（今日はメルンテーゼの王城が舞台ではなく現実世界と隣り合って存在する冥界のお話です）

３階廊下の進行（進行度３）が成功裏に終わった某日の午後、アニマは友達の安徳帝の霊と一緒に、冥界の平家の竜宮城の近辺の海の底を散歩していた。アニマ達が歩いている竜宮城の海底は冥界に属し、平家が身を投げて果てた瀬戸内海の西海に近似されたちょっぴりぼんやり霞んだアクアブルーな世界である。安徳帝の霊とアニマはタコや魚がふよふよ泳ぐ白い砂の海底を、歩いたり、泳いだり、自由気ままに散策している。

安徳帝の霊には護衛に平宗盛の嫡男である平清宗の霊がつき、シュガーから託された（緊急転送用の）召喚札および連絡用の札を懐中に忍ばせて安徳帝の霊に付き従っている。アニマ達の後方には二位尼と宗盛の霊がお付の者達と共に敷物を敷き、膳を並べて小さいながらも宴を催していた。穏やかな午後の一時を過ごしているというわけだ。

アニマはふと海の彼方を見やり、その靄の彼方を見据える。アニマの瞳が渦を描き、安徳帝の霊は訝しんでアニマの顔を覗き込むと、アニマは一寸何かを言いかけたが口をつぐみ、ゆっくりと彼方を指差して「あれなんて言うんだっけ？」と尋ねた。指の先には緑色の稲のような海藻の林が見える。

アニマはぱっと砂地から離れ、アマモの林の上を魚のごとく泳いで回る。安徳帝の霊もアニマの後に続いてふよふよ泳いでみるも、アニマにはまるで追いつけない。アマモの林の只中に立つ岩の上で一休みすることとした。安徳帝の霊は岩の上ににちょこんと座り、海中をすいすいと泳ぐアニマの様子を眺めて嘆息する。

主上の脇に恭しく膝をついて控える清宗の霊も頷く。そこは霊界であり、また、霊魂は最早物理法則の制約を受けない。とはいえ、生きていた頃の記憶を大事に保つ怨霊たちには、生きていた頃の肉体に準じた得手不得手がある。安徳帝の霊は生前泳ぎが達者ではなかった故に、死後もまた同様なのである。対して、アニマは自由気ままに泳ぎ、地上でも空を飛ぶことにためらいはない。

安徳帝の霊は思い出す。安徳帝の霊がアニマの気ままな振る舞いを指摘すると「だって、ワタシ、自分が何者なのかよくわかんないから」との返答が返ってくる。Animaとは魂や息を表す言葉である。その定まらぬ有様のごとく、アニマの振る舞いは自由そのものであり、怨霊が従う一定の法則のようなものは見いだせない。

安徳帝の霊は顧みる。アニマが竜宮城のほうぼうに出没して平家の怨霊の暮らしを見て回るようになってからのことを顧。アニマは宗盛の親子の霊に懐いており、宗盛もアニマを気に入って水練や舞いの手ほどきをしていたように思う。その他、竜宮城のあちこちに入り浸って文官や女房達と仲良くなり、読み書きや詩歌、楽器、裁縫などの宮中作法を学んでいたようだ。

安徳帝の霊は水底から水面を見上げると、太陽は波でぐんにゃりゆらめいて頼りない。安徳帝の霊の双眸にはその幼い顔立ちには不釣り合いな憂いの色が浮かぶ。

安徳帝の呟き声に清宗は応えない。ぐんにゃりゆらめく海面の太陽も応えない。アニマも泳ぎに夢中なのか安徳帝の霊の呟きには応えなかった。水中のくぐもったような響きのみが淡々と続いていた。

清宗の霊の声に安徳帝の霊はふと我に返る。視線を海面からアマモの林の上に戻すと、アマモはゆらゆら海流にゆられるばかりで、アニマの姿が掻き消えていた。安徳帝の霊と清宗の霊は声をはりあげてアニマに呼びかけるも、返事はなかった。

安徳帝の霊は瞑目してしばし思案した後に、ピューイと口笛を吹いて近辺のイルカを呼び寄せる。壇ノ浦にはイルカも多い（「平家物語」の「壇ノ浦の白旗」の段、参照）。安徳帝の霊は瀬戸内の海の底に長らく住まう間にすっかりイルカと仲良くなり、こうして口笛１つで呼び寄せるようになっていた。安徳帝の霊はイルカの群れにアニマを探すように頼み（怨霊の言語はグローバル対応済み）、そのうちの一頭の背に乗ってアマモの林を探索することにした。清宗の霊も慌ててイルカの背びれをつかみ己の主上に付き従う。

イルカにアニマの香りを追ってもらった安徳帝の霊達は、アマモの林をかき分けて、沖へ沖へと進んで行った。しばらく進んでいると、海は水深が深くなり、海底が見えなくなった。幾十もの雲のような光帯が海域のほうぼうに観察された。なおも安徳帝の霊を乗せたイルカが海域を進んでいると、アニマは何かに見入られたかのように一心不乱に泳いでいた。

安徳帝と清宗の霊が声を張り上げてアニマに呼びかけると、アニマは泳ぐのを止めて振り返る。アニマは海域の彼方を指差して「この海、ワタシ、知ってる気がする」とだけ応え、雲のような光る帯を眺め上げる。その瞳には渦を描いたような不思議な陰影が浮かんでいた。

アニマは再び泳ぎ始め、イルカに乗った安徳帝の霊の追跡は続いた。いつしか、海中の雲は消え、クリアなアクアブルーな世界となった。透明度の高い海域であり、日の光が水の中まで差し込み、海底の白い砂に光の波紋を描き出していた。アニマは海面へと向かい、水上へと浮き上がる。安徳帝の霊のイルカもそれに続いて海面へと浮き上がる。

眩い太陽の光に、澄み渡った青空、そして、青空よりも濃い青色の紺碧の海が広がっていた。安徳帝の霊はイルカを降りて海面へ立ち、辺りを見渡して観察する。そこは陸地と陸地に挟まれた海峡の海であった。対岸の陸地は穏やかな丘陵地帯が広がり、草地や灌木が多い。

アニマは首だけを海面に出してぷかぷかと浮いている。泳ぎながらぐるぐると回り辺りを見渡していた。

そして、ちらと己を見下ろす安徳帝の霊に「ねぇ、どうやったら水面に立てるの？」と尋ねたのであった。安徳帝の霊は意外そうな顔でしばし思案の後に次のように応えた。

アニマは身体を横にして浮き眼を閉じた。そして、ぱちりと眼を見開き、むっくりと起き上がると、水面の上に立ち上がり、にっこりと安徳帝の霊に向き直る。ありがと♪…どういたしまして。

安徳帝の霊は返答ついでにアニマに問うは、この光景に見覚えのあるや否や、であり、アニマの返答は「陸地に行けば何か分かるかもしれない」であった。安徳帝の霊は「左様か…」と呟きつつも、思案顔となり、結局アニマの提案に従い上陸することになった。

３つの霊はイルカの背中に乗って陸を目指す。ちらと安徳帝の霊がたおやかな丘陵を眺めるアニマの横顔を伺うと、その瞳にはやはり渦のごとき陰影が浮かんでいた。他との関わりが希薄と思えたアニマにも、何らかの因果・因縁があるようで、安徳帝の霊は意外に感じられていた。

シュガーは怨霊と会話をしているようです