ふ、と息を吐けばここ暫くの肋の痛みは大分薄らいでいた。
窓の外を見遣れば午後の日差しは中天を過ぎた辺りで、近頃続いていた雨はあの日を境に降り止んでいる。

あの日——ジャックと口論した日。
今まで抱えていたものをぶちまけて、自分なりの熟考の末に別れを切り出したのに、
「くだらねぇ」の一言で一蹴され、何だか上手く丸め込まれてしまって。
結局何とはなしに俺達の関係は元通りだ。

…いや、違うかもしれない。
ジャックの支離滅裂な言い分によって自分の信じてきたものを全否定されて、
それなのに俺は何故だか胸の支えが取れたような、妙にすっきりした気分でいた。
何か、肩の荷が降りたような…重圧から開放されたかのような。
おかしな話だ。今まで母への復讐だけを心の寄る辺にして生きてきたのに、
『ルードルフとしてではなく、ブラックとして生きればいい』と言われ、
その単純なたった一言に、こんなにも救われた気持ちになっている。

——俺は一体何をしたかったんだろう。
そう何度も自問してひとつわかったことがある。
それは、おそらく自分の中で母に対する憎しみはとうの昔に薄らいでいたのだろう、ということだ。
ただ、怖かった。それを手放してしまえば、何を支えに歩んで行けば良いのか分からなくなりそうで。
復讐というその言葉に、闇雲に縋り付いていたのではないかと……今になってそう思う。
ジャックには女々しいと繰り返し言われたが、本当にその通りで言葉もない。

……馬鹿だった。
本当に望んだものはこんなにも近くにあったのに。
それに気付くのに、随分と遠回りをしてしまったように思う。
けれどそんな馬鹿な俺を、ジャックはまだ相棒だと言って笑う。

大きな、大きな借りが出来てしまった。
恩、と呼ぶのは何だか照れ臭くて抵抗があるけれど、でも本当にジャックには感謝している。
本人に言うつもりはないが、きっとあいつは分かっているだろう。
何せ俺の相棒なのだから。



そんな訳であの騒動から数日の後。
俺はジャックに言い渡された「骨がくっつくまでフラフラすんな！」の命令に、
誰のせいだと思いながらも大人しく従い、もっぱらベッドの上で本を読んだり
カードゲームをしたりしながら暇を潰していた。

が、それも何日も続いては流石に退屈にもなってくるというものだ。
そして幸いなことに今、ジャックは家を空けている。
俺はこれが好機とばかりにもう百回はやったであろうビズリーの札を放り投げると、
いつもの黒いジレを羽織り、こっそり家を出ようとした……のだが。

「なーにしてんだよ」

背後からかけられた低い声に、扉の取手にかけた手がびくりと跳ねた。

……見つかった。

動揺を悟られないよう小さく息を吸ってから、ニッコリといつもの笑みを貼り付け振り返る。

「なんだ、帰ってたのか。それならそうと声をかけてくれれば良かったのに…全然気付かなかった」

わざと明るい声を出し適当に取り繕ってはみるが、それで誤魔化せるような相手でもない。
じろりと赤い目で睨まれて、思わず目を逸らしてしまう。

「質問の答えになってねぇ。何してたんだって訊いてんだ」
「いや、庭に出て新鮮な空気でも吸おうかな…なんて思ってさ」
「嘘つけ。どーせフラフラ街に出るつもりだったんだろ、この馬鹿」

…やれやれ、脱走失敗。
両手を挙げて降参のポーズを取れば、フンと鼻であしらわれてしまった。

「ホンットてめえって奴は学習しねーな。ぁん？ あんだけ一人で行動すんなって言ったっつーのに」
「二人でなら外に行ってもいいのか？」
「駄目に決まってんだろバーカ！」

すっかりご機嫌斜めのジャックは、イライラとした様子で腕組みをしている。
さてさてどうしたものか…。

「悪かったよ。でも退屈なんだ…お前だってそれは解るだろ？」
「俺は撃たれた時はアンセーにしてただろが。誰かさんがキーキー癇癪起こすからよ」

ごもっとも。
痛いところを突かれて押し黙ると、ぐりぐりと指で額を押された。

「ったく、 まーだ躾が足りねえみてーだな？ この駄犬が」

はーっと大袈裟に溜息を吐きながら、そこで何故かジャックはごそごそと自分の耳を触り始める。
きょとんとしてその様子を眺めていると、やがてぽんと何かを投げて寄越された。

片手でキャッチして手のひらを開いてみれば、そこには小さなルビーのピアス。
ジャックがいつも左耳につけているもののうちの一つだ。

意図が分からず首を傾げれば、「やる」と簡潔な答えが返ってきた。

「え？」
「首輪だよ、くーびーわ。 まーた勝手にどっか行かれちゃたまんねえからな。つけとけ」
「何が首輪だよ。首輪ってのは首につけるから首輪っていうんだぜ？ これは首用でもなければ輪の形ですらないじゃないか」
「だーー！いちいち揚げ足取ってんじゃねえ！いいから黙って受け取れ！」
「いや、俺はピアスホールも開けてないし」
「じゃあ開けろ」
「無茶言わないでくれよ…」

いつにも増して滅茶苦茶なことを言われ、流石に呆れてしまう。
が、ジャックがこんな妙なことを言い出すのも元はと言えば自分が隠し事をしながら単独行動を重ねたせいなのだと思えば、
悪いことをしたと思う気持ちも生まれてくる訳で。

「分かった、有難く受け取っとく。ホールは今度医者にかかった時にでも開けてもらってくるよ」

と譲歩する姿勢を見せたのに、当のジャックの反応ときたら

「ハァ？何言ってんだバァーッカ」

これだ。

「何を言ってるのか意味が分からないのはお前の方だ。穴を開けろって言ったくせに。あとさっきから馬鹿馬鹿うるさい」
「だーかーら！今！ここで！開けろって言ってんだ！後からじゃ意味ねーだろが」
「あのな…」

頭痛がしてきた。
こいつが滅茶苦茶なのは別に今に始まったことじゃないが、いくら何でも今日は酷い。
こめかみを抑え、何と言って納得させようかと悩んでいると、不意にジャックが「あ！」と大声をあげた。

「そうだ！俺が開けてやるよ！！」
「……はぁ？」





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ジャック（ENo.1597）の日記に続きます
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