「いいかい？啓灯（あきひ）、梓（あずさ）。
　　お母さんはこれから出掛けなきゃならない。大事な用があってね、お前たちにはお留守番を頼みたいんだ。
　　今日の夜までには帰って来れるだろうから、それまでは二人で良い子（よいこ）にしていてくれるね？」

　「はい、お母様！」

　「……はい」

　「良い返事だ。
　　啓灯、お前は“良い子”だ。ちゃんと梓の面倒を見るんだよ？」

　「勿論ですわ、お母様」





　*　*　*

　「…ねぇ、お姉ちゃん」

　「あら、何かしら？」



　『いいかい、お前たち。
　　この箱に入っているお菓子はね、明日うちに訪ねてくるとても大切なお客様に出す和菓子が入っているのさ。
　　だからこのお菓子は決して食べてはいけないよ？
　　まぁ、啓灯は“良い子”だから言わなくても勝手に食べたりはしないだろうが…それだけこのお菓子は“特別”な物なんだ。
　　お前たちのお菓子は今日のお留守番代として、帰りにちゃんと買ってきてあげるからね。
　　いいかい？“このお菓子は決して食べてはいけないよ？”』



　「そのおかしは、お母さんが大切なおきゃくさまに出すおかしだって言ってたよ？」

　「そうね、言っていたわね」

　「そのおかしは、食べたらダメだってお母さん言ってたよ？」

　「そうね、言っていたわね」

　「…ならどうして、お姉ちゃんはそのおかしを“食べてるの？”」

　「あら、それは違うわ」

　「……え？」

　
　「このお菓子を食べているのは、私では無くて貴方よ？私の可愛い可愛い、梓ちゃん」





　*　*　*

　「啓灯！梓！！これは一体どういうことだい？！
　　お母さんは出掛ける前に説明しただろう！？このお菓子は明日訪ねてくる大切なお客様に出すお菓子だと。
　　啓灯！！“良い子”のお前がついていながら、どうしてこんなことになっちまったんだい！！ちゃんと解るように説明してみな！！」

　「…お母様ッ、本当に、本当にごめんなさい！
　　私は止めたのです、そのお菓子はお母様の大切な、大切な物だから絶対食べてはいけないわよって。」

　　…ちがう。

　「私は止めたのです！
　　…けれど梓が、梓がどうしても食べたいと駄々をこねてしまって、しまいには私の静止も聞かずに……」

　　…ちがう。

　「嗚呼ッ！お母様！本当にごめんなさい…ッ！」

　　…ちがう。

　「……そう、だったのかい、啓灯。
　　お前みたいな“良い子”がお母さんの言いつけを破るはずがないと思っていたんだよ、そうかいそうかい…」

　　…ちがう。

　「よしよし、もう顔をお上げ。向こうの部屋にちゃんとお留守番が出来た褒美のお菓子を買って置いてあるからね。
　　啓灯は向こうの部屋にお行き。

　　……梓！お前はこっちだ！！」

　　…ちがう！



　「全く、啓灯はあんなにも“良い子”だと言うのに…梓！お前と来たら！！」

　　…………。

　「この前のお皿を割ったのもお前だろう？
　　私が気付いたときには啓灯がほうきとちりとりで片付けを始めていてね、
　　私しゃ“良い子”の啓灯が割ったとはとても信じられなくてねぇ…、
　　問い詰めてみたら本当は梓、お前が割ったのに逃げちまったって言うじゃないか！
　　啓灯がお前を怒らないでやって欲しいと何度も何度も泣いて頼むから仕方なく目を瞑ってやったんだが…

　　今日という今日は啓灯が何と言おうと梓！お前にはお仕置きをするしかないね！！」



　　………嗚呼、これは、

　　これはきっと、

　　完璧な“良い子”に育てあげられてしまった姉の、
　　
　　両親へ向けた、

　　復讐劇の始まりなんだと、

　　まだ小学校に通うような年齢にも満たなかった幼い俺は、

　　母親に手を引かれながら、くるりと、姉の方を振り返り、

　　こちらを見てそれはそれは満足そうに、

　　それはそれは狂気に満ちたにっこりとした姉の笑顔を見て、



　　そう思わざるを得なかった。




















































　「………ッ！！」

　ガバッ、と無意識に身体を起こしていた。
　寝起きだというのに眠気はすっかりと吹き飛んでいて、変わりにじっとりとした汗が頬を、背中を、お腹を伝って流れ落ちていくのが解る。
　ちらり、とベット横に置かれている目覚まし時計に目を向けた。

　AM　5：06

　普段の起床時間より、1時間ほど早い時間。
　まだ空は明け始めたばかりで、窓から差し込む日の光はまだ柔らかい。



　「…頼む、頼むから……」

　どうか、1時間経ってしまう前に。
　あいつらが起きてきてしまう、その前に。

　恐怖で小刻みに震える自分の身体を、ただ、俺は、

　願うように、

　握り締めることしか、——出来なかった。









　「……姉ちゃん…」