その姿がいつの間にか変化している事に気付いて、それでああと声を漏らした。火を熾すために薪を集めている最中で、他のエンブリオ達が軒並み距離を取って散っているのは、偶然なのか故意なのか。思いながらすぐ近くに浮遊する一つきりを見やった。
「……契約は」
『達　して　います、よ』
　日を経る毎に少しずつ、その口から溢れる声は流暢な音に近付いて行く。それでもまだ不自然に途切れてしまうのは、ただ単に力が足りないというだけではないだろう。——『写し身』には『十二』が揃わない、欠けているのが何色なのか、それは自分には判断はつかないが。恐らく身に付けているその蒼が、答え。
「だからってそういう事するか？」
　蒼は氷、硬質な知識の色。欠けている色がそのせいなのか、行動も言動も『本物』に限りなく近いのに、どこか違和感が拭えない。現に問いかけても返答は無く、それには手を止めて溜め息をついた。
「俺、そういうの好きじゃないって、言ってるよな」
『……でも、　そうでも　しないと、貴方　が、　保たな　いでしょう　？』
「だからって憑代を使い捨てにするのはどうなんだ」
　するりと、華奢な姿が宙を滑る。逃げるように距離を置く。やはり言葉がと思っても、それが分かっていても『彼女』に対する心が変わらないのは、それでも少しの違和感でしかない程の完成度の故なのか。
　——だからこそ、その僅かな差異が眼について、気が収まらない。
「……お前がしてる契約だって一方的だろうが、お前の『色』を相手の存在と賭けても、相手を殺すんじゃ意味もない」
　脚が地面に触れる事なく浮遊する彼女は、それでも目線はこちらよりも低い。それが更に低く落とされるのを見て息をついた。何か口答えでもすればそれで断ち切れるのに、それもしないから、この写し身は。
「最善を選んでくれるのは有り難いけど、要らない害まで出すな、……後で怒られるのは俺なんだから」
『……わた　し、　は？』
「お前の『本体』がそうさせてるのならお前の責任だな。俺は知らない」
　突き放すような言葉を選びながら、手を伸ばす。顔を隠す紗を指先で拾うように、その頬に触れる。掌で覆うように包んでも、暖かさも冷たさも、そのどちらも手袋の冷たい布地を越える事はない。そこにある、ただそれだけの感触。
『……　あの子は　、水の　近くに』
「渡せ。俺がやってくる」
『でも、』
「『Fr-etaille』」
　名を呼べば、素直に口を噤む。顎を掬って上向かせれば、紗に隠れた視線がこちらを見上げる。眼が合ったその瞬間に眼を細めれば、僅かにたじろぐのが指に伝わって、だがそれに揺り動かされる事もなく口を開いた。
「今は俺が主だ。それが分かって来てんだろ、『Fr-etaille』。覆したければ本人が来い」
『……反故　に、なりますよ、　"クロ"』
「俺にとっては好都合だな、それは」
　手を離す。そのまま視線も顔も背ける。あまり長くては、また他のエンブリオ達に怪しまれるだろう。念のためと握ったままだった棍を肩に宛てた。
「俺とお前の契約だって、お前が選んだ条件で動いてる」
『それでも、　公平です』
「お前が事あるごとに俺の行く先々に布石仕込んでなけりゃそう思ったよ」
『貴　方だって、して　るでしょう』
「そうでもしないと動かないだろ、お前は。……他人の命巻き込んで自殺しようとしてる奴を止められるならなんだってする、それが矛盾してようがな」
『…………"支配者"』
「今更だ、それこそな」
　言い切って、それで今度こそ既にエンブリオ達が集まっているそこに向かう。火を扱う物がいないから多少は難儀もするものだと、思考をあからさまに切り替えた。
　
　
　

　
　主がいつものように、外套で身体を覆い隠すようにして適当な場所に背を預け、眼を瞑ってからしばらく経ったのを何度めか確認して、それでシャールは傍らの彼女を見上げた。フェターレは、間近から見上げても紗に隠れた瞳でそれを見下ろして、そして穏やかに笑む。
『どうかしましたか？』
『……やはり少し、釈然としないと言いましょうか』
　率直に言えば苦笑する。彼女が軽く自分の肩を叩くようにするのを見て、それでシャールは舞い上がる。示されたそこに座るようにすれば、彼女はそのまま指を虚空へと向けた。
『色の世界、と、便宜上呼んでいます』
　指先が宙に、くるりと丸く円を象る。それに従って蒼い円が虚空に描き出された。ぱきりと音を立てた薄氷の円。
『私達……ディアリアドと、私の生まれ故郷です。正式な名も、私達には分かりませんが』
　指先は淀みなく滑る。ぱきぱきと音を立てて氷の線が伸びて、その先にもう一つの円。真横に繋がったそれは、しかし指をひとつ鳴らす音で豹変する。瞬く間に氷はその形を潜めて、燃え上がる炎に。
『色の、と呼称されるのは、その世界に内包される物全てが色の支配の下に在るため。氷は蒼、炎は赤、風は翠、土は茶、木は緑、水は青、雷は黄、時は灰、光は金、闇は藍、聖は紫、邪は銀』
　言いながら円は数を増やして行く。最後には十二個になったそれは、羅列された色の通りに染まっていて、涼やかに呼ばわれた特性を表すように根を張り風が渦巻いている。十二のそれぞれを繋ぐ線も数多く。現れた姿はいつか主の夢に見て、そしてテラが描いた形そのもの。彼女が最後にゆっくり手を閃かせれば、十二は球を象った。
『まずこの属性が大前提。この下にそれぞれ、全ての物、事象が配置され、結果全てが色に支配される事になります』
　言うそれを聞きながら、いつの間にかほんの少しだけ距離を明けた場所にテラが腰を降ろしている事に気付く。フェターレは気付いていないのか、それとも気にしない事にしたのか、構わず続けた。
『そこから来た、……というのが、私と彼の前提です』
『……テラは、』
　ちらとそちらを見やる。特に引き止められる事もなかったから、視線を紗のその奥へと向け直した。
『一度、貴女に会っていると』
『それは、正確には、私の"本物"ですね』
　首を傾げる。テラが腰を上げてほとほとと距離を詰めて、今は地面に横に並べられたフェターレの膝に、てし、と前肢を置く。そのまま何かの感触を確かめるようにしているのを見てか、彼女は苦笑した。
『"私"も、明確にここにいるエンブリオの一つです』
『……？』
『……そう、ですね。ディアリアドと同じような、人間としてこちらに渡って来たはそうですが、そのあとに別行動になったんです』
　今更無関心を装いたいのか、早々に色とりどりの球の方へと顔を向けたテラにはそれを差し出して、フェターレは言う。ほんの少し主の方に様子を窺うような眼を向けておいて、そうしてから視線を戻して口を開く。
『そのあとに、彼が妙な事になったらしいと分かったので、"本物"の方から"私"の部分だけ切り出してここに向かわせたんですね。ですから本質は同じですが、実際には別物です』
『……良く、分かりませんが。そんなことをして大丈夫なのですか？　己を欠けさせる事でしょう？』
『大丈夫でなかったらしていませんから。……エンブリオという形を得たのは、いつまでも彼の身体を乗っ取っていると怒られそうだ、という理由からなんですけれど』
　ひゅ、と長い尻尾が膝を打つ。テラの背を向けたままのそれには、彼女はやはり苦笑するだけ。最初に比べれば見上げるような力を得た今でも、それでも彼女にとっては不完全なのだろうかと、人を相手にした場面での様子を思い浮かべて。それでも問いかけるのは、別の事。
『……どうして、そんな事を？』
『……まず一つとしては、彼が持つ紫の安定の為』
　紫、という言葉には、自然視線は球を向く。紫は聖だと、先には言っていたが。
『二つめには、寂しいから』
『寂しい？』
『ええ』
『……でも、ええと……本人では、ないのですよね？』
『ええ』
　分からない。分からないなりに何かその言葉に隠されているのではないかと、思考を巡らせて、それでも分からずにテラと眼を見合わせれば、彼女は首を傾けて口元に手を添えた。
『自分の欠片でも、傍にあれば』
　それで安心できる、安心できるはずという理由が出来るから。付け加えて言った彼女のそれには、更に分からないとテラはきつく眉根を寄せた。
『……錯綜……』
『今更綺麗にはなれませんよ』
　もう一度、顔を見合わせる。からんと涼やかに笑う小さな声。シャールは少し考えて、もう一度彼女を見上げた。
『……どういう、関係なのです？』
『因縁の間柄、ですよ。友人と言うには繋がりは濃すぎますね』
　言った、それを最後だと言わんばかりに彼女は手を伸ばす。浮かんだ球を軽くて招くようにするだけで消し去って、彼女は立ち上がる。そのまま浮かび上がるかと思った時にはその姿が掻き消えて。
　

自然にある水は、魔法を使える人々にとってはそれほど重要ではない。
もちろん、だからといって蔑ろにしていいわけではないのだが。

語る声音は、あくまでも明るく穏やかだ。

暖かさも冷たさも無い、手。それでもその不思議な心地は、自分にとってはとても馴染んだもので。
優しく撫でられる手に、彼女の優しさを垣間見た気がする。大丈夫の言葉にほ、と息を一つ。

出会ったばかりの頃の記憶。もしかしたら違っているかもしれないと思いながら口にする。
言われてみればそう簡単に分割世界同士が行き来出来るものでもないのだろうと納得したようで。

ふわり、笑って。
ひと、ではないけれど様々な形を、性質を持つ彼等の力を。
そう考えれば彼女がエンブリオの様で、けれど確かに違う事にも頷ける。

ぺたり自分も草の上へと座り、見上げ告げられた言葉に驚き、思わずお願い？と同じ言葉を紫へ繰り返す。

　青年の問いにはぱちりと瞬きをして、薄らと苦いを浮かべながら、そうだね、と呟いて。

　表情は至極真面目。

　何かを放り投げるような仕草をして、小さく肩を竦めた。

　

　

　

　

　

　

　

　当たり前のように、呪術師は、合流した仲間へと、振り返った。
　常と変わらぬ表情を、顔に貼り付けたまま。

当たり前のような、口調で。