落ちてしまった一対の羽を持つものをそっと拾い上げた彼女を見上げて、沈黙する。目元までを覆い隠した布のせいで細かな表情は読み取れなかったが、それでも、その氷のひとつは笑んだようだった。
『お疲れさまでした』
　掌の上、ぐったりと翼膜を広げて伏せているのは、一匹の蝙蝠だった。そっと撫ぜれば熱を感じる、まだ生きている。それにほっと安堵の息をついて、そうしてから氷を見上げれば、彼女はそっと掌でその蝙蝠を包み込んだ。
『近くまで、送る事が出来れば良かったのですが』
『……やはり、無理でしょうか』
『……』
『……主は、何を？』
『今は休んでいます。日が出れば……』
　頭を振る。分かっているだろうに、どうして隠すのか。力なく得んだ彼女が戻って見ていてくれますかと言って、それで後ろ髪引かれる思いをしながら、その場を立ち去って。
　
　
　
　去って行く気配を一人で見送って、僅かに笑みが浮かぶ。掌のそれを見下ろす。
『……ごめんなさいね』
　伏せた蝙蝠——主からわかたれたエンブリオの一つは、どうしてか、これ以上無いまでに弱っていて。理由も分からない衰弱、だがそれも、好都合としか思えない。もし主から切り離されても尚健常なままであったら、余計な行使が増えてしまっていただろう。
　——思考を断ち切る。掌を持ち上げる。顔を上向ける。甲高い微かな悲鳴が聞こえるのには、場違いな慈愛も色を笑みに混ぜ込んだ。
『ごめんなさい』
　その台詞には、その言葉らしい所など一つとして存在せず。申し訳ないと欠片も思えない事が、滑稽にも感じられて。それでも、やめようなどとはちらとも思わなかった。
　小さな身体を支える力すら失った黒いそれが、音も無く白い手の上を転がる。
　そのまま、口を、

変わらぬ様子に、心なしか少しほっとした様子を見せる。

感じる、何かに、少しだけ首を傾げて。

眠っているけれど、ここに居て、ここに在る。
詳しくはわからない。きっとそれは自分の知る世界の理とは違うのだろう。
だから娘も言葉のままを受け取った。
滑らかな手先。確かにここに居る、彼女。

こちらも返事は淀みなく。内緒話の仕草に
秘密と分かれば地に手をつき、ほんの少し体を前へ。
『私』といった言葉。続く言葉。
ただ、ただ常は緩やかな瞳を大きく見開いて、瞬きを、数度。
口元にあてる手。それは何か声を、飲み込もうとしたからか。

まさか彼女とは思わなかったという、声。想像がつかないという様子で言葉を繰り返し、飲み込むように。
内緒という言葉には確かにはっきりと、頷きを返す。故に、青年は知らないのかという内心。

手繰る。記憶の限りでは無い筈で。
少しだけ考えるように視線を外すけれど、すぐに真直ぐに返す。
それが何か関係あるのだろうかと、問う様に緩く首を傾げる。

仄かな笑みに、きれい、とつぶやきが、ひとつ。それから耳に届くように、氷の子に挨拶を。

そして、続いた彼の言葉に、少女はわかりやすく固まった。
珍しく、眠たげな瞳をまあるくして。

硬直から戻り瞬けば、事情を知っていそうな氷の子と彼を、交互に見て。

その言葉選びからは、重たげなものを感じなかったからか、
少女は素直に掘り下げる問いを口にしてしまって。

仔リスから変化した、にこにこと屈託なく笑う小さな女の子がそこには居た。