書く暇が無かった。記憶を綴じる。


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「……嗚呼、こっちこっち。此処から、森に抜けられるんだ」
　庭園から、どこかへと踏み出す。少年が一同を先導する、それはとうに出来上がった流れだった。特にそれに何を覚えるでもなく、こちらの方が都合が良いのだと続ける呪術師と、それに続く魔女の後ろからついていく。ちらと振り返れば画面を覗き込んだ一人は、それでも三人に遅れずについてくる。
　僅かの間、声が途切れる。視線を向ければ、呪術師はやはり常と変わらない様子で紡いだ。
「そう言えば、『彼』、こんな話もしてたよ。もうすぐ『人狩り』が動き出すって」
　向かう先は、整えられる事のない、重い緑で溢れている。


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「……『人狩り』、ですか？」
「……うん、何でも、一揆の参加者の中に、『人狩り』が紛れ込んでるとか」
　監視の眼から抜ける加担者が出始めるからねと、呪術師は言う。確かにそうだろうと、森の中へと足を踏み入れながら思う。風の音、葉擦れの音が折り重なって重い。
　権力者に楯突く一揆となれば、下の動きは烏合の衆の有象無象にならざるを得ない。少なくとも世界の上に位置する人間はそう見るだろうし、俯瞰してみればそれは火を見るより明らかだ。中に入るよりも第三者であった方が観察は容易いが、それは己の性情からして不可能だと分かりきっていた。そもそも観察者になりきる必要性もそのつもりも無いから、積極的に巻き込まれていくより他に無い。権力さえあるのならば、叛心を煽る事が一つの流れを作り観察する重要な手にもなるが。
　何にせよ『人狩り』という存在は効率的だ。一揆の元締め、最初に全ての人間とやり合ったのだろう二人を思い浮かべる。片方は、結束が何よりと、そう言っていたが。
　結束はたしかに重要だ。個々の力は個々でしかない。どれほどの大魔導師であろうと世界をひっくり返せるほどの力も意思もそう簡単に持ち合わせられるものではない。逆に言えば集団の力は凄まじいものがあるという事だが、その集団も切り離してしまえば個に戻る。いくら流動する中で動きを作る一つであろうと、投げ出されればそれまでだ。——既に一揆の加担者は『個々』になった。刈り取るには、容易い。そういう時期に入った、それだけの事だ。人狩りの噂も今後増えるだろう。
　息をつく。見る目と受ける思考だけは、失くさないように、森の湿気のおかげか重い髪を肩から払うついでに胸元の紫を押さえる。浮かんでくるものにかすかに頷きだけを返して、ゆっくりと手を離した。
「参加者は、方々に散ってしまっているからね。時間の頃合いから言って、もう一揆の本拠地から『全員』の足取りを追う事は不可能だ。……そう、例えば、こんな森の中だとか、ね。『狩り』をするには、お誂え様、っていうわけさ」
「穏やかじゃないなぁ、それは」
　前方での会話に口を挟む。本当にね、と呪術師が返してくる。
「まぁ、でも『ルド』？　その時は、君に期待しているよ？」
　森の中を進んでいく最中の会話。呪術師が視線も顔も向けずにこちらを向くのが分かって、木々の奥へと視線を投げた。そのまま、少年の言葉を聞く。
「僕らはか弱いんだから、やっぱり、頼れるのは、君って事になる」
「任せろ、とは諸手には言えないけど」
　苦笑の色が混じっただろうか。一人で相手をしきるには流石に無理が生じるだろう、こちらが四人で行動している以上、それを狩るためには同数かそれ以上、あるいは戦力として同等以上で来るはずだ。ちらと見やったクローシェがどこか楽しげで嬉しげなのは、彼女が緑に親しいからだろうか。思いながらも続く言葉を口にする。
「全力は尽くすよ、最低でも三人が逃げられるだけの時間は稼ぐ」
「……頼りにしてるよ、『ルド』？」
　三人が逃げられれば俺も逃げられるし、という言外を読んだのか、あるいはそんな事には気付かないのかそのふりか、呪術師は念押すように名を呼ぶ。彼の眼がこちらを向いているかどうかを確かめる前に肩をすくめてみせれば、森の中には立て続けに声が落ちた。
「尤も、そんなのと戦わないで済むに、越したことは無いんだけどね」


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「……嗚呼、そうだ、『クロ』？　この間君から買った薬さ、三つとも、『使っちゃった』んだ」
　どこか一般的ではない話を聞きながら、進んでいく。森は次第に深くなっていく。
「この森で、何か材料になるものは、手に入らないかな？」
「この間の。ああ、鼻から吸うタイプの媚薬ですか？」
「そうそう。あれ、使った子からも、評判が良かったよ」
　呪術師の言葉に、魔女の口調は揺るぎなく、確認の問いを呪術師へと返す。進むにつれて起伏の大きく深く、障害の多く身体を左右に揺するようにして踏み分けなければならないような森の中を、少年はまるで平地のようにするすると進んでいく。そのすぐ後ろの彼女も森には慣れているのだろう、遅れる事無くそれについている。
　変わらず先頭を行く一人の足下では草が音を立てているが、それすらもどこか軽い音として耳に届く。途中に見せる動作も、見ているだけでは動きでしかない。当然繋がるべき意味の全てが途切れて、全てが恣意的に矛盾無く繋ぎ直されている。そう、感じられる。その印象さえ意味を追えば矛盾だが。
　——この少年は、どこかが『ズレ』ている。そういった評をひとつ、何度目か下す。それが彼の言う『呪い』のせいなのか、その生い立ちのせいなのか、成り立ちがそうさせているのかは、まだ分からないが。己にはそれを確かめる術が無ければ、それをする使命もなく利点も感じられない。だから言わず問わず、触れないのだと、恐らく本人には筒抜けなのだろう、彼は『察しが良い』では説明がつかない部分まで識(わか)っている。
　その『少年』の問いに対して魔女は、彼へと向けていた眼を再び緑の海へと投じた。返す言葉は淀みない。
「そう、ですね。全部は無理かもしれませんけれど幾つか揃う可能性が」
　——自然と、少なくとも傍目には自然と「評判だった」という語を落として返答するのは、何を思わずとも回避ができているという事なのか、あるいは回避という意識すらなくそうなのか。とにかく『彼女』も簡単ではないと、そう思う。把握がしづらいと感じる訳ではないが、風の中で蒲公英の綿を追うに近い。恐らく樹の根元ではないのだろう、己とは場所が違う、それだけは理解る。漂流ではない、逍遥に近い。
　呪術師にしろ魔女にしろ、一つの色にはなれない部類だろう。仮る事はできるだろうが。だからこそ見ていて面白いと、そう思うのも事実。
「……時間に余裕が在れば、私は是非採取をしたいですわ」
　その『面白い』片方はそう連ねる。薬師らしいと声には出さないままにしていれば、もう片方が、なら、と声を上げた。
「落ち着ける所で、休憩にしようか？　此処らの日陰は涼しいから、君に作って貰った紅茶でも飲みながらさ……ねぇ、『アリシロ』？　君が持ってたポテトサラダも……」
　呪術師は常の笑顔、それをもって振り返る。新しい一人の名を紡ぎながらのそれにつられて振り返るに少し早いか遅いか、少年の言葉が途切れて、たいした時間の差もなく『三人分の』足を止める音。
　あー、と、間延びした声を思わず漏らす。視界には、見事に天然の森の風景。濃い色の人影は、どこまでも続くかのように見えるその中には、擦りもしない。
「……嗚呼、どうやら、『はぐれちゃった』みたいだね？　『人狩り』に、見付からなければいいけど」
　鳥の鳴き声と風の音、葉擦れの下で、呪術師は細い両肩を少し持ち上げてみせる。わざとらしさの滲む動作、肩をすくめたのだと、動作が完結してから意味と繋がる。どうするかねぇと小さく零して、緑を見渡しながら暑苦しく首の後ろに蟠る髪を払った。
「本当に『迷子』になってどうすんだって」
　唯一『心配』な一人、トウカの姿は、やはり視界には無かった。

風の子の導を頼りに戻ってきた少女は、
思ってもみなかった少年の言葉に、僅かに目を見開く。
彼らに向き直り、申し訳なさそうに、眉を下げた。

覚束無いような、ふわり漂うような雰囲気は、消え失せていて、
囁かに芯を秘めた声で、傍らの風精の名を呼んだ。

笑みを浮かべたまま、ひらりと右手を振る。

復唱。——初めて聞く響きだ。申し訳なさそうに、眉を八の字にして。

首を傾げて提案を述べる。腕に抱いたフローロも、同じく首を傾げて。

　僅かに、沈黙して、その後。

　ちらと、仲間の方を見やった。
　

強敵。とは思えず首を一瞬傾げる、けれど。

ふわり、笑った。

過激なガン付けから、そっと視線を逸らし。

ひとつ、深呼吸をしてから。少年へと、頷いた。

　常のように、振り返る、華奢な体。
　それが、ゆっくりと笑みの形を、顔に貼り付ける。

　そう言った呪術師の細めた瞳は、森の奥を見ていた。

　前に会った、という、一番最初の声は、声になりきらずに消えた。

　名も知らないままの『彼』は、『呪術師』が『何なのか』が視えている。
　『彼』がトウカの既知なら、ソルトがトウカと共に居る事で何かが起こるのは、あるいは火を見るより明らかか。二度目となれば誰が何を感じ取ってもおかしくはない。

　得物で軽く、肩を叩くようにして。理解るってのは難儀だなと他人事に呟いた。

　森林。
　相対した、四人。
　少年は、常と変らぬ笑みを浮かべながら、自然、一歩を踏み出した。
　しゃなりと、薄っぺらい微笑みは、声を荒げる少年に応えるように、言葉を続ける。

　『呪術師』は、語り掛ける。
　柔らかい、声色で。
　優しい、音色で。

　それこそ、『不自然なくらいに、耳に残る声で』。

　『呪術師』は、少年の『通り名』を呼んだ。
　その表情は、向かい合った、彼と、その仲間達からしか見えまい。
　確かに、『少年の形をした呪術師』は、嗤っていた。

以前出会った時とはまた更に違う、
目に見えて分かる明らかな敵意に、どうしたものかと戸惑うほかは無くて。

呪術師の言葉に目を瞬かせる。事情は呑みこめない。
目の前のこの人達が人狩りなんていう物騒なモノとは思えなくて。
けれど。

いつもと変わらない。笑みはそのままに、す、と杖を構えた。

ぞくりと、肌が泡立つ。
こうして少年と彼が揃って、初めて気付いた。
二人が持つ、『色』の重なりを。
彼の色をも呑み込む程に深い少年のそれを、彼が『視たら』どうなるのかも。

言葉を、遮られる。
此れほどまでに激昂する彼は初めてで、少し怖い。けれど、

少し前に練習試合を交わした相手が、またそこに立っていた。
そのときは何も思わなかったが———だが、今は感じる。
中心に立つ華奢な少年の、あまりの『魔力の無さ』を。
そしてその代わりのように滲み出る………魔力ではない『なにか』を。

いいや、お前「ら」だ。
どうして平気な顔で『あれ』の横に、立っていられる………？

冬花は言った。『同行者がいる』と。
想起されるのは、森に潜む『四人組の人狩り』の噂。
そして、目の前の呪術師の不吉な笑みが、少年の理性の枷を解き放つ。

どくん。鼓動が大きな音を打つ。
ああ、そうだ。やはり、あの時滅ぼしておかなければならなかったのだ。
目の前の呪術師は、かつて相対した時よりも、更に多くの『呪い』を纏っている！

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