様に静かに声を掛ける。
しかし常と変わりなく振舞うその表情にはほんの僅か——
気付くか気付かないか程度ではあるが、疲れの色が見えるだろうか）

（米の入った麻袋と、既に二人の間を何度も行き来しているお重を手渡す。
中には蒟蒻と肉巻き牛蒡の煮物、山菜の胡麻和え等のおかず、
そして筍を炊き込んだおむすびが幾つか並んでいる）

（ふと、カサネの顔をじっと見——）

（そしてすぐに目を伏せると、一言ぽつりと呟いた）

（水辺で転んで頭から水につっこんでしまったようだ。）