それは、水辺で釣ってきた魚を前に、献立を考えていた時のことだった。
　通称二班に所属する青年が、真顔で枝豆を手に、しきりと首を傾げたり、表面を削っていた。
　その仕草にある予感を覚える。
　記憶が正しければ、その枝豆は、とても理不尽なことに——

「スーノさん。それ食材じゃないです」
「えっ」

　そんな馬鹿な、と顔に書いてある。それには大いに同意したい。

「食材じゃないです。食材でしたら、僕は黙っていません」
「あ」

　納得して貰えたらしい。
　青年の手にした枝豆。通常ならば調理が出来るものだろうと思うが、何故か出来ないのだ。

「元素の含有量が通常の枝豆より多い。更に含有量を大きく超えた結果、強く固着しておる。食用には向かぬぞ」
「イリーシャさん」
「わかりやすく言えば、元素を含みすぎてそこらの樹より硬くなってしもうた——といったところかのう。スー坊や」
「マジかよ……豆っつったら食うものじゃねえか……？」
「気持ちはわからぬでもない」

　苦笑いと共に現れる魔女の解説は、非常にわかりやすかった。
　既に枝豆の形状をしただけの、別の物体なのだ。

「装備の材料としては、優れものらしいですね」
「そうじゃのう。スー坊や、そろそろ装飾の換え時ではないかえ？」
「えっ」

　思わず押さえた青年のピアスは、守り石にサイコロをつけた、例のあれである。
　その仕草と、連想した一騒動を思い出して、つい笑いがこみ上げるのをこらえた。

「防具は今しばらく使えるであろうが。研究の為にも、備えを忘れるでないぞ。ラズ坊やもじゃ」
「はい」

　いきなりこちらに話を向けられ、ほぼ反射で頷く。
　とはいえ、正論であった。装飾と服——防具については、幾分考える所もある。
　エンブリオと契約しているだけでも、研究の足しにはなる。だが、出来る事はそれだけではない、筈だ。

「わかった。後でレイやマグにも聞いてみる……」
「なにを作ろうとしていたのですか？」

　溜息交じりに枝豆をしまいこむ様子に、いささかの哀愁が漂っていたのは、気のせいでもないだろう。
　フォローになるかはともかく、手持ちで作れそうなら作ろうかと申し出てみると、青年が気まずげに頬をかいた。

「いや、エルとマグが握り飯がどうとか言ってただろ？　あいつらも食べ盛りだし、ここは握り飯のひとつでも作って驚かしてやろうかなーと……思ってたんだけどな。茹でても食えないのか……」
「あ。ああ、そうでした、か」

　かのふたりのおむすびを巡る火花は、意外にも根強く続いている。
　少年だけでなく、精霊の子の方も食べることに積極的だ。それ自体は喜ばしいし、食事前にいそいそと駆けつけ、器を運ぶのを手伝おうとしてくれる様子は、微笑ましくすらある。

「どちらかが諦める——というわけにはいかない辺りも、『育ち盛り』なのでしょうか」
「子供のうちに出来ることではあるからのう。双方頑固なのは、少々困り者じゃが」
「だから、もう1個握り飯があればいいと思ったんだけどな……」

　そう簡単にはいかないだろうな、と、こっそり思ったが、口には出さなかった。
　いま大事なのは、兄のような目線で見守る青年の気遣いを伝えることだろう。

「では、少々予定を変更しますか。ごはんを炊いて、おむすびとしましょう。スーノさん」
「ん。何だ？」
「大量に炊きますので、かき混ぜるのを手伝って下さい。実際に握るところは、僕が横で監修します」

　青年の調理技術に関しては、相棒である女性から多少聞き及んでいた。その上での提案だ。
　あのふたりのことは自分としても悩みの種ではあったのだし、出来る努力はしてみてもいいだろう。結果がどう転ぶにせよ、この心意気が伝わらないまま終わるのは、勿体無い。
　更に些細なことだが、枝豆は、自分としても癪の種である。

「イリーシャさん。情報のまとめの手伝いに、エルさんを連れ出して貰えますか」
「ふむ。……ときに、そちらの魚は、何に使うものかの？」
「普通に焼いておにぎりの具に。あとは、つみれ汁などはいかがでしょう」
「それで手を打とう。七味も別に頼むぞ？」
「承りました」

　機嫌よくころころと笑う魔女は、華都などの東方の料理を好むところがあった。
　央都は多くのものが集まる為、自分も何度か口にしたことはある。頻繁に作るのはやはり故郷の味だが、食材や調理法の違い、香ばしさや味わい深さなどは、独特のものがあった。
　という感慨は、ひとまず置いておくとして。
　少し離れた所に居た女性に、魔女が手招きをする。さすが、早い。

「レイ嬢や。少しいいかえ？」
「あら、なに？」
「これからラズ坊や達が調理をする。それまで年少のふたりがまた言い合いにならぬよう、別々にしたいと思うてな。わしは今から、エンブリオのまとめに、エル坊やを伴うゆえ——」
「あたしはマグを連れ出すってこと？　それは、ちょうど相談もあったからいいけど」

　早速米をとぎはじめていたこちらを見て、青年を見てから、実に真顔で問いかけてきた。

「まさか、スーに料理用ナイフ持たせる気？」
「おい待て」
「今回はナイフは使いません。僕が監修しますし、水準以下のものは責任を取って僕らで食べます」
「まあ、ラズが食材を無駄にするとは思わないけど」
「だから待て。どういう意味だ」
「スーが調理に参加するのは心配だけどラズを信じてみるって話よ」

　ノンブレスで言い切り、じゃあね、と手を振った女性と、地味に凹んだ様子の青年を見比べる。
　言葉に迷った末、くつくつと喉の奥で笑っていた魔女への頼みごとを優先した。

「ええと、フィーさんを見かけたら、呼んでいただけますか。もう一品の方をお願いしたいので」
「ふむ。エル坊やと話した後になるが、それでもいいかや？」
「はい、大丈夫です」
「よいよい。頑張るが良いぞ、スー坊や」
「……大丈夫、俺は出来る、いや、やってみせる」
「この心意気ですから、大丈夫でしょう」

　ころころと笑う魔女を見送り、調理に意識を戻す。
　今日は、いつもよりすこしだけ、忙しくなりそうだ。


　ほぐした魚の切り身。一揆衆の間で流通していた梅干。おにぎりに混ぜる小さな魚。
　梅干は梅肉部分と小魚と一緒に米に混ぜていく。切り身の方は、調理用の小皿の上。
　更に塩と海苔を用意。ここからが本番だ。

「おむすびは簡単に思えますが……やってみたほうが早いですね。手は濡らしましたか？」
「おう」
「では、早速作ってみてください」

　しゃもじで適量、両手の上に載せる。
　そして形成されていくおむすびを見て——予想のひとつが当たった。

「こんなもんか？」
「……おむすびですね。では、食べてみて下さい」
「へ？　俺が？」
「はい」

　訝しげながらも、素直に口を開けて一口齧る。もごもごもご、と、やや長く口を動かした後で、眉を寄せた。

「……なんつーか、硬いな」
「そうでしょうね。力が入りすぎでした」
「いや言えよ」
「下手に口出ししたら、今度はばらばらになっていたと思います。はい、もう一度」
「み、水かけんな！」

　別にこの青年が特別不器用だとかそういう話ではない。慣れていないとこうなりがち、のうちのひとつだ。
　かたちをよくしようとして、かたく握りすぎると、食べる時に噛み切れない。
　特におむすびはある程度の時間を置くことが多いため、ちょうど良い握り加減は、経験で会得するしかない。
　かく言う自分とて、絶品にはまだまだ程遠いのだ。

「手本、手本頼む」
「そうですね。……ただ、僕も、故郷の料理ほど熟達しているわけではないので。見て感じて下さい」
「どこの武術だよ」
「すみません。論理で説明出来ません」

　言った後、手元に意識を集中する。かたすぎず、ばらばらにならないように。
　米の量にも気をつける。大きくしすぎてしまっては、自分達はまだしも、他の皆には厳しい。
　塩のかたよりにも気を遣いながら、魚の切り身をもりこみ、うまく作ろうとせず、自然に握る。

「なるほど。全然わからん」
「心が折れなければ、何とかなりますよ」
「そ、そうだな。ちっとでもマシなもん作って、あいつら喜ばせないとな」

　この心構えは、見習うべきところだろう。
　道のりの長さを覚悟しつつも、『食べてもいい』のしるしとして、おむすびに海苔を巻いた。



「おーい、ラザラスー。僕のこと呼んだって、聞いたけど？」
「フィーさん。ちょうど、お願いしたかったところです」

　試行錯誤の末、いくつかの『成功』が出来ていた頃あらわれた少女に、心なしほっとする。
　もう一品の準備と、汁物の心配をせずに集中出来るのは、何より助かる。

「ごはんの手伝いだよね？　何でスーノ居るの」
「おい待てこら」
「色々ありまして。おむすび教室を兼ねています」
「おむすび教室？　スーノの？　大丈夫？」
「だから待てこら」
「だってスーノのおむすび、硬くて歯が立たなかったり、大きすぎて齧れなかったり、具がはみ出てカレーライスみたくなってたり、にぎりこぶしみたいにでっこぼこになってたりしそうだもん」

　立て板に水がごとく流れる容赦のない言葉に、思わず宙を見上げる。
　さすが、料理をする者の意見というべきか。鋭い。

「……フィーてめえこのやろ……」
「ええと、海苔を巻いてある方は、大丈夫ですよ。味見してみて貰えますか」
「え？　そうなの？　……うーん、うん」

　ひとつ、小さめのものを手にとり、しげしげと眺め——軽く一口齧る。

「あ、普通に美味しい」
「だろ！？」
「形がちょっとぼこっとしてるけど」
「ハッ。ちゃんと食えるって所が肝なんだよ」
「これ、ラザラスの作ったやつじゃないんだよね？」
「おい待て」
「フィーさんなりの、褒め言葉ですよ」

　そうでしょう、と目で告げると、ちらりとこちらを見た後、再度おにぎりを齧る。
　恐らく、つまりは、そういうことでいいのだろう。と、最近は思う。
　爪先で歩く仔猫。というのが、この二週間で感じた印象だ。口は悪いが、真性の悪意ではない。ある種の無邪気さは時にひやりとするものの、他人を傷つけても平気という人種ではない。
　青年の反応がじゃれあいで済んでいるのも、その辺りが理由だろう。
　少年達への気遣いといい、この青年も人が良い。だが、人が良いだけがすべてではない。

「……で？」
「はい？」
「海苔を巻いてない、『大丈夫じゃないやつ』は？」

　う、と言葉に詰まったのは、どちらであったか。
　すぐに観念して、『大丈夫じゃないほう』を目で示す。なるべく目立たないところに置いてあった、それは。

「……うわー」
「予想の通りでして」
「言っとくが、責任持って食べるからな」
「当たり前でしょ。ていうかこれ、僕には無理。口開かないよ」
「納得して頂いたところで、手伝って頂きたいのですが」

　これ以上、口論が続いたら、それこそ料理どころではない。食材も冷める。
　ほぼ完成に近いつみれ汁を混ぜるお玉と、下ごしらえを済ませた魚を示すと、ああそうだったとこちらへ寄って来る。

「これはほとんど完成だよね。こっちの魚は……ああ、これも煮込むんだ」
「折角ですから、東方風で統一しようかと思いまして」
「ここんとこ、魚続きだよなあ」
「……すみません、水辺続きで」
「……え、いや、いいけど。なんだ、なんだその、なんか可哀想な目はやめろ。頼む」

　つい先日、行き先決定の為、各自の興味のある区域やエンブリオを聞く定例会があった。
　その際、青年は、まず水辺と砂地に居るというエンブリオを挙げたあと、しばらく考え、『肉』と呟いた。
　……恐らく、頭の回転が速い分、話題が飛んだのだろう。そう、わかってはいるが。

「大変申し訳ないと思っています」
「やめろ心に刺さる……」
「まったく、いやしんぼだね」
「概ね大体お前の所為だろッ！？」
「おふたりとも、手元を見てください」
「はい」
「はーい」

　いくらかそうしたごたごたを挟みつつも、『成功』は少しずつ数を増やし——
　その後の食事には、どうにか人数分に足るだけの『成功品』おにぎりが、各自の皿に並んだのだった。



　ただ、その前にひとつ、悲しい出来事があった。
　平原で拾った麦を検分していた少女が、機材を取りにこちらへ来た際、『大丈夫でない方』を先に見つけてしまったのだ。
　更にとどめとして、実に大真面目な顔で、少女はこうも言った。

『なんだ、異様に硬いな。これも枝豆と同じく、材料の一種か？』


　そのときの料理人たちのリアクションは、あえてここでは述べないものとする。

（意外そうに瞬きをひとつ、ふたつ。呆気にとられたように双眸を丸くして、じわりと口角を持ち上げると肩を揺らして笑い始める）

(面倒くさそうに溜息を一つ。すらりと得物を抜き、構える）