侵攻を続ける一揆の陣に、初雪が降るであろう頃だろうか。
一度殆どを失いかけた私達も、忙しくなりつつあった。

あの日、私達は多くのものを失った。
それからは立て直すのに必死で、詳しい感情など覚えていない。
大本営の資料を漁り、傾向を立て、多少の無謀も冒した。
ともかく生き抜くことだけを考えていた。

やっと整い始めた素材を整理する横で、
小僧がエンブリオの表にチェックを入れていた。
だいぶ難しい顔をしていたので、近づいてみる。

「うーん、やはりセマルグルは解約しないと無理そうだなぁ。
　エンブリオをもっと多く契約できるといいんだけど、そうもいかないし。」

そう言いつつ、はめていた左手の手袋を外す。

「我が『召喚者』の名において、豊穣神の従者　セマルグルを召喚する。」

犬の耳と鳥の翼を持つ豊穣神の従者が、小僧の目の前に召喚された。
いつものように生気のない瞳で、こちらを見つめる。

「我が『召喚者』の名において命ずる。
　豊穣神の従者　セマルグルを解約する。」

召喚者の命によって、セマルグルはネクターの花びらと変わり四散した。
あとに残ったのは、地面に散る紅い花弁だけ。

「……いいのか！？」

あまりに突然消えたので、私は動揺してしまっていた。

「いいも何も、これが契約ですからね。
　エンブリオだって存在が消えたわけじゃなくて、
　僕には召喚できなくなったから還っただけですし。」
「わりとあっさりしているんだな。」
「僕らはこれを繰り返して生活しているんですよ。
　分割世界の我が君にとっては珍しい事でもね。」

小僧は手の甲を天にかざす。そこには9点の契約刻印が刻まれていた。

「10体しか契約できなのが、どうにも不便で。
　大魔法使い、みたいな人だったらそれ以上可能かもしれませんが、
　僕は今のところ、契約数を増やす方法を聞いた事がありません。」

確かに、次々有用なエンブリオが発見されている今、
10体までしか契約できないのはとても不便だ。

「決まりという奴らしいです、僕の師いわく。」

こいつにあの大層な辞典を贈った学者のことか。
小僧は再度左手に手袋をはめつつ、苦笑していた。

◇◇

後に残ったネクターを拾う小僧を眺めてみる。
特に異変があるわけでもなさそうだ。本人は平気そうだし。

しかし、召喚とは魔術儀式なのだと考えられるが
こいつはどう見ても一般人だ、魔術の鍛錬をしている類ではない。
そんな人間がみだりに魔力を使うというのはどうなのだろう。

私は魔術など本の中の世界でしか存在を知らなかったが、
ここメルンテーゼでは日常として使われるものだ。
もしかしたら体に負担はかからないのかもしれないが、
何の対価もなしに魔術が使えるとも思えない。

どんなに聡い少年でも、所詮は資産家のボンボンだ。
リスクを知らずして魔術を扱っているのかもしれない。
自分の事は棚に上げつつ、私は懸念していた。

「エンブリオの解約儀式は初めて見たが、対価などは大丈夫なのか？」
「……はい？対価ですか？」
「エンブリオの契約にしてもそうだが、
　これだけの魔術を使うには相当のものを犠牲にするのだろう？」

神妙にしている私の顔を見て、少し小僧が噴き出した。

「我が君。僕、魔術なんて使っていませんよ？」

机に置いていたエンブリオのリストを再び持ち、上に掲げる。

「魔術というのは、特別に鍛錬した人間じゃないと使えないのが普通です。
　この一揆に居る人はそうじゃない人も多いですが、まぁそれは例外として。
　とりあえず僕の地元では修行しないと使えませんでした。」
「その言いぐさだと、お前結構詳しそうだな。」
「修行とかした事ないですが、エンブリオ関連の人と仲良かったし。
　研究生やら学者やらには、魔法使いも多かったんですよ。」

13歳のくせにいやに人脈が広い。
親の金による所も大きいが、多少の大物臭は感じる。

「それで対価についてですが、
　エンブリオの契約や解約に対価は特に必要ありません。
　ネクターを捧げて、規定の術を唱えるだけです。」
「いやに都合がいいな、怪しいとは思わなかったのか？」
「怪しいも何も、僕らは昔からそうやって暮らしてきたんですから。」

私の世界では、基本的に世の中ギブアンドテイクが主流なのだが、
彼らはこの仕組みについて疑問に思った事はないのだろうか。
自分に都合がいいものだから、そのまま流してしまったか。

「そうですね……小さい時に僕はこう教わりましたよ。
　『エンブリオには、ほんの少し元気を分けてあげるだけだ』って。」

そう言って小僧が懐かしそうに微笑む。
私はその言葉のフレーズが、消える事なく耳に残っていた。

◇◇

エンブリオを召喚するエネルギー、これは今までも不思議に思っていた。
あれだけ大きな力を使役するのに代償なしなどあり得ない。
メルンテーゼの物理学にもよるが、基本的にエネルギー保存則に反している。

小僧は魔術の鍛錬はしていない、これは本人から確認を取った。
故に魔力というものを紡ぎあげることは、小僧にはできないはずだ。
ならば、エンブリオと契約・解約などをするエネルギー源は何なのか。

元気をわけてあげる、確かに小僧はそう言った。

それはもしや、人の活力ではないのだろうか。
私は喉の渇きを自覚しながら、ゆっくりと口を開く。

「……小僧、メルンテーゼでは人はエンブリオと共に生きると聞くが、
　お前の地元では大体何歳くらいに人は亡くなるんだ？」
「何ですか唐突に……子供時代の死を計算に入れなければ、
　大体40歳以上生きたらご長寿扱いですけど。
　僕の家は元々長生きらしくて、50歳超えている人も多いですが。」

恐らく半分くらいは子供時代に亡くなるとして、
それでも人生40年は短いのではないのだろうか。
劣悪な環境と聞くが、エンブリオの活用でだいぶ生活水準は上がっている筈である。

「お前はエンブリオの学者の知り合いが多いらしいが、
　知りうる限りで最長老の学者の歳を教えて欲しい。」
「最長老と言っても……ああ、僕に辞典くれた方は、
　42歳でも現役で頑張っていらっしゃるって聞きました。
　エンブリオの学者さんは短命が多いので。」
「短命が、多い？」
「ええ、なかなかはっきりとした事は教えてくれないんですけどね。
　30代で亡くなってしまう方も多いようです。心残りもあるでしょうに。」

エンブリオのリストに印をつけつつ、小僧が答える。

——これはもしかしなくとも、関連性があるのでは。

嫌な予感がする。もやもやとした感情を抑えつつ、乾いた口を開けた。

「……それは、エンブリオ契約に生命を吸われているのでは。」
「そんなまさか、非現実的ですよ。
　まぁネクター畑には子供を近づけないように昔から言われていますけれども。
　研究者が短命なのは、単に研究が過酷だからだと思いますよ。」

ネクター畑までか……。
あまりにも日常にありふれていると、疑念に抱く事すらないらしい。
それが当たり前だからだ。

これまでの小僧の話から推察すると、
元々エンブリオと深く関わっている小僧の地元は寿命が短いが、
エンブリオと関わる人間は総じて特に短命であり、
ネクターの生息地には子供を近づけないようにしている。
こういう事になる。

もっと端的に言おう。
エンブリオ契約は、その力の対価として
生命を吸う花であるネクターを触媒とし、エンブリオに生命を提供している。
現在のところ、この仮説が立てられる。

だとすると、小僧はすでにどれだけの生命を削っているのだろう。
こいつはエンブリオだけでなく、『干渉者』たる私も召喚しているのである。

「……。」

私を解約させようにも、その方法が分からない。
恐らくその必要性も、理解すらしないと思われる。

私は、物言わぬまま奥歯を強く噛んだ。
対案も立てられないまま、ただ時間だけが進んでいた。



To Be Continued......