礼拝堂の広間の手前。先生の傍らに居る、黒猫の少年。
彼は 私たちの姿を見つけると、にっこり笑顔を見せて近づいてきた。

予想外の状況に動転し、恐る恐る隣に立つ人物の様子を伺う。

それは、華奢な体躯にみすぼらしい服装の、小柄な鼠の姿をした少年。
スチュアート と名乗る彼は、先日の突貫の同行者でもあった。

非力そうで、お世辞にも頼りになるとは言い難く見える彼を、
何故 先生が突貫の同行者に選んだのか、最初は理解できなかった。
けれども…実際に戦う姿を目にすると、その見かけだけの判断が誤りだったことはすぐに判った。

巧みにロープを操って相手の動きを封じ、隙が見えるやスリングで次々と礫を投擲する。
戦いとは、単なる力比べではないということを見せ付けるような活躍を、彼はしたのだ。


彼はあの戦いの後、このまま城の奥の探索を進めるとも語っていた。
ならばと、今回の再進攻への同行の話を持ちかけたのだ。


ただ、彼とは 決して気心が知れている間柄と言う訳ではない。
黒騎士を打ち破った後に、個人的に言葉を交わしたのだが…その時彼は、強い憤りを滲ませて、こう問うてきたのだ。



『何故リクをこんな危険な場所に連れてきたのか？』と。



私はその言葉で…彼の問いかけで…自分自身の身勝手さを、思い知らされた。


それまでは、ロク君に逢えれば嬉しいと…共に居られることが嬉しいと…喜ぶばかりだった。
けれどそれは時に、ロク君の身に危険を招くことでもあったのだ。


彼の叱責で、私は自分の浅はかさを思い知らされた。


そしてその時に、約束した。彼を…ロク君を無闇に危険に晒すようなことは、二度としない と。
私はもう、ロク君を城内に連れ込む気はなかった。彼をもう、危険に晒したくはなかった。



そのつもり…だった。



けれど今、目の前にロク君が居る。
ここは、三階廊下の大広間の更に奥まった城内。あの大広間よりも、更に危険な場所。

鼠の少年に、じろり と睨まれた気がした。猜疑と憤りの混じった視線。　緊張して ごくり。と、唾を呑み下す。
焦り、慌ててロク君に理由を尋ねる。　こ、こんなはずでは……


しかし、先に口を開いたのは先生だった。

あっけらかんと言い放つ。

思ってもみなかった…　いや、『まさか…』とは考えていた答え。
聞いて思わず怒鳴り声を上げ、先生を叱り飛ばす。

先生に詰め寄り、声を荒げる。

怒鳴りつけられて涙目になる先生。けれど、許す訳にはいかない。
これ以上 勝手なことをされては困るのだから。

しょんぼりとうなだれる先生を尻目に、猫の少年に向き直って、告げる。

一息に言葉を吐き出してから、少し 強い口調になりすぎた…と後悔する。
それに…これでは、あの時と同じに思われてしまうのではないか？　彼の力を恐れ 拒絶したときと。

肩の力を抜いて語気を緩め、諭すような口調で付け加えた。


一通り話しを終えて、詫びるような視線を鼠の少年に向ける。
彼は、こちらを睨むように一瞥し、いくらか考え込んだ後、口を開いた。


彼の考えでは、こんな王城の奥から無理に一人で帰らせる方が危険だという。
安全な場所までは距離があり、更に、この辺りは賞金首もうろついているのだから…と。


スチュアート少年は、話しを続けた。


この奥に居る相手は、自分たち2人で相手をするから、君は隠れているように。
危なくなったら、自分たちのことには構わず、すぐに逃げろ。そう、猫の少年に言い聞かせた。

私としても、彼の意見に異はなかった。
元々、この地点にはスチュアート少年と2人だけで進攻する予定だったのだから。


先生に呼び出されてわざわざ来たのに、この扱い。
果ては何もせずじっとしていろ と言うのは、いささか申し訳なくはあるけれど…

それも本人の身を案じてのこと。ロク君も、きっと解ってくれるはず。




『……………わから、ないのです。』

猫の少年は、手にしたボードへ苛立たしげに文字を書く。


『わからないのです！！』


不満を露に、再び書いて見せる不同意の単語。




そして、次々とボードに浮かんでゆく文字。




彼は、私たちにも傷ついて欲しくない、私たちの力になりたいのだと綴る。
自分だけ安全な場所に逃げるのは、イヤなのだと。


スチュアート少年へと目を向ける 彼。
軽々しい気持ちで一揆に参加してはいけないと戒めた、鼠の少年へ。

自分は、一揆に参加する理由を見つけたのだ…と。




黒猫の少年が、決意の表情で一歩こちらに踏み出す。目を瞑って、何かを掲げる。
彼の手に見えたものは、もやのような白が揺らめく 透明な玉。それは淡い光を伴って、辺りを照らしてゆく……


そして 共に響く、幼さの残る高めの声。

これは…　ロク君の…　声…？


彼の、声。不思議と、そう確信できた。
言葉を発することの出来ないはずの、彼の声だと。


それが、耳に、心に、届く。


そして…

木霊の様に、繰り返す。

彼の、想い。

　………。


　………。


　………。




感情を、上手く言葉にできない。

珠の輝きはいつのまにか消え、礼拝堂は元の薄暗い荘厳な雰囲気に戻っていた。


ちらり と、隣に立つ鼠の少年の様子を見やる。

ロク君の声は、スチュアート少年にも届いていたようだ。
彼は、驚きとも困惑とも付かない… そして、どこか やるせない表情を浮かべ、目を伏せていた…

声の主に、意識を戻す。


私は彼に、ロク君に、好意は確かに持ってはいた。それは、いくらか自覚もしていた。

好意を寄せていればこそ、彼の身を案じて戦いから遠ざけたようとしたのだから。
好意を寄せていればこそ、彼の行く末を憂いて共に故郷へと誘ったのだから。


ただそれは、護るべき存在として。包み、慈しむ好意…　庇護の感情に似たものでもあった。





けれど、彼の発した言葉は…　想いは…

対等な相手へと向けられた…もの…？


それは、つまり……

はっきりと、理解した。


かぁっと 身体の芯が火照るのを感じる。
息は荒く早くなり、耳はピンと立って、体中の毛が逆立ってゆく。

喉まで出掛かった言葉を、咄嗟に呑み込む。

そうだ。王子の像が そう望んだ所為で、ツバメは……

ああ…　私は…




　………。


　………。


　………。

すぅ……と、熱が引いてゆく。自分でも、驚くほどに。
沈んだ心が、冷静さを呼び戻す。

目を閉じ、ひときわおおきく息を吸い込んで、火照った身体を冷ます。
照れくさそうにこちらを伺い、答えを待っている猫の少年。彼に向けて、ゆっくりと口を開く。

にこり と微笑みかける。優しく、暖かく。　けれど、どうやっても 寂しさが混ざる。

そこで一旦、言葉を区切る。　少しばかりの、沈黙。

驚いた表情を浮かべた少年の姿に、心が痛む。しかしそれでも、構わず続ける。痛みを、心を、誤魔化すように。

猫の少年の、金色の瞳から逃げるよう視線を上に向ける。ステンドグラスから降り注ぐ 鮮やかな光。

高い天井に描かれた絵画をぼんやりと見上げながら、過去を語る。幼少の頃の想い出を。
弟の献身を、慈愛を、そして……その最期を。　色褪せることのない記憶。穏やかで、清らかな、枷。

続かず、息が詰まり…　目を閉じる。
もういちど、深く息を吸い込む。 流れる時間を ''今'' に返す…

視線を戻して、猫の少年に笑顔を向ける。心からの、笑顔。　けれど… その瞳の端に浮かぶ、雫。

想いを告げた、彼に答える。
くるり振り向き背を向けて。悲しむ顔を、見たくはないから。

涙で濡れた笑顔を、見せたくはないから。

めをごしごしとらんぼうにこすると、ぶきをかまえました。

狐が掌をかざすと…　白と黒の、切り絵のような蝶が具現する。