地下は地の中、勢力圏だ。ただ大地に立っているよりも、力そのものは受け取りやすい。
　地上はどうしても混ざり物が多い。風が無ければ人は生きられないが、風の奔放は地の確固たるを揺るがせる。水が無ければ人は生きられないが、水の流動は地の堅固たるを揺るがせる。木の緑が無ければ人は生きられないが、木の繁茂は地の永世を侵蝕する。
　だから地は、下へ下へと向かう程に、潜れば潜るほど純となる。
　——『銀(かのじょ)』を鎖すにも、易い。

　だから陽の無い場所は、好まない。




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　地下のあらかたの作りは把握した。把握した上で、恐らくこの牢を管理しているのか、あるいは利用しているかの者の詰め所と思われる場所を発見し、情報を持ち帰る事を優先して撤退した先の道で、二、三体の魔物と鉢会わせた。
　地下牢は入り組んでいる。看守が巡回するのだろう、牢に面した縦の道は広いが——おそらく『道具』を運ぶための道でもあるのだろうその道を繋ぐ、横の道は狭く小さい。そこで遭遇した魔物が、こちらに気付くなり狭いそこで暴れ出したのが悪かった。
　的を外した衝撃が見事に茶の天井を穿ち、土と岩が傾れ落ち。
　魔物は下敷きになったらしいと見て、しかし道が封じられてその場で四人が三つに分断されて合流が出来ずじまいになってしまった。音を聞きつけたものが来なかったのは幸いだ。そのまま、元の水辺に通じる出口の先で合流しようと、三方に分かれた、結果。

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「……森だな」
　太い蔦が絡んで、扉としての役目を果たさなくなってしまっていた木のそれを、力づくで押し開いて見えたのは樹々の風景。引き千切られた緑のそれからは真夏のような青臭さが漂って、何となく口元を押さえた。
　戻ってきたのか、あるいは別か。葉を透かしてもまぶしい太陽の光を腕で遮りながら背後の扉を見やった。地下で方向を見失ってしまっていたのだろう。自分に続いてこちらへと歩を進めるクローシェに、大丈夫だろうかと眼を向ければ、彼女は常の柔らかな笑みを浮かべて笑む。
「大丈夫です」
　何事も無かったかのように、彼女は言葉と共に扉を潜る。もう一度視界に入った扉は完全に壊れてしまっていた。流石に肩からいったのは不味かったかと思いながら、長らく使われてもいない様子だったし良いかと割り切る。この出入り口を隠しておく必要も無いだろう、広い森の中で確実にここを引き当てるのは難しそうだ。外套の中で何かが動く、テラ——『地』のそれだろう。記憶しておく、という意思表示か。であれば方向だけ覚えておけば良いかと、そう思っているうちにクローシェの言葉が先を紡いだ。
「ルドさんの方が正直心配ですわ。……休む暇なく前衛に立たれて。……早く、水辺で合流して休息を取れれば、いいのですけれど」
　言う黄昏色が、くるりと緑を見渡す。平静、常の通り。そう見える。その常も、今まで見たきた中でしか判断のつかないものではあるが。こちらに渡ってきてからというもの、色を隠す事に慣れ長けた人ばかり。
「大丈夫なら良かった。あんまり気分良いとこじゃないしな、下は」
　牢、とは言葉にはせず。言葉にすれば力を持つ、自分も良い思い出には恵まれない場所だ。拒否反応が出る程ではないにしろ。
「それも先程の森ですね…もう一度戻るより、ここから水辺を目指して合流した方が早いでしょうか…水の気配のする方へなら、ご案内は出来るかと思いますけれど」
　かな、と、森へと眼を向け直す。森はどれも同じに見える、森に親しんだ彼女と共にいるのは幸運かと胸に一つ落として。
「俺は平気。元より身体は強い方だし、クローシェのおかげもあるし」
　気遣う言葉にはそう答える。嘘は無い、元々土の一族として生まれ育った、その性質は何処に行こうと継がれている。一人じゃないからな、と付け足すように言って、その視線を追う。彼女の言う通り、戻ってきてしまったのだろう。少し、考える。
「……中の道は崩れたし……うん、森突っ切った方が早そうだな。無理の無い範囲で頼むな、何ならテラも、頑張れば分かるかもしれないし」
　先程動きのあった方、外套のポケットの方を見やる。ひょこりと顔をのぞかせたベージュ色のそれが、翠の眼を細めて耳をそよがせた。だがやはり声は無く、表情らしい表情も無いから何を訴えているのかは分からない。
「じゃあ、水辺の方に……」
　言いかけた、そこで彼女の、声が、という呟き。葉擦れと全く違う音を耳に留めて、眼を細めて視線を周囲に巡らす。そこにクローシェの小さく笑う声が聞こえて首を傾げれば、彼女は口元に手をやりながら笑っていた。
「水と土は繋がってて、仲良しだと。テラさんも案内して下さるようです。心強いです」
　前にもあったが、彼女はこの『ちからあるもの』——エンブリオ、が、それらを総称する音だと知ったのは最近の事だ。それらとの意思の交換が出来るらしい。その、テラの言葉を返してくれる声には首を傾げた。
　確かに土と水は親しい属性だと記憶しているが、それはこちらでも同じ事なのか。テラを見やれば逃げるようにポケットの中へと隠れてしまう。眉根を寄せれば耳元で衣擦れの音、それが笑っているようにも聞こえて釈然としない。契約の主なのに、ついて来る彼らが自由さを失わないのは、良い事なのか悪い事なのか。
　宜しくお願いしますね、と彼女はテラへと声をかける。それには耳だけがちらりと顔をのぞかせた。眉根を寄せた。
「……何考えてんのか全っ然分からねえ……」
　呟く。息を吐いてから、改めて眼を向ける。『音』の方向。
「……ルドさんも、聞こえましたか？」
「誰かいるな。こっちに来てる」
　返答は簡素に、端的に。問うた彼女の窺うような視線と、そこに溶け込んだ意思には彼女を見やり。そして、に、と笑った。ほぼ同時に棍に手を伸ばした。
「ま、人狩りだったら逃げるとして。そうじゃなければ見逃す理由も無いだろ」
　言って、そうして向かった先で眼に入ったのは——

　気付いて目を向ける、その先に、黒衣の男が一人とそれを追う影を視認して。
　

ルドの言葉につられるように同じ方向を振り返り。

首を傾げつつ、それでも青年が本気で逃げていると分かれば杖を握り直す。

喋らないエンブリオに、ロークと似たものを感じてほんの少し親近感が湧いた。
もっとも、あちらの子はローク以上に無口なようだが。

本当は旅人なんだ、と付け加えた。

脳裏に浮かんだのは、あの『魔女』の顔。
彼は男だと言っていたし、恐らくは全く関係なんて無いのだろうけど。
動揺を隠せないといった様子ながらもしかと頷く。

真っ直ぐに見据えた色は思い出のなかのそれと、少し違っていた。
——別人だ。

死んでいる人間が、自分と同じようにこの世界に来ていることなど、ありえない。
名前を聞いて漸く焦っていた気持ちが少し落ち着いたような気がした。

一瞬の空白、後、口はすんなり動いた。

ルドの言葉に頷き、黒衣の青年にちらり、視線を向けて笑みを。
次いで言われるがままに視線を、向かい来る温泉達に戻し——笑みを、失う。

瞳には既に温泉の様な正体不明の存在も、それ以外のエンブリオも映っていなかった。
女がただ見つめるのは、木の精、ドライアドのみ。

もう青年の身は安心だろうと安堵の息をひとつ。
そして視線は先程から口に出していた存在へと向けられた。

水辺にふわりと浮かぶ、人影のような。
それが今は腕を組んで小さいながらも立ちはだかっていた。