或る日私は、ブラウニーと“彼女”が話している姿を目撃しました。

　楽しそうな二人の雰囲気を見ると何となく声をかけ難く、私は物陰に隠れてしまいました。
　どうやら、彼女達はカーミラお姉様にお使いを頼まれたようです。

　私は二人の後を、付けることにしました。

　息を切らす“彼女”。
　ピット家に仕えるメイドとして、この程度の距離を走れないというのは些か問題を感じましたが。
　吸血鬼でも何でもない、唯の人間に多くを望むのは酷というものでしょうか。

　妖精の方は平然とした様子で、古本屋の前で仁王立ちしています。
　私はあの妖精が余り好きではありませんが、内に秘められた魔力は相当のものがあるのは認めていました。

　私はあの妖精が余り好きではありませんし、その理由があの愚かさにあることは明白でした。
　二人の間に、「これからどうしようか」とでも言わんばかりの沈黙が広がります。

　語気を荒らげる“彼女”に対し、妖精はやれやれと肩を竦めた後、びしっと天高くに指を突き出しました。

　私はその様子を見て驚きました。——いえ。妖精の動作が問題なのではありません。問題なのは妖精ではなく——。

　そう。“彼女”——ミラルカを、自在に“カーミラ”へと切り替える術を、あの妖精が持っていたことに驚いたのです。


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━━━┫　回想　ミラルカ＝カーミラ　 ┣━━━━━━━━━━━━━━━ ━ ━ ・・・
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　私が初めて“彼女”と言葉を交わしたのは、吸血学の講義をする為自室で準備をしている時のことでした。

　見るとミラルカは、血液パックとミネラルウォーター、そしてワイングラスを載せた盆を手にしていました。

　私がぴしゃりと言い放つと、“彼女”は困ったような表情を浮かべました。
　然し失敗には叱咤を。新人だからと甘い言葉をかけてやる必要はないのです。ピット家の一人娘として、私は誇り高く在ることが求められていました。

　そう言うと、抑えていた魔力を僅かに開放し——威嚇するように瞳を紅く染めます。
　“彼女”は肩をぴくりと揺らし、私の瞳を真っ直ぐに見つめていました。

　呆けたようにこちらを見つめる“彼女”。
「もう良いから下がりなさい」私がそう言いかけた——瞬間。

　私は一瞬、何が起きているのか分かりませんでした。
　“彼女”の纏っていた空気が。様子が。印象が。何もかもが別人のように変化したのです。

　“其れ”は私を強引に抱き寄せ、首元に口を付けます。
　抵抗しようと全身に魔力を込めますが、その時は既に私の肌へ“其れ”の牙が食い込んでいました。

　——ちゅくん。
　人間であった筈の“彼女”に、私は血を吸われてしまいました。と、同時に、全身の魔力が乱されるのを感じます。

　吸血鬼における魔力とは、即ち血液のこと。それは同時に、吸血鬼の魔力を取り込んだ吸血鬼は、唯ではいられないことをも示していました。
　気が付くと私の瞳は蒼色に戻り、全身の筋肉が弛緩していくのを感じました。長いこと魔力流動に頼って、通常の食事や運動を欠かしていたのが原因でしょう。

　“其れ”が容赦なく牙を肉に食い込ませ、びくびくと腕の中で痙攣する私の体液を、魔力と共に吸い上げていきます。
　いのち
　生命が奪われていく感覚——。それはある種快楽のようであり、不可思議な倒錯感を与えていきました。

　カーミラと名乗った其れは、私の眼前に超然と君臨していました。
　灰のように白かった瞳を紅く燃やして凛然と。
　吸血鬼の血を吸っても極々平然と。

　私は力を吸い出される度、得も言われぬ幸福感が全身に満ちてしまっていることに気が付いてしまいました。
　生物としての絶対性。私はカーミラより劣っている生き物なのだと、肉体に刻み込まれたのです。

　思わず漏れ出る屈服の言葉。それは驚く程自然に、私の中から発せられていました。

　ご褒美とばかりに牙で肉を抉り、血を綴るカーミラ。
　私の躰は、歓喜に打ち震えました。

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　僕は、ローラの死体から牙を離す。
　唇から漏れ出す血を舌で舐め取ると、鉄の味が口内に広がった。

「僕——ミラルカが、カーミラ……？」
　カーミラ・ピットという化物はミラルカの心の中にしか存在しない、空想上の化物——。
　少なくともローラの記憶を読み解く限りは、そうとしか考えられなかった。

「……そんな、ことって」
　有り得ない——とは、言えなかった。

　

　僕は思い出す。数多の悪魔を食らう際、幾度と無く口にしてきたこの言葉。化物を前にした時、僕は自分が自分でなくなるような感覚を覚えてしまうのだ。
　気が付いた時には、血液を体内に摂取してしまっている。今だって僕は、無意識の内にローラ・ピットの死体を穢してしまった。

「ごめんなさい」
　懐からハンカチーフを取り出し、ローラの顔にかけてやる。
　吸血鬼と言えど、葬ってやるくらいでバチは当たらないはずだ。
「……まあ、流石に棺桶は用意してあげられないけど——あれ？」
　首筋から血を垂らす彼女の屍体を見て、ふと気が付く。
　生前首から下げていた物——青い宝石をあしらった十字架が、僕の首元にかけられていたのだ。
「何で、僕に……？」
　この十字架に、何か意味が有るのだろうか。
　しかしそれを理解することは出来なかったし、死者の供物を勝手に奪い去る訳にはいかない。返さなくては。
　僕は十字架に手をかけ——

「その十字架は、キミの物だよ」

　——る動きを、静止する声。

「貴方は——」
　その場に似つかわしくない程軽妙な、聞き覚えのある声。振り向く。そこに居たのは——

「やあ。死んでぶりだね。上手く生き返ったようで何よりだよ」

　ブカブカの白衣に褐色の肌、へらりと張り付くような笑顔。
　何処か信用ならない、その男——

「——ヴィルヘルム・エヴォル・メダルドゥス」

　僕を先ほど殺したばかりの、犯人だった。

しかしだからと言って……と少女は続ける。

何が楽しいのか、少女は満面の笑顔を浮かべている。

青年はそう言うと、折り畳み式の椅子を出す。
座れ、と言い、自分はそのまま腕を組む。

流石"Howdanit"、犯人は既に明らかになっている、と青年は呟く。

蝶々の変化を目にして、考え込んでいる。

自分の指を眺めると、肩を落とす。

そう言いながら、男はランプの窓を開けた


——— 辺りに夜の帳が下りる