見上げた空は満天の星空。
　相変わらず、この世界は星がよく見える。
　それだけなら、まぁ、別に構わないのだが…



「……ニグレド」

「うん？どうした主殿？」

「何で俺、こんな状況に陥ってんの？」



　先日新たに契約を結んだアニマのエンブリオの腹に背を預け、空を見上げたままカサネが問う。
　ニグレドという名のその獣には、右半身しかない。彼の左半身は靄のように揺らめいていて、カサネは現在その揺らめきの中に
寝転がっている状態だ。



「地面に直接寝るよりマシだろ？」

「いや、それは確かにそうだけど…」

「細けェ事ァ気にすんなよー…主殿の先祖だって散々俺を枕にしてたしなー」



　金色の目を片方だけ開けて、ニグレドは笑う。
　本人（？）が良いと言っているのだから、素直に言葉に甘えても構わないのだろうとは思うが、それでもカサネがためらってしまうのは
一応理由があった。
　それは、先刻ニグレドから直接確認したことだ。すなわち、ニグレドが探す片割れ…彼の左半分のことである。



「お前さ、元はこっち側に片割れいたってさっき言ってたよな？」

「んー？あぁ、言ったけど、ソレがどうしたのさ？」

「いや、そしたら、そんなとこに俺が転がってたら、違和感凄いんじゃないのか？」



　本来あるべき場所に、あるべきものとは異なるモノが居座れば、違和感を感じるのは当たり前だろう。
　だからソレを指摘したのに、首を上げた獣はきょとんとした顔で見下ろしてくるばかりだ。



「何で？」

「何でってお前…感覚共有してるんだろ？俺の事知らない片割れがビックリするんじゃないのか？」

「…………あ！あー！そうか、そういうアレね。ハイハイハイ、通じた通じた。なるほどなぁ…ふぅん」



　数拍の間を置いた後、ニグレドは仕切と納得したような様子で頷いてみせる。
　人間であれば、ポンと手を打つような勢いで尾が地面を叩いた。



「大丈夫だよ、あいつはもう知ってるから」



　そして、こともなげに言ってみせる。



「俺とあいつは、二つで一つだもの」
「最初の俺みたいに色々塞がれている分、自由になった俺からの情報は直接見聞きするより鮮明にいってるだろうよ」



　驚く様子の主を見下ろす獣の胸中は複雑だった。
　カサネの先祖——かつて主と呼んだ男の時代では、当たり前とまでは行かずとも、それでも戦場に立つ者達なら大概の者が
知っていたことだ。
　複数の首を持つ獣の魂の在り方と、契約者、或いは盟約者との繋がりの知識は、単一属性しか持つことが出来なかった
あの大陸の人間たちには生命線だった。
　彼らは属性武器を持つか、魔獣や神獣と契約することで漸く自分の持つ属性加護以外の魔力属性を持つことが出来たのだ。
逆に言えば、そうでもしないと一つの属性に縛られることになる。
　多くの者が少しでも戦場で有利に経つために、自分の加護属性とは異なる属性を宿した武器を求め、力を持つ獣達との
契約を望んだものだ。
　カサネがそれを欠片も知らないというのは、つまり彼は戦場と無縁の生活を送ってきたということを意味する。
　かつての主からすれば、自分の子孫の世が平和であることは喜ばしいことに違いないだろうが、カサネがあの男の
子孫であることを思えば、戦と全く関わりを持たないというのは不思議な感じがするというのが正直なところだ。
　何しろ、一応騎士だったにもかかわらず傭兵が天職とのたまい、戦場での先駆けを楽しむあまりに後続の部下達を置き去りにし、副官の位置にいた者から事あるごとに説教を喰らう様な男だったのだから。
　


「主殿という目印が出来たから、あいつも俺を探しやすくなってんだよ」



　そんなかつての主とは似ても似つかぬ性分であるだろうカサネは、けれど酷く彼によく似た匂いをしている。
　それは、暗く深い深淵を宿し、乾くことのない血の匂いだ。
　翼を失い、空を忘れていったいどれくらいの時が過ぎたのだろう…ヒトの世ではきっと途方もない時間に違いない。
　最早彼の女神の名も、始祖となった男の家名も名乗ることが適わぬほどに血が薄れているというのに、カサネはあの男の血縁者だと確信できた。目印として、これほどの適任者はいない。
　事実、契約を結んだあの瞬間、自分達の魂が震えたのを覚えている。
　ニグレドと片割れは、二つで一つ。
　自分が感じたこの郷愁にも似た想いを、片割れも感じていたはずだ。
　ゆえに、ニグレドは主の右側に添う。
　片割れと繋がる左半身で、片割れにより明確に主の存在を伝えるために。

　一方のカサネは、そんなものかとアッサリ納得していた。
　というのも、不思議なことにニグレドの言葉には嘘がないのだと、どこかで知っていたからだ。
　かつてニグレドとその片割れはカサネの先祖に仕えていたのだというから、ニグレドの言うところの『魂の欠片』が彼を覚えているせいなのかもしれない。
　クレノに比べて随分とノリが軽いように見えるニグレドだが、仕切と離れ離れの半身を案じているのも既に知っている。
　恐らく、事あるごとにカサネの右側に居たがるのもそういう理由なのだろう。
　ならばと、カサネも遠慮せずにその背を黒い靄に沈める。

　不思議なもので、見た目はどう見ても靄なのに、感触は毛皮なのだ。
　クレノのように柔らかく滑らかな手触りとは言い難いが、背に感じる鼓動とその温もりはカサネを安心させた。
　文字通り、背を預けていいのだという確信。
　それは他者を警戒することが癖になって久しいカサネにとっては自分自身で驚くことであったが、そもそもが出会いからして驚きの連続なのだし、いい加減慣れた。
　この世界で生きていくためには、多分、必要なことなのだろう。
　ほんの少しずつであっても変わっていく自分に戸惑いはある。
　それでも、傍らにはクレノとニグレドがいるのであれば、多分悪い結果にはならないだろう。
　彼らに感じる信頼が、例え自分自身ではない遠い祖先が抱いたものなのだとしても、まぁいいかと思える程度には彼らを気に入っているし、もうどうとにもなるようにしかならないんだからというやけくそ気味の諦観でもあった。
　どれだけ泣こうが喚こうが、抗おうが、生きている限り時間は過ぎ去っていくし明日は来るのだ。
　ならば、前に進むしかないではないか…


　そんな風に前向きなのだか後ろ向きなのだか分からない感情を抱いたまま、カサネは目を閉じた。

（忍にとっては難しき道を選ばせる、変わった主家にござる
——と、言葉とは裏腹、その顔は穏やかに笑い）

（札を再び懐へ納めながら、黒い獣をまた見遣り。
——契約のあり方にも、因る所があるのやも知れぬな…と呟く）

（花札に向かってぼそぼそと一人語りかけるニンジャ…　コワイ！！）