派手な水飛沫を上げて水面に叩き落され、肺の中の空気がゴボリと音を立てて出て行く。
　器官に水が押し寄せる感触と同時に、下から押し上げられるようにして水から救い出される。




「大丈夫ですか、我が君？」




　咳き込むカサネを背に乗せたパロロコンが首を返して尋ねてくる。
　それに片手を上げることで応えて、カサネはぶるりと頭を振った。
　昨日から魔力の制御訓練と称してニグレドとクレノに魔法攻撃をぶっ放されているのだが、生まれてこの方魔力や魔法などとは
縁遠い生活を送ってきたカサネには、反応すらロクにできない。
　練習試合と呼ばれる一揆参加者同士の訓練では、エンブリオ達の助力のお陰で何とかなっているのであって、カサネ自身の
素の状態での魔力制御能力、或いは感知能力というのはほとんどないにも等しいのだ。
　ゆえに、ニグレド達はまず習うより馴れろとばかりに魔力を使った実戦形式の訓練を行ってくれているわけなのだが…




「これ、効率悪いと思う」

「だねぇ…んー…主殿の育った環境に戦がないのがなー…」

「……問題はそこなのか？」




　器用にも前足を口元に当てるという実に人間くさいポーズで溜息を吐いたニグレドに、カサネも溜息で返した。
　濡れた前髪をかき上げ、重く水を吸ったマフラーを外して絞る。
　濡れてもいいようにと事前に言われていたし、昨日も同じ目に遭っているのだが、いかんせん切ないというか、情けなく感じる
のは致し方ないだろう。




「そうやってみると、主殿はやっぱりあのヒトの血筋だねェ」




　ニヤニヤ笑うニグレドに、何がだと視線で問えば、獣はくふふと口の中でまた笑う。



　
「顔がよく似てるんだヨ。眼の色は違うけどネ」





　カサネの先祖は本来、黒髪紫眼の血筋らしい。
　ただ、彼の目は色素を持たなかった。部分的な色素欠乏症で、目だけアルビノだったというのだ。




「だから視力補正の術が解けたらわりと悲惨だったネー…眩しくて見えないっていうんだもん」

——ニグレド、それだ




　じっとニグレドの思い出話に耳を傾けていたクレノが、唐突に口を挟んだ。




——循環型の補正魔法術式……あの術型式なら、魔力に不慣れな主でも魔力の流れを感じることができるだろう

「あ…あぁー！そっかそっか、そうだネ！」





　うんうんと頷き合う猫と狼…見慣れたとはいえ不思議な光景だよなぁ…と、カサネはすっかり現実逃避に走っている。
　とりあえず、ずぶ濡れだった服を着替え、適当な枝に干すことにした。夜のうちに乾くといいのだが。
　



「なぁ、アウインはあいつらが何いってるか分かるか？」　

「凡そは。私どもの使う魔術の系統とは違うようですが」

「……魔力を日常的に扱ってると、やっぱ強いのな」




　傍らに控える一角の大蛇に問えば、返って来るのは是の答えで。
　これが科学という利便性優先の技術社会で育った者と、魔法の廃れていない世界で生きている者との違いなのだろう。
　それでも—彼らと同じ世界に今いる以上、同じ土俵に立たねばならない。
　彼らが呼吸をするように魔力の流れを掴み、己が管理下におく術をカサネも習得しなければならない。
　それができてから初めて、まともに戦う術を模索する段階に入れるのだろう。




「よし、じゃあこれで行こう！」




　どうやら方針が決まったようで、ニグレドが靄の左前足でちょいちょいと手招く。
　どうすればいいんだと近寄れば、正面に座るように指示されたので従うと、ニグレドは後ろ足と尻尾で器用に体を起こし、
両前足をカサネに差し出した。




「まずは、俺の前足を握ってネ。うん、そうそうそんな感じー」




　相変わらず、靄のような見た目に反して毛皮の感触がある不思議な体に触れると、ニグレドが準備ヨシとばかりに頷いた。




「まず俺が、主殿から見て左から魔力を渡すから、何か来たなーと思ったら教えてネ」




　分かったとカサネも頷いて、ニグレドの右前足を握る左手に意識を集中させる。
　最初は何も感じなかったのだが、２〜３分もすると体温とは違った熱がじんわりと伝わってきた。




「どう？分かる？」

「なんか、あったかい…？」

「そう。俺の魔力は火が一番強いからネ。これ、覚えておいてネ」

「分かった」

「んじゃ、次。手のひらの熱を反対の手まで移動させて。魔力は流れるモノだから、水のようなモノだと思えばいいヨ」




　ゆっくりでいいからネと励まされ、頷く。
　説明が抽象的というか、イマイチ要領を得ないのが難点だが、それはカサネが呼吸の聞き方を聞いているようなものなので
仕方ないだろう。
　さてどうしようとしばし悩む。
　ニグレドの言葉を反芻し、手の中にある魔力は流れるものだと意識して…そこで気付く。この手の内側には、実際に流れている
ものがあるのだと。

　血の流れに乗せるように、ニグレドから渡された魔力を流していく。
　ゆっくりでいいという言葉に従い、慌てず焦らずを心がける。
　魔力の流れは腕を伝い、体を通り、逆の腕へ。




「うん、やっぱ主殿は勘がイイネ！」




　魔力の流れが右手に到達したのが分かったらしく、ニグレドがにぃっと牙を見せる。
　じゃあこのまま流れを一定に保つよーといわれ頷いたが、これがなかなか難しい。
　ニグレドから送られてくる魔力の速さは一定なのに、カサネは血液にイメージを重ねてしまったため、拍動に引きずられてしまう
のだ。
　そのため、カサネは勤めて呼吸を整え、集中しなければならなかった。
　それはさながら、戦闘時のように。
　お陰で、30分もすればヘトヘトになってしまったのだが、ニグレドは上出来だと笑った。
　



「今までろくすっぽ魔力を感じてなかった状態なんだし、十分だヨ！毎日続ければコツも掴めるデショ」



　






　こうして、毎夜寝る前に追加された魔力の制御訓練のお陰で、カサネは夢も見ずに熟睡できるようになったのだった。

（故人の所業に頭を下げる忍者、困惑＆うろたえる青年、とりなす獣——
そんな謎なやり取りから、数日後。
次の待ち合わせにと定めた場に、再び忍が姿を現す）

（カサネの「ん。」同様、それだけ言ってずい、と差し出されたのは——風呂敷包み。
包みを解けば、小ぶりのお重がいくつか重なっており。
中には、根菜の金平や朴葉に包まれ茸と共に焼かれた鶏肉、
そしてシソの実を混ぜ込んだ握り飯が詰められている）

（そう言ってカサネにお重を押し付けた後、それからこれも、と栓をした竹筒を渡す。
振ればからからと、乾いた音がするだろう。出てくるのは、いくつかの茶色の丸い塊）

（何かもう殆ど、「一人暮らしの息子を心配してあれこれ持ってくるおかんの図」であった）

＊

（暫くカサネを見ながら何か考えた後。
「失礼する」と、常時その首元を守っているマフラーの端を手に取った。
カサネが何事かと問う前に、忍はマフラーを手にしたまま集中する様に目を閉じる）

（ゆっくり目を開き、音も無く一つ息をつくと、
マフラーに焼き付いた小さな蝶の紋を目で指しながら口を開く）

（そう言って静かに笑った忍の腰帯で、朧銀の小さな蜥蜴が揺れた）