篭る熱気と酒精の香り、人々のざわめき、そして軽やかに鳴るチップの音。
ここはとある街のとある酒場、その地下にある非合法の賭博場だ。
その中でも一際人が集中しているチャック・ア・ラック（ダイスゲームの一種）の卓、
そこを取り仕切っている若いディーラーは現在、吹き出る汗を拭うことも忘れ、
呆然と目の前の客を見つめていた。


「——ぁん？俺の顔に何かついてっかよ、兄ちゃん」


　視線の先でにやりと不敵に笑うのは、金髪の大柄な男だ。
一目で鍛えていると判る筋骨隆々とした体つきと、獰猛な肉食獣のように光る真っ赤な目。
ふてぶてしい態度で椅子にふんぞり返るその前には、大量のチップの山が築かれている。
　開店から数刻……時刻は深夜に近付いている。賭博場の扉が開いてから間もなくしてこの場に陣取った男は、
信じ難いことに未だ無敗のまま勝利を積み重ねていた。


「あ、ありえない……」


　思わず漏れてしまった呟き。
男はそれを耳聡く聞きつけ、更ににんまりと笑みを深める。


「いいや、現実にありえてんだろ。しっかりしてくれよ、なあ？
イカサマなんかじゃねえってのもアンタが一番解ってる筈だろうが。え？ディーラーさんよぉ」


　……そうなのだ。
本当に、俄かには信じられないことなのだが、目の前の男はイカサマなどもしていない。
チャック・ア・ラックはプレイヤー自身がダイスを振るクラップス等と違い、ディーラーがその役を務めるゲームだ。
三つのダイスを放り込むカップも、何の仕掛けがないことを示すために鳥籠（ケージ）のような作りをしていて
万が一にも細工などを仕込むことは出来ない。加えてほとんどのカジノと同じように、
この店もまたエンブリオを用いたチートを制限するために魔力感知の装置を設置していた。

　要するに、この客は完全に己の運だけでここまで無敗でいるのだ。
が、こんな客は見たことがない……まるで化物だ。


「おら、さっさと次を進めてくれよ。ツキが回ってる内にいいだけ勝っちまいてぇんだよ」
「は、はい……申し訳ありません」


　震える手でケージにダイスを投げ入れ、ベットする目の宣言を促す。
男は呑気とも取れるような口ぶりで「うーん次は6あたりが来る気がすんなァ」等と呟いていたが、
不意にその肩にぽんと置かれる白い手があった。


「——じゃ、次は6のエニィトリプル（三つのダイスが全て同じ目）にオールイン（全額賭け）だ。
みみっちい勝ち方してたって仕方無いだろ、なぁジャック？」


　突然の乱入者、その言葉にディーラーは思わず固まり、周囲はざわりとどよめき立った。
　黒髪にほっそりとした体つき、同性から見ても美しいと感じる端正な顔立ちに、幾人か混じっていた女達が一様に溜息を吐く。
だがジャックと呼ばれた金髪男はさして動じた風もなく、胡乱げに目を眇めて己の肩を叩いた人物を見上げた。


「みみっちいだと？てめぇ、俺のやり方にケチつけんのかよ——ブラック」


　ブラック。
　その名を聞いて、ディーラーは今度こそ真っ青になり、手にしたケージを取り落とした。

　『鉄火場荒らしのブラックジャック』——それはここ最近でよく耳にするようになった通り名だ。
夜な夜な各地の賭博場に現れては根こそぎ勝利を攫っていく、若い二人組の男。
噂では一晩で金庫を空にして店を畳んだ所も一つ二つではないと聞く。

　……今晩限りで自分は職を失うかもしれない。
全うではないとはいえ、努力の末にやっと掴んだ仕事だったのに。
　絶望するディーラーを尻目に男二人は飄々と言葉を交わす。


「こーゆーのは最後にドカンと打ち上げんのが面白ェんじゃねーか」
「何だよ、自信がないのか？」
「てめぇ、俺を誰だと思ってやがる。天下のジャック・ハートウィル様だぞ」
「なら、問題はないよな。あ、心配なら『いつものアレ』やっておくか？ ほら、“In bocca al lupo”……」
「いらねーっての！」


　そうして暫くあれやこれやと言い合っていたが、
やがてジャックと呼ばれた方が一度大きく溜息を吐き、大きな手で金髪の髪をかきあげて目を見開くと……
ぎらりと目を光らせて不敵に笑い、獰猛な獣にも似た鋭い視線を前方へ投げつけた。
（ディーラーは思わず「ヒッ」と情けない声を上げた。）


「しゃーねぇなあ……6のエニィトリプル、オールインだ。さあ、頼むぜディーラーさんよ」
「ふふ、どうなるかな。楽しみだよ」


　そうしてダイスが示した数は————……




◆◆◆◆◆




　——翌朝。
　店終いを終えた酒場の中で、身を縮こまらせて謝り倒す若きディーラーの青年に、オーナーは苦笑いを浮かべた。


「あー、そうかい。あの『鉄火場荒らし』が来ちまってたか。そんならボロ負けすんのも仕方無ぇよなあ」
「本当にすみません……」
「いいや、お前さんのせいじゃねえ。
——本当にごくごくたまにな、ああいうのがいるんだよ。ギャンブルの女神様が惚れ込んじまってるような奴がよ。
ありゃ災害みてぇなモンさ、出くわしちまったモンはしょうがねえ。そんな化物が二人も揃っちまってんなら尚更だ」
「………………」
「まあ、そんな訳だからよ。お前が責任を感じる必要はねえ。気にせず今日からまた頑張れよ」
「い、いいんですか？」
「大赤字を取り戻さにゃいかんだろうが。お前さんには気張ってもらわねぇとな！」
「…っ、はい！」


　…といったようなやり取りがあったのだが、それを彼らが知る由もなく。
今日もギャンブラーコンビ、ブラックとジャックは自由気侭に道を行く。



「よぉ、次どこ行くよ」
「ん？そうだなあ……お前の自慢の嗅覚でイイトコ嗅ぎ当ててくれよ」
「ハッ、任せとけ。金も女もイ〜イとこ見つけてやんぜ！」
「女は余計だ。金だけにしろ」




　彼らの笑い声が空に響く。
──その行方は杳として知れない。