木々の隙間で野営をするのも、そろそろ一週間になるか。
　焚き火の火に新しい薪を投げ込み、短くも濃厚な日々を思う。ゆるやかな時間と変わらない日常、自分より大きな存在に庇護されていた時とは対照的な、何処か懐かしい時間。学生としてかの学園に在籍していた頃と、すこし似ている。
　誰かと歩数を重ねること。時計の針を同じくすること。
　学生として歩んだ日々も、用務員としての穏やかな日々も。自分には、必要なものであったのだろう。
　それが確かに今、この時にも役に立っているのだから。

　心臓のようにかすかな音を立てる火を眺めていると、ふいに視界に影が差した。
　同行の誰かかと振り向いてみようとする。
　いない。
　理性は首を傾げ、本能が気配を探る。視界よりも上。木陰のくらがり。

『……』
「……なんでしょうか」

　契約したエンブリオのうち、悪魔の名を関する生物が、じっとこちらを見下ろしていた。
　小さい上に浮いているために、予測した方角が外れたのだなと、のんきに考えていると——

『…………』
「近いです」

　こちらの目玉に食いつかんばかりの勢いで、じっと見据えられる。というより、これは、睨まれている。
　人間であれば、拳も握っていただろうか。小さくて見えないが、それを想起させる動作もあった。

『なんで、私、呼ばないの？』

　久しぶりに口を利いた。いや、声を聴いたというべきか。
　そしてそれは言われた通り、呼ばなかったということでもある。何故か、というと。

「その必要がなかったので」

　無言で悪魔が身を翻し、反射的に頭を傾ける。

『避けるな！』
「すみません」

　尻尾と言うべきか何というべきか。そんな箇所でこちらをひっぱたこうとしたらしい。
　今のはさすがに酷かった、と思い至り、一応のフォローを口にする。

「僕の危険はあなたの危険。と考えれば、出番がないのは、幸いだと思いますよ」
『なさすぎる！　何あの光！！　いつも私より先に呼ばれて！！！』
「声が大きいですよ。……ウィスプと、エンジェルですか」

　一応たしなめてから、『光』と称されたそれが在る方を見る。
　既にすやすやと寝入っている少年。彼の持ち歩く杖の先で、瞬きのように揺れて——いや、飛んでいる光。
　杖のケージにある青白い光と共に揺れていたそれが、ふわふわと浮き、瞬く。

「優先順位としては、仕方ないでしょう。あちらは、自分以外も治せますから」
『どうして断らないの』
「生き残る為には、頼るほうが賢明だと思います」

　契約を行った以上、一蓮托生だ。生き残る為の行動を取った方が、お互いの為というもの。
　エンブリオとして力を振るうという側面では「生ききれていない」のかもしれない。そこは申し訳ないところではあるが、そちらにこだわりすぎて結果的に死ぬようでは、何の為の契約か。
　言葉にせずとも多少は伝わったのだろう。
　業を煮やしたように悪魔は顔を挙げ、光の方へ飛んでいく。

『あんたもさっきからうるさい！』
『————』
『笑ってたでしょ！！　聞こえてたんだからねばか！　ばーかばーか！！』
『——！　————』
『うるさいうるさい！！　あんたの契約主、たまに先生ごめんなさいしながら呼んでるじゃない！！』

　そして、怒涛のような会話が、はじまってしまった。
　契約してからは、随分と無口になっていたものだったが。

『——……————！！』
『実際そーでしょ！　私だって、使役されればあんたと同じかそれ以上に役に立つんだから！！』
『——？　————』

　よりはっきり言葉として聞こえるのは、自分に契約の繋がりがあるからだろう。
　光の方の言語は、正直最初は言語に聞こえなかった。今も、内容までは聞き取れない。
　いつか聞いた、魔術の圧縮言語詠唱と似ている。あれと違い、単なる早口のようだが、常人より強い耳が災いして、あれはとんでもない早口であるという認識と、音による頭痛しかわからない。半分は、悪魔の言動によって興奮している所為もあるのだろうが。

（激しい点滅と、縦方向の揺れ……止まった？　思考中——だな、ああ、またはじまった）

　こめかみをもみほぐしながら、ゆっくりと立ち上がる。
　気配から察するに、口喧嘩の域を出ることはないようだが、それでもこちらはたまったものではない。

「お二方、そこまでにしなさい」
『ふがっ』
『————』
「あなたもです。エルさんは、もう寝ているのですから」

　そう、相変わらず少年は、すやすやと気持ち良さそうに熟睡している。
　頼もしいことではある。今ほどそれを羨ましく思ったことはない。

「互いに反感を持つなとまでは言いませんが」

　言いながら、ひとまず悪魔の口答えを封じる。具体的には、頭から掌で掴んで、口を封じる。
　光に対しては、目線だけで鳥と狼を示し、牽制する。——利かなければ、実際にけしかけるしかない。それは避けたいものの。

「平たく言います。大声で喧嘩するのはやめなさい。頭痛がします」

　学園に居た頃、担当していた教師達も、こんな気分であったのだろうか。
　怒っているわけではない。ただ、どうしてもこれは、叱りつけてやめさせねばならない。
　契約主の役割と責任に含まれるのかどうか、しみじみと考えずにはいられない。

『————！！』

　手の中で喚こうとしている悪魔の、言いたい内容が理解出来て、やれやれと思う。

　ばーかばーかばーか。

　——圧縮言語並みに様々な意味が込められたその罵倒も、自分の一部なのだろうか。
　出来れば、エンブリオの個性と思いたいところである。

（手袋を着用する